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2011.06.27

信頼性が低いと知りつつも使わざるを得ず

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人間が人間を評価するのは大層難しいコト。

自分の評価が厳しいのと同じ理由で他人への評価が厳しい人がいる。
自分の評価が厳しいのと同じ理由で他人への評価が優しい人がいる。
自分の評価が優しいのと同じ理由で他人への評価が優しい人がいる。
自分の評価が優しいのと同じ理由で他人への評価が厳しい人がいる。

それぞれ各自の中では矛盾なさそうなので、
最低でも四通りの評価軸があると言えよう。

きっと詳しく調べれば無数にあるだろうし、
そんなのの平均だの中央値だの多数決だの、
微塵の矛盾もなく完璧にできるはずもない。

そもそも評価軸そのものさえ状況に応じて
見直して修正しながら使っているものだし、
もちろん自分用の評価軸と他人用評価軸を
別々に持っているような人物もいるだろう、

しかも他者といったって「家族」「友達」
「赤の他人」「外国人」などという区分や
目上格下ヒエラルキーまで含めて考えれば、
評価軸の上に無数の分類が散らばるワケで、
そのあたりまで含めればさらに余計に大変。

それでも評価をせぬワケにはいかないのが
ヒト集団の非常に難しいトコロなのであり、
それこそまさに人間社会そのものが抱える
最大の脆弱性の一つと言える部分でもある。

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リスクを織り込んで生きる他にないのだな、
人間なんて、そんなもんだと割り切ってな。

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