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2011.08.11

かつてクニの中には数々の国があった、今クニの中には数々の枠

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古くから続く村々一つひとつ少数民族のようなもの。
尾根の向こうには別の世界、隣の浦には別の習わし。
当然、村々各自が単独で存在しているのではなくて、
それぞれ物理的精神的な距離や交通の便などに応じ
遠近さまざまなカタチで交流する複雑な関係があり、
互いに影響を及ぼし合いながら独自色も保ち続けた、
そんな存在形態が、長年に渡って続いてきた結果で。
そんな風に思っていたら、こんな文章に出くわした。

地方史は、都を中央と考えての地方史である。それにたいして、地域史というのは、都の存在や役割も重視するけれども、それぞれの地域にコンパスの軸をどっしりと置いて地域のことを考えようというのである。
「地域学のすすめ ―考古学からの提言―」(森浩一/岩波新書)

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ヒトは何らかの理由をつけては集団を作るイキモノ。
大きな社会構造の枠組の中に小さな別の世間ができ、
それが相当な規模になると、今度は外側の枠組にも
影響を与えるものだ。そこには「ある程度」の規模、
外枠に対する内枠の比率が導き出せると思うのだが、
そこまで至らずとも、ある程度の個体数の内枠なら
外枠に対して相応の独自性を維持していけるものだ。

現代の日本社会の中にも特に都市部では興味関心や
主義主張、趣味道楽や業種職種などの繋がりがある。
あるいは人種や宗教、階層などといった枠組もある。
それぞれのコンパスの円内にあるものを今しっかり
見極めておかなければ、それぞれの枠組を理解した
なんて胸を張るコトはできないように思えてならぬ。

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