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2011/10/08

自称逸般塵の不通の日記(305) 秋の夜長にも長い読書

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仕事が乏しいといいつつ、しばしば日がな一日、仕事をしている。
というか仕事が進まず呻吟し続けるのが日常だったりするワケで、
表面的には私生活の時間であっても仕事のコトを考えてたりする。
なので、もし仮に時給換算などしてしまったら酷いコトになろう。

そんな日々の、些やかな気分転換だとか息抜きになっているのが、
たまの散歩とか読書とか、少々のネット上の他愛もない話題など。

ここしばらく読んでいたのが、「フランス革命下の一市民の日記」
二世紀年以上も前にパリで生活していた少し裕福な70前後の男の、
同じパリ市内で繰り広げられていく歴史的な事件の数々に加えて、
自らの資産や兄弟の年金や友達などの動向を交えた老人の私生活。
一部省略しているものの、数年分の日記ほぼ全訳だから、分厚い。

アオリ文には、こんなふうにある。

「大革命の激動に編み込まれた無名の一市民ギタールの日記は、<正史>に記されない些細な日常生活のなかに、泣き笑いする人間の姿をいきいきと描き出す。恐怖政治の嵐が吹き荒れるさなか、芝居にゆき、食糧確保に奔走し、女に苦労する」

日記の記述は本人の周辺の出来事や感想などが中心となっていて、
今後あるべき社会の姿を考察するといった様子は特にみられない。
ひょっとしたら私生活の上では親しい人たちと喋っていたりして、
だけどギロチンの嵐が吹き荒れる中では日記にも書けない、とか、
そういう可能性も否定できないが、それにしても記述が全くない。

実は、歴史の大舞台の上に一緒になって立っているにも関わらず、
本人(を含む多くの市民)は観客のつもりなんじゃないかとも思う。
というより社会の動きに振り回され変化を追うのが精一杯なのか。

ふと、親しい人の中に少しばかり似ている人がいるのを思い出す。
ああきっと今の日本の多くを占める中高年なんかも、こんな感じ
なんだろうなと。いや「イマドキの年寄り」に限ったコトでなく、
もちろん「イマドキの若者」もそうだし、「イマドキの働き盛り」
だって大した違いはないのだろうけれど、それにしても興味深い。

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「そうあるべきでない」と言うつもりはない。
むしろヒトとして自然な姿だろうと思うから。
「そういうもんだ」とでも考えておいたなら、
むしろヒトの自然な感情を持ち続けられよう。

そんな気が、少しした。

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