« 半生紀(24) ヒト集団恐怖症と入院体験 | トップページ | 中まで概観できるかな »

2011/06/03

当然という思考停止条件に陶然としていたくない

20110603_201105241137001


「○○なら××して当然だ」などと言い切るコトが、怖くてできない。
それは、過去の経験に照らしての判断を重視するあまり現実を定型化
しすぎてしまい、今まさに目の前で起きているモノゴトを個別事象と
認識していないのでは、という不安を強く感じてしまうからだと思う。

「愚かしい為政者なら権力の座から追い落とすのが当然だ」、そうか。
レッテルを貼れば思考停止していて構わないという、そういうコトか。

正しいコトをしていると思い込んでいる人たちほど、怖い存在はない。
正義だとか道理だとか、あるいは感情ででもいいけど、その人が持つ
規範の中でいったん正当化した行動は、もし反発されれば全て「悪」
と決めつけて思考停止状態のまま衝突しかねないあたり、とても怖い。

自分の周囲のセカイ、所属する集団の常識、そういうのばかりを見て
ヨノナカの全てを語り尽くせると思いこんでる人もまた、怖い存在だ。

目の前の個別事象と真摯に向き合って、「当然」の枠組みの外に出て、
今後どうしていくべきかを必死に考え、足りない部分は気付いた者が
補ってやって、補ってもらった側も素直に受け入れて柔軟に対応して、
その中から次の体制が自然発生的に出てきてくれたらなあ、とも思う。

それはさておき。

--
「幸福になる理由は限られているが、不幸になる理由なら無数にある」
といったニュアンスの文を、ずいぶん前に何処かで読んだ記憶がある。
不幸の原因は千差万別、それこそ一人一種類と言っていいくらいある。
それと同様、悪政や失政にははそれぞれ固有の理由があるのだと思う。
そういうトコロを十把一絡げに切り捨てていては、失敗から学べまい。

失敗は丁寧に分析して謙虚に受け止めれば将来の自信に繋がるもんだ。
それでもなおときたま未知の失敗条件に躓いたりするコトもあるけど、
転んでも再び立ち上がって歩いていければ遅いながらも着実に歩ける。

愚者は経験に学ぶ、それでいいじゃないか。学ばないよりずっとマシ。
賢者は歴史に学ぶというが、歴史に学びすぎて現実を軽く見ていては、
賢者に相応しくないどころか愚者にも劣るものだ、と思っているので。

|

« 半生紀(24) ヒト集団恐怖症と入院体験 | トップページ | 中まで概観できるかな »