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2011.08.24

自称逸般塵の不通の日記(290) 内省観照

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ひょっとしたら今月に入って友達と会って喋るのは二度目であった。
それも、たぶん20日振りくらい。とんと会わずに暮らしていたのだ。

滅多に会えないほど遠くに暮らす友達と電話で喋ったコトは何度か。
あと友達というか実家に行って家族と喋ったり、数少ない仕事の際
親しい仕事仲間と喋ったり、知人の事務所のPCをメンテナンスして
ついでに世間話をしたりとか、そんなのが何度かあった程度だった。

それ以外に友達とコミュニケーションしたのは、携帯電話のメール
あるいはソーシャル()なネットワーク上などで、準リアルタイムな
対話がボチボチあったが、それらも毎日というほどの頻度ではない。

家庭を持っていたり勤め人だったりすると違うのかもしれないけど、
残念なコトに独り暮らしの自営業かつ単独活動の多い仕事だもんで、
幾つかの条件が重なれば自分以外との会話の機会など全く失われる。

とにかく今年は酷く稼ぎが乏しくて出歩く機会も作りにくかったし、
自転車で行ける距離の友人宅にも猛暑だとか雨で足が遠のいていた。
そんなこんなで、ちょっとばかりウチに向いていたのかもしれない。

そんな風に今夏を振り返ると、まるで隠者か何かのような生活だな。
隠居だったら近所の熊さん八つぁんが顔を出して与太話でもしたり、
さもなきゃ助格その他を引き連れ諸国行脚でもしてるかもしれんが。

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そんな生活をしているからといって「アイツは孤独に強い」なんて
周囲から思われてしまうのは誠に不本意。やはり普通の人間である。
一人で考え事をしていると、どうしてもロクなコトにならないのだ。
我ながら、よくもまあ精神的に潰れずに済んだもんだと思うくらい。

修行僧よろしく、ひたすら内省して自分を深める機会にはなったが、
内向きに考え続けるコトの危険さを、改めて思い知ったのであった。

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