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2011/09/30

早計すると係争するコトが多い件について

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そして今やすっかり修飾物だらけの環境のせいか、
ヒトというのは、箍が外れた動物といえるだろう。
何にしても「やりすぎる」特性を備えているのだ。

取りすぎる、食いすぎる、殖えすぎる、殺しすぎる、
恐れすぎる、嘆きすぎる、忘れすぎる、怠けすぎる、
適応しすぎる、自信過剰すぎる、怒りを発散しすぎる……。

その割には考えが足りなさすぎるコトが多いよね。

最初は「やったらできちゃった」と無邪気に喜ぶ。
次第にその魔力に取り憑かれてのめり込んで暴走。
やがて我に返って反省するも遅きに失していたと。

手軽にできてしまうから行動に移るまでが早くて、
結果には時間がかかるので「やりすぎた」となる
までに相当な「やりすぎ」が蓄積してしまったり。

怒りに任せて発言したり行動したりしたってもモノゴトは平常時と変わらず思った通りに運ぶコトなどなく、
むしろ怒りを含んだ言動が余計な反発を招いてしまうなどで却って上手く行かないコトなど、あって当然で。

「農耕民的リーダーより狩猟民的リーダーが望ましい」なんて声が増えてきたように思える昨今だけれども、
狩猟民は「やりすぎる」傾向が強く出ていて、持続可能な社会を構築するには向かないと思うのだが如何か。
ましてヒトが地に満ちてヨノナカに溢れんばかりの数にまでなった今となっては未開拓の地などなかろうに。

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それでも社会の仕組について興味を持ったりする、
失敗を通じて経験して次には失敗せぬようにする、
というのは歓迎していいのかもしれないけれども。

その割には、過ぎたる行動によって生じる損失が、
後で得られる教訓に比して大きすぎやしないかと。

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