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2011/09/08

科学系ヨタ話(16) はじめに存在ありき

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生命のような曖昧な、かなりユルい存在に対して何故、
明確な目的だとか厳密な定義だとかを、ヒトは求むか。

40億年くらい前の地球上の何処かで消長を繰り返して
いた、化学エネルギーを緩慢に連続する有機的な反応
経路でユルく燃焼させていくだけの脂質二重膜構造が、
何となく途切れるコトなく続いてしまったもんだから
とりあえず生命とか名付けて高尚な存在でもあるかの
ように扱ってみているけれども、もともとそんなもん。

存在意義だの価値だのは、すっかりアタマでっかちに
なってしまったヒトが勝手に脳内で捏ね上げたもので、
そういう考え方を穿つと意図だとか意志だとか何かの
異様に高尚な存在を前提とした思考経路が、見え隠れ。

そりゃまあ生命誕生の様子の研究など漠としたもので、
その不可思議さ複雑さゆえに、人によっては神秘性を
感じて五感に捉えられぬ神霊的なる存在を想定したり
する方が腑に落ちるのかもしれないけれど、何だかね。

生命が変化する中で獲得してきた自己保全機能ゆえに、
過去を美化しておけば自分自身も高等な存在であると
言い張る裏付けになる、などといった感覚が実はあり、
直近の先祖だけでなく遠く発祥の頃に至るまでずっと
何か一貫した趣旨があって当然だなんて思ったりする。

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他人が尊崇している存在を無闇に貶める気はないけど、
他人に尊敬している存在を無闇に押しつけるのは迷惑。
せいぜいそんなものだと思っておくのが互いの為かと。

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