« 当然という思考停止条件に陶然としていたくない | トップページ | 前だの苦楽かー? »

2011/06/04

中まで概観できるかな

20110604_img_1143_1s


多くのヒトビトがそれぞれ好き勝手に推測憶測妄想を働かせて
それをそのままに脳内から垂れ流していってくれるもんだから、
全部アンサンブルした中間のどこかのルートにヒトの予想外の
何かの要素が加わるコトもあるものだと思っておけば気は楽だ。

--
如何なる立場にいようと如何なる専門分野に属していようとも、
どうせ誰でも全体を細部に至るまで見通しているワケではない。
どうしたって誰も彼もが自分の気分だの感覚だのの上に立って、
それぞれ自分勝手に発言したり行動するのは致し方のないコト。

国内でも海外でもマスメディアで訳知り顔に解説する「専門家」
はたまたインターネットを通じて流れてきたりする「現場の声」
どっちにしろ事象全体についての『群盲、象を撫でる』の構図。
その上それぞれバラバラの意図で発言しているせいで不協和音。
耳障りな警報音は人々の注意を喚起すべき状況にあると示すが、
鳴り止まぬまま無数の警告が重なり合えば警報の意味も為さぬ。

どれを信じる、どれを信じないという単純なハナシではなくて、
それぞれがそれぞれの信念や認識に基づき発言しているのだが、
どれも微量(直ちに健康に害のない程度)の現実への誤解を含む。

「微量でも放射能が混じってたら受け入れない」的心理ならば、
どちらも信じないでただ自分の目と耳とを信じるしかあるまい。
だけれども情報の真偽というヤツは目や耳で確認できるような
性質のモノではないあたり放射能と同じく対応が困難ではある。
だから結局のトコロ何も信じられないってコトになりかねない。
それはそれで自分自身というSPOFを抱えるような大きなリスク。

ヒト社会内の様々な階層の多種多様な立場・属性からの発言が、
それなりの多様な範囲で得られるようになってきた今の社会は、
それなりに立場の違いによる誤差を分散するコトができるため、
以前よりアンサンブル予測の精度は高まっていると考えている。

「上から見る」と「上から目線」は、コトバの上では似てるが、
全く異質なものであり、どっちが役に立つかは言うまでもなく。
もちろん引いた視点では個別事象を小さく捉えがちになるので、
その傾向についての対策が不可欠となる点も常に留意すべきで。

|

« 当然という思考停止条件に陶然としていたくない | トップページ | 前だの苦楽かー? »