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2011/06/08

木を植えているつもりでいるのだけどそうでないかもしれない男

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自由業仲間と「まるで狩猟採集生活だ」という会話をしていた。
言うまでもなく収入は安定しない、単発仕事を拾い続ける日々。
季節が順調に巡ってくれればいいが、必ずしもそうとは限らず、
しばしば獲物不足に陥って、生活の維持が苦しくなったりする。

だから補助的にでも栽培だとか牧畜だとか養殖のような感じに、
ある程度の安定的な収穫が見込めそうな生活手段も求めている。
が、どうも個人的な方向性としては田畑を耕し草取りして云々、
というのではなく、木を植えて育てているような気分だったり。

田畑になど使うコトもできぬ急傾斜の山林で上ったり下りたり、
下草を刈って蔓草を断って枝を払って……と孤独な作業が続く。
それでいて木々は成長が遅いから成果が出るまでが非常に遠い。
ていうか、その収穫は果たして死ぬまでに得られるんだろうか。

まあいつか何かのついでにでも役に立ったと思ってくれる人が
いてくれればそれだけでも充分に報われたというコトなのだが。

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同業者でも分野が違えば打ち合わせの時間の長さも大きく違う。
こちらが1時間の打ち合わせを終えた頃、同業の友達は2.5時間
もの打ち合わせが急に入って、落ち合う約束がズレてしまった。
聞いてみれば打ち合わせが17時間にも及んだコトがあるという。

狩猟採集生活と一括りに言っても栗拾いから山菜採り、魚釣り、
はたまた山懐へ分け入っての狩りなど、それこそ獲物や場所で
全く違うような感じに、一括りに自由業といっても全然違って、
成果物や取引先の違いが、そのまま仕事の進め方の違いになる。

もともとの嗜好や性格や特性で仕事を選び、適応してきたから、
同じ自由業でも相当に分化が進んでいる、というコトなのかも。
だとしたら、自由業の傍ら安定的な収入を得ようとする際にも、
やはり個体によって方向性の違いが生じるのは、必然となるか。

ヒトの集まる都会でしか成立し得ない仕事ではあるのだけれど、
そんな環境の中で我々は全く自然の摂理に依って暮らしている。

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