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2011/08/19

蔓延元年

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嬉しくもないコトなど、わざわざ探すほどのモノでもない。
どころか今の時代では黙って座ってたって、誰かが勝手に、
求めてもいないのに嬉しくもないコトを耳に入れてくれる。

さしずめ、日々ポストに詰め込まれるチラシのようなもの。
電子メールで毎日送りつけられる広告メールのようなもの。

でもチラシや広告メールと似たように、ある程度の割合で、
嬉しくもないコトに対しても反応して再発信する者はいる。

現代ではソーシャルなんたらの発達もあって再発信された
情報が他の人に届きやすい環境も次第に広まってきている。
中性子の減速材が充填されてきているような状況てワケだ。

もともと「話題性のある情報」の動向に敏感な性質が強い
マスメディアだとか人気取り商売の業界なども、明らかに
以前より強く影響を受けるコトになり、結果としてみれば
本人たちが意識する以上に強く減速・反射材の役割を担う。

そうして臨界が。

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中性子を吸収して再放出しているような人たちは、
やはり同調を求めていると考えて良いのだろうか。

ある程度の同調者はネガティブな感情の薬になる。
もちろん足りなければ孤独感という欠乏症がある。
だから発信再発信したくなる気持ちも分かるけど。

だが同調者が多すぎれば図に乗ってしまう副作用。
正のフィードバックで発信再発信はやはり増える。

情報でも、適度な栄養バランスを保つのが難しい。

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