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2011.10.24

出張旅行記(46) 過去を捨てない理由が見えた気がした車窓の景色

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取引先などの都合からアポイントは基本的に平日だが、土日の出張もたまにある。
休日の新幹線で行ってきたのは美作国津山。関東の山地ほどは土地勘がないけど、
瀬戸内や山陰から中国山地へ入り込む幾つかの路線の一つ、津山線に乗ってった。

岡山県と考えれば海の県だが美作国と考えれば海なし国。山間地のローカル線だ。
ボンヤリ車窓を眺めていると、多くの駅に米倉庫が併設されているコトに気付く。
もはや自動車に取って代わられたと思うが、昔は貨車で出荷していたのであろう。

山の迫る土地ながら、水の得やすい川沿いの土地を最大限に使って水田が広がる。
浸食された古い山地の堆積物が河谷を埋め平地ができているとはいえ原地形には
上から下へ、谷の外から内へ、傾斜が残っており、田には少しずつ高低差がある。

そして、道は山裾や川に沿い、住宅は斜面の下のギリギリ、墓は斜面に立ち並ぶ。
こうした配置をみれば、どれだけ水田稲作を優先しているか説明するまでもない。
そこまでして作ったコメは、かつては為政者に納め、後には市場へ出荷していた。

田圃の段差を区切る石垣に目が留まる。不定形の小さな田には手間が掛かってる。
面積あたりの労働力投下は非常に高密度な日本だけれども、しかし長年の耕作の
歴史を考えていくと、時間軸でみれば実は大した密度ではない、のかもしれない。

少しずつだけど、とにかく長い長い時間をかけてコツコツと労力を蓄積していく、
そんな、どこの農村でも一般的だった働き方・生き方を都市社会も強く受け継ぎ、
時間を惜しまず労働するコトこそ尊しとする風土は、ほぼ今の日本社会にも残る。

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津山駅前から城跡近くの宿まで歩くと予想以上にシャッターを閉めた店が目立つ。
農地を圧迫せぬようコンパクトに集約されていた城下町は、道路網の整備に伴い
郊外へと拡大を続け、同時に商工業の拠点も農地を浸食し、景色を変えていった。

逆に、かつての都市部こそ、昔の矜恃か何かを捨てられずに苦しんでいるのかも。

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