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2011.09.16

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(72) 「ヒネクレ者も使いよう」のある社会が望ましいのかどうかについての検討

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自分自身で答えを見付けるコトが大事、というのであれば、
「簡単だよ」と答えを教えてしまうのは手抜きとなるはず。
自力で答えに至る能力を多くの人が持てるようにするには、
見付ける手伝いが上手な人を育てるといいんじゃないかな。

そこに実は天邪鬼が役に立ったりするコトもあるかと思う。
当人に対し、その人が持っていない視点からの言葉を返す。

そもそも天邪鬼というのは大勢とは全く逆の方へ向く者だ。
皆が同じ感覚を共有していると見落としがちなモノゴトを、
むしろ彼らはアタリマエのものと見倣しているのだからね。

だから変化の激しいヨノナカになってきた昨今においては、
新たな観点を与えてくれる存在として、役にも立つだろう。

決して主流派や多数派にならないコトこそ彼らの存在意義。

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ただし、平和なヨノナカが長く続いて価値観が固定化して
きてしまうと、天邪鬼は単なる変人としてしか扱われない。

ヒト集団は環境が変動しなくなったコトに対して適応して、
そこから外れた存在を外に排除し均質化しようとしていく。

たぶんそれは生物としての環境に対する適応の一環だけど、
多様性という観点でみれば明らかに退化の道筋を辿るもの。

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