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2011/09/21

花鳥風月を愛でるコトと家父長的な態度との関係

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とはいえ今年の極貧状態もまた得難い体験ではある。
どうにか周囲の援助あって生きているという有様は
流石に胸を張って自慢できるもんじゃないんだけど。

なにしろ、仕事やプライベートで忙しくしていると、
思考エネルギーを節約したくなる性質がヒトにある。
おまけに多くのモノゴトを自分の力だけで処理して
いる(実態は違うとしても)という自負も出てしまう。

余計な自負は他者に対する不寛容として表出しがち。
自分自身が自ら掲げたゴールに向けて突き進んでる
からといって他者も同様だと思い込んでしまうのだ。
想定の原点が違うのに気付かないまま、その相手が
出来ないのは努力不足だったり工夫が足りないもの
だと断定し、強烈な親切心とかリーダーシップ()を
発揮して、他人の人生に強制介入していってしまう。

あるいは介入できるほど身近な存在でなかった場合、
「アイツはダメだ」「早くいなくなれ」てな具合に
即決断罪斬捨御免。欠席裁判だとは顧慮だにしない。

そもそもヒトの差異について深く考えたコトもなく、
日常的に情報収集を怠っていないから周辺事情など
裁判に必要なくらい知悉してるぞという感覚だから、
弁護側の意見陳述でも雑音程度にしか受け取らない。

ハードな仕事をこなしていても厭な感じの自信満々
というふうには、ならないようにしたいものである。

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ていうか、逆に仕事が乏しいと余計な、というより、
仕事に関係ないコトばかり考えたりするものだけど、
それはそれで思考の多様性に繋がるので宜しかろう。

思考の多様性は、精神的な余裕を生み出してくれる。

自分自身など何も関与せずとも生命は活動していて、
むしろ自分自身が何か手を加えてしまったら価値を
損ねかねない、というほどの感覚にも繋がってくる。

精神的な余裕とは、そのような感覚を維持するのに
必要不可欠なものと考えるのが妥当だろうと思うね。

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