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2011年10月

2011.10.31

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(77) 『己を知らねば敵を知るなんてできやしない』

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数十回の練習問題で定着しなくても実践なら数回で身についたりする。
要するに当事者意識とか、そういった姿勢の違いなのだろうとは思う。

距離的に遠い国の、時間的に遠い昔の、モノゴトだとしても当事者に
なったつもりで意識する癖がつくと、思わぬ気付きがあったりもする。

その当事者は必ずしも自分と同じ存在ではなく、むしろ全く異なった
周辺環境の中にあるが、とはいえ同じくヒトであるため類推も可能だ。

ただし、自分の周辺環境や自身の立ち位置、自らの思想信条行動規範、
そういった諸々の条件を把握しておかねば相手を想定するのも難しい。

同じヒトという共通要素を利用して相手をシミュレーションするのだ。
どれだけの自他の違いを計算条件に盛り込めるかで精度が違ってくる。

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2011.10.30

実際問題ソレどうなのよ

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実践課題が目の前にあると学習効果は高いよね。
放射線だとかエネルギーとか、政治や経済とか、
まさに我々の眼前に立ちはだかる問題の全てが、
それこそ生きた教科書として好きなだけ学べる。
しかも今の時代だから膨大な情報を容易に入手
でき、おまけに変化は激しいから打って付けだ。

いちいちモノゴトに一喜一憂するなど勿体ない、
せっかくの勉強材料なのだから、時間的な変化
とか地理的な広がりとかヒトビトの繋がりなど
多彩なスケールで、じっくりと観察を続けたい。

一見するとボンヤリ眺めているようにも見える
かもしれないが、知的探求心だとか好奇心とか
そういった感覚が満たされてくるのは、楽しい。

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2011.10.29

仕事が遅れて詰まりつつある状況に思うコトなど

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どうも他人のペースに合わせるのが苦手なんだという気はしている。
誰かが決めたルールや決まりに沿って動くなんてのも得意ではない。

自分で納得して腑に落ちてからでないと、身についた気がしないし、
体得したという感覚がないままに動いても、なんだか現実味がない。

兄の使った高校の理科の教科書を小学生の頃に読んでいたりしたが、
そういうトコロから想像力を働かせて宇宙の成り立ちだの何だのと
いうモノゴトに対しては割と早くから実感を持てたような気はする。

逆に社会の成り立ちといった方面でいうと、他人に無頓着な時期が
あったせいか、かなりのオトナになるまで極めて実感に乏しかった。
ヨノナカのアレコレを構造として把握できるようになってきたのは、
それこそ大学を出て社会に入って、それでようやく、というくらい。

カリキュラムだとか指導要領などに照らせば、一方は進みすぎだし
他方は遅れすぎにも程があるという、なんとも妙な学習実態である。

丸暗記は得意じゃないし、たいていのモノゴトはすぐ忘れてしまう。
学校の授業でもノートなどロクに取らず白紙のノートばかりだった。
試験に備えて対策勉強、なんてのも手に着かず、全然やらなかった。
生徒や学生としては、相当な怠け者だったコトは間違いないだろう。

知識は書物から得て、それを実体験で補って、他の知識と絡ませて、
脳内で自在に辿れるようになって初めて納得に至るマイペースぶり。

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2011.10.28

半生紀(29) 今に繋がっているコトなど

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文章を書くコト、写真を撮るコト、そして歩くコト、考える習慣など。
少年や青年の頃頃から今まで途切れずにやってきたのは、そればかり。

就学以前から読書は好きで、活字を読み漁っては考えを巡らせてきた。
授業中など手持ち無沙汰で教科書や副読本を読み尽くしたりしていた。

中学では電車通学となったので近所の友達と会う機会は減ってしまい、
しかも同じ地域からの同級生も少なくて、一人の時間が急激に増えた。

自宅の付近の田圃の中を一人で歩けば孤独感が北風とともに身に浸み、
どこか心細い中に残る自由さが思考を明晰にするような気がしてきた。

同時期に母の勧めで日記をつけるようになって文章を書くコトを覚え、
読んで考えたモノゴトをアウトプットできるのは楽しいのだと気付く。

写真にも興味はあったが、安くない趣味なので自分で稼ぐまで待った。
大学の頃にバイトの金でコンパクトカメラを買ったのが最初だったな。

就職して一眼レフを買い、仕事で各地に出掛ける際にも撮りまくった。
もちろん散歩の際の相棒としても連れ歩いたのは言うまでもないコト。

気付けば10年20年、中年になっても相変わらず続けているのであった。

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2011.10.27

睡眠健康術?

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疲れたときなどは、あまり無理をしない性質であるとは思う。
仕事が重なっているときでも、しばしば普通に眠ったりする。
多忙を極めた昨夏には、さすがに睡眠不足の日々が続いたが、
ちょっとした時間に15分ほど仮眠するなど休息を補っていた。

たいがい布団で寝ると眠りすぎてしまうので、忙しくなると
いつも仕事をしている坐椅子で、そのまま仮眠したりもする。
ここ数日の冷え込みで炬燵、というか炬燵布団を出してきて、
仕事場の炬燵に掛けてやろうと思いはじめたが、そうすると
温かすぎて仕事の途中で寝てしまう危険も増えるから要注意。

そういえば以前では、出張の移動中は主に作業としていたが、
最近だと車窓を眺めたり仮眠したりしている時間の方が長い。
移動中は休んで、帰ってきてから作業するのが最近の傾向だ。

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2011.10.26

自称逸般塵の不通の日記(309) 今月多忙につき疲労蓄積

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1日インターバル2度目の出張は朝イチ大阪午後イチ蜻蛉返り。
自宅仕事の進捗が遅れて寄り道する時間も惜しんで帰宅した。
なんとか夕方には片付けたが、溜まっていた家事などもあり、
また夜には冬型の気圧配置が木枯らし的な風を呼び冷え込み、
今季初めてシャワーでなく湯船に浸かればまだ暑かったりで、
就寝は普段と大差ない翌未明、起きれば昼過ぎになっていた。

移動中にも少し作業を進めるつもりだったが、カツサンドで
空腹を解消させた途端に眠気が襲ってきて、ほとんどできず。
帰りは名古屋あたりまで作業できたが新横浜までワープした。

さすがに長時間の移動は体力を消耗するのだと気付いた中年。
考えてみれば過去数日に移動で費やしたのは20時間にもなる。
どうせ長い時間を過ごすなら寝台列車の方が楽なんだけどな、

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2011.10.25

自称逸般塵の不通の日記(308) とかいって、田舎では難しい生き方をしているのだけども

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1日インターバルで2連続の出張、の間の月曜日。
持ち帰った資料を整理して、次の用意をすると、
どうしたって相応の時間を費やしてしまう上に、
長時間の移動で溜まった疲労に睡眠時間も必要。
休日の新幹線は平日より騒々しい傾向が強くて、
その意味でも余計に疲れてしまったように思う。

都会ではヒトビトが自然界にない密度で集まり、
対人距離などの感覚が生活の邪魔となりがちで、
適応しないと暮らしていくのが難しいけれども、
あまり適応しきってしまったら他人に無頓着な、
どこかヒトでない存在に変化してしまいそうで、
そういう意味では、やはり馴染めないものだな。

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2011.10.24

出張旅行記(46) 過去を捨てない理由が見えた気がした車窓の景色

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取引先などの都合からアポイントは基本的に平日だが、土日の出張もたまにある。
休日の新幹線で行ってきたのは美作国津山。関東の山地ほどは土地勘がないけど、
瀬戸内や山陰から中国山地へ入り込む幾つかの路線の一つ、津山線に乗ってった。

岡山県と考えれば海の県だが美作国と考えれば海なし国。山間地のローカル線だ。
ボンヤリ車窓を眺めていると、多くの駅に米倉庫が併設されているコトに気付く。
もはや自動車に取って代わられたと思うが、昔は貨車で出荷していたのであろう。

山の迫る土地ながら、水の得やすい川沿いの土地を最大限に使って水田が広がる。
浸食された古い山地の堆積物が河谷を埋め平地ができているとはいえ原地形には
上から下へ、谷の外から内へ、傾斜が残っており、田には少しずつ高低差がある。

そして、道は山裾や川に沿い、住宅は斜面の下のギリギリ、墓は斜面に立ち並ぶ。
こうした配置をみれば、どれだけ水田稲作を優先しているか説明するまでもない。
そこまでして作ったコメは、かつては為政者に納め、後には市場へ出荷していた。

田圃の段差を区切る石垣に目が留まる。不定形の小さな田には手間が掛かってる。
面積あたりの労働力投下は非常に高密度な日本だけれども、しかし長年の耕作の
歴史を考えていくと、時間軸でみれば実は大した密度ではない、のかもしれない。

少しずつだけど、とにかく長い長い時間をかけてコツコツと労力を蓄積していく、
そんな、どこの農村でも一般的だった働き方・生き方を都市社会も強く受け継ぎ、
時間を惜しまず労働するコトこそ尊しとする風土は、ほぼ今の日本社会にも残る。

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2011.10.23

人を見る方法についての私的な試案

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「最近、個人的に発見したコトはあるか」
「これまでの人生で、最大の発見は何か」

もし仮に人を雇う立場になったとしたら、
そんな質問を面接で出してみようと思う。

ただし、いかにも凄そうなのを発見した、
とかいう回答を期待してるワケではない。

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2011.10.22

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(76) 『芸は(いろいろな意味で)身を助けるかもしれないよ』

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他人に対して好き嫌いはあるのかと聞かれ、特にないと答えた。
ただし苦手はある。あるいは対話しづらいと感じる相手はいる。
苦手を説明するには、苦手でない相手を考えた方が早いだろう。

例えば他人に仕事を依頼する状況になったら、と考えてみよう。
当然ながら苦手でない相手、できればハナシの早い相手を選ぶ。
そこで真っ先に念頭に浮かぶのは、気心の知れた自営業仲間だ。

理由は単純。やるコトを自分で考えて進められるはずとの期待。
彼らの多くは仕事内容も変化に富んでいて適応力が求められる。
もちろん、相応の経験を積んで、あるいは訓練や教育を受けて、
さまざまなケースをイメージできる能力も多少は期待していい。
だから勤め人にありがちな、「誰かがやってくれるだろう」的
無思考状態には陥りにくいだだろう、ハナシも早いだろうなと。

それから、自分の専門分野を得意とする一方で、相手の得意な
分野の発言について蔑ろにしない、といった性質も持っている。
立場の違いを認識しつつ対話するのに慣れているというワケだ。

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2011.10.21

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(75) 呉越同士討ち?

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いやまぁ科学的だとか哲学的だとか、というのは言い訳に過ぎなくてね。

個人的には、理屈っぽく語ろうが感情のままに語ろうが一向に構わない。
ただ、対話に望む姿勢が双方で大きく食い違っていると話は進みにくく、
特に話を聞こうとしない、信用していないといった様子がみられる場合、
「同調せずば敵対」と強制されるような圧力を感じて少し引いてしまう。

そんなコトを期待されても困るのだ。自身の信頼性さえ疑っている者が、
果たして、如何なる他人を信頼し、無条件同意をするというのだろうか。
ヒトである以上、どうしたって万能というコトはないのであるからして。
もちろん逆に、完全なる敵なんてのも存在しないと思っているけれども。

そう、敵ではない。だから対話を通じて、相手を理解しようとしている。
自分が答えを持っていないとき「では、どうしたらいいと思う」などと、
率直に相手に下駄を預けてしまう発言を、しばしば行っていたりもする。
相手の意見を受け付ける、すなわち尊重して聞くというサインだと思う。

常に確たる回答を返そうとするのは、ある意味で虚栄心の現れであろう。
答えを知ってるオレサマ偉い、だからオマエの負け、といった具合かと。
あるいは相手を信用していないか、ひょっとすると自分しか見えてない。
そういった、ヒトが陥りがちな自尊自縛の罠に対しての皮肉も込めつつ。

自分だけ考えていて相手が待っているなんて不公平、という考えもある。
だいたいにして相手がいるのに自分だけで考えているのは勿体ないよね。
せっかく頭脳が複数あるんだから、一緒に考えた方がよほど良いはずだ。
どうせお互い不完全な存在なのだから、補い合える部分もあるだろうし。

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2011.10.20

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(74) 『自発的に探すコトもせずただ求めていたって、与えられる可能性は低いんじゃないかな』

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ある研究機関が何をしているかという情報の出し方について、
「それは国民の方で決めるから○○は情報を全部出せばいい」
と文句を言う者がいて「まず論文を漁って読め」って思った。

たいてい、こういった研究機関が発表する資料というものは、
ネット上で得られる程度の資料を勉強していけば理解できる。
だが件の発言者はそんなコトもせず、『無知なる国民様』が
まさに保護されるべき存在であるかのように振る舞っている。

この人物は公益性の高い組織や機関といった存在を、そして
組織に所属する専門家だとか科学者といった人物を、まるで
『国民を騙すための体制』と信じ込んでいるのであるらしい。
だから『国民様に服従し、無条件で全てを開示せよ』との由。

さて、ここで問題です。

研究の生データを全部公開したとして、誰が読むのでしょう?

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2011.10.19

自発的に動いているという感覚を疑ったコトはあるかい?

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このところ少し自営業仲間の仕事を手伝っていて、
ホームセンターに素材や部材を探し求めたのだが、
なかなか手頃な品物が見当たらぬまま引き返した。

Do It Yourselfという割に出来合いのモノばかり。
いやまぁそういうものなのかもしれないけれどね。

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2011.10.18

自称逸般塵の不通の日記(307) 消化し合い

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すでに月曜と火曜日を消費してしまったけど仕事は多い。
普通は平日に入る出張が今回は土日に入っているせいも
あって金曜一杯までの期間で大半を片付けておかないと
いけないのだけれど、例によって微妙に進捗は遅れ気味。

最近纏め読みしている新聞は未読のまま蓄積されていて
既に10日分は超えているが消化できるのは来週か再来週。
そういえば昨年も初夏から夏にかけて少し前兆があって
一気に多忙きわまりない状況に陥ったのであったっけな。

でも昨年の多忙な期間は半年以上も続いていたのに対し、
今回の繁忙期は、きっと2~3カ月もすれば落ち着きそう。
そういう意味では、有難いようでもあり、残念でもあり。

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2011.10.17

なかったのに、ある。そんな状況に陥ったときは

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たまにヨノナカにはロケンローな人物が紛れ込んでいて、
要するに自律性のみを希求してるような性質の人たちが、
しばしば集団から外れるベクトルで活動したりするけど、
そういう人物が自分だけの道だと思って突っ走ってると、
気付けば誰かが何となくついてきたりするコトも、ある。

そんな状況になったときの対応は、個体によって異なる。
「自分は間違ってない」と自信を深めるのは割と普通人。
ただ、長いコト一人で突っ走ってきただけにヒトビトを
率いて歩く経験が乏しく、先行きリスクも低くはないが。

逆に徹底して他者の追随を好まない方面にも種類がある。
「ついてくんじゃねぇ」と突き放すのは単なる人間嫌い。
「人が来たからいいや」と他の無人の道を探すのは偏屈。

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2011.10.16

きっとあったのに、なくなった、そんなモノを取り戻すには

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ヨノナカのヒトビトが単独行動をするコトが増えたせいで、
リーダーシップが云々されるようになってきたのだと思う。
ヨノナカのヒトビトが単身世帯で暮らすコトが増えたので、
プライバシーが云々されるようになっていった経緯に似て。


なにせ今の社会というのは、あらゆる場面でヒトの活動を
あれやこれやと支援すべく緻密に編み上げられてきた網の
如き仕組の上に成り立っていて、そこから外れない限りに
於いては一人ひとりの勝手次第という状況である次第ゆえ。

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2011.10.15

ニホンのキホン 「知式懐旧」

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なんかカリスマの死で盛り上がっているトコロにアレな発言だとは思うけれど、
個人の資質ばかり論じているのは片手落ちではないかという気がするので一言。

特に、評論家や文筆業者などをといった、どちらかというと組織に属さないで
済む頭脳労働者あたりでは、所属する組織や関係者による圧力といったものを
とかく軽視して、個人の資質に帰しがちな傾向があるように思えてしまうので。
そもそも彼らは、周囲の言うコトを聞かないからこそ組織人になり得なかった、
あるいは単独で活動するコトが多いので、周囲の言うコトなど聞かずに動いて
いいんだ、という経験を重ねてきたりしているのだから差し引いて考えないと。

斯くあるべしとの理想を語るのもいいんだけど、現状だとか現実に至るまでの
背景などについて分析を進めるコトも、同時に行うべきではないかと思うのだ。
ましてや物識りだとか知恵者を自認するのなら、一面的な理屈では薄すぎよう。

でも彼らは「そんな組織の論理など突き崩せ、無視しろ」など言ったりもする。
個人の資質ひとつで、いとも簡単に乗り越えられるのだといわんばかりである。
だけど考えてみてほしい、そんな資質を持った人間が日本型の組織の中に長く
居続けるだけでなく、集団内に支持基盤を確保して勢力を伸ばしていった上に、
リーダーに推挙されるなんて、果たしてどれだけ発生し得るものなのだろうか。

そこらへん、組織人になり得なかった人だとか、敢えて組織から距離を置いた
ような人たちが、そうそう気軽に語れるものとは思えないのだけれども如何か。

結果的に、個人の資質如何で云々といった言説が非知識階層に浸透していけば、
知識人が嫌う衆愚の暴走を呼び込んでしまいかねない。そこは危惧するトコロ。

さしずめ微量元素が物性を大きく変えるかの如く、こういった人たちの存在が
ヒトビトの性質を変えヨノナカを動かせしめるというコトであるとするならば、
そりゃもう責任たるや彼ら自身の手に負えるモノではないような気がするのだ。

--
日本の社会や組織の構造からいって、独裁など極めて稀にしか生じないものだ。
第一世代だけで構成される若い組織だとか、個人の逸脱を許してしまう程度に
統制が不十分な組織であればハナシは別だが、たいていの組織はそうでもない。
むしろ、組織や集団による力関係から生じたブラウン運動が卓越するのが常だ。
まして偉くなればなるほど関わる集団が増えて行動言動に対する圧力も高まる。

たしかにリーダーは組織が担ぎ上げるものではあるが組織の代表者というより、
「声をまとめて発信する人」というくらいの扱いに過ぎないケースが多いかと。

たぶん教育についてのハナシも似たようなもんで、予め定められた回答を出す
コトだけが求められるような教育では、周囲から動かされている比率が大きい。

だいたいにして日本の組織というのは周囲に動かされるような人材じゃないと
居続けられなくて、そんなトコロから出たヤツに一貫性などあろうはずがない。
政権を追い落とす際の掛け声に「ブレない人がいい」とか言ってたりするけど、
一貫した論調・行動をすれば「繰り言」「マンネリ」って言ってなかったっけ。

個人の資質に全責任を負わせて首を切ってやれば組織が延命できるなんてのは、
いささか幻想的な理想に偏りすぎてはいないだろうか、と思っているのだけど。

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2011.10.14

ヒトなどアテにならないと考える自分自身こそアテにならぬ件と、その対応策について

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「大事なコト」っていわれるモノゴトには、沢山あるけれど、
「よりよく生きる為に大事」なのと「よりよく死ぬ為に大事」
ていうのと、たぶん二種類に分けられるんじゃないかと思う。

どちらか一方だけでは文字通り片手落ちで、それこそ両輪の
如く両方とも過不足なく保つコトが重要なのだと思うのだが、
バランスを保つのは難しいし、そもそも両者をきちんと識別
している人がどれだけいるか、というトコロも微妙であろう。

とかくモノゴトというのは境界が曖昧な上に複雑極まりない
関係性を持つのだから、突き詰めれば実は渾然一体だなんて
言い張るコトもできたりするんだけれども人間そんなに深い
トコロのハナシばかりで生きていられるワケもないワケだし、
きっと、ある程度は意識してモノゴトに接した方が良かろう。

とはいえヒトは有限の(しばしば自分の認識より乏しい)能力
しか持ち合わせておらず、そのリソースをフルに使い切って
モノゴトの識別に没頭できたとしても、とても足りはしない。
そも何事かに対し一辺倒なんて、ヒトにできるコトでもない。

結局、常に努力は怠らないが限界を知りつつ、という程度に
落ち着いてしまうあたりが、ヒトという存在の漠たるトコロ。
だから自分自身やヒトについて、信頼しきったりしたくない。

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2011.10.13

夢を見るのは夜明け前

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実のトコロ、最も変化に時間が掛かり、しかも社会変革の障害となっているのが
ヒトビトの無意識領域であるというコトに、ひょっとしたらようやくではあるが
ヒトビト自身が気付きつつあるのかな、とも思うようになってきたりもする昨今。

薄っぺらい支持に頼って性急な政権交代ばかりを目指すなんて、長い目で見れば
誰の得にもならない“政治ギョーカイ”の空気に多くの人たちが倦み疲れている。
薄っぺらいマーケティングに頼って性急なシェア拡大ばかり目指すのも(以下略)。

中長期的な夢を実現していくには、短期的には「最悪でも大負けしない」程度で、
むしろ失敗を重ねるくらい織込済と思っている程度がいいんじゃないかと、思う。
たぶん、そのコトだって皆が気付いているのだけれど、実は夢が持てないのかも。

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2011.10.12

自称逸般塵の不通の日記(306) そういえば誕生日とやら、が過ぎていたようだ

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一昨年から、順調に自称年齢を上回りつつある。
それまで10年近くもの間、高い方に鯖を読んで
いたのだし、まだ当面そのまま自称するつもり。
いずれにせよ長きに渡って中年と呼ばれるのだ。

そういう意味でいえば歳月は緩慢に過ぎていく。
年齢を重ねるにつれて年月の経過は早く感じる、
というが、相殺し合うせいか、さほどでもない。

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2011.10.11

所持品紹介(30) ヒョウタンで何を注ぎますか

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「何もない」のが良いとはいっても、
それは都会と比較してのコトであり、
全く何もないというハナシではない。
都会の流通網に乗りにくい品もある。

林業の盛んな村で瓢箪が売られてた。
木栓と紐がつき、そのまま使えそう。
今度、何か入れて試してみようかな。

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2011.10.10

「何もない」に対する需要と供給

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毎年、秋になると必ず、散歩の頻度が急増する。
連休の真ん中の日曜は実家からドライブに出た。
たいてい行き先は当日になってから決めてるが、
比企丘陵から秩父あたりが、ほぼ定番コースだ。
川越から日帰りで往復できるし、まず飽きない。

20年30年も訪れているから道も覚えるものだが、
それでも時の経過は景色を少しずつ変えてきた。
新しく開通した道に入り込んで思わぬトコロに
出たり、路肩もなかかったような道が歩道つき
二車線になっていたり、川の護岸ができてたり、
自治体が新しく作った大きな施設が登場したり、
はたまた民家だったトコロが店になっていたり。

地元では、「何(の産業)もない地域」と言うが、
すぐに(物理的にも経済的にも)高いビルを建て、
視界を四角く埋めてしまう都会に疲れた人には、
そのコトこそホッとさせてくれるというもので、
休日には都会からの人たちが遊びに訪れてくる。
自家用車や自動二輪も多いが徒歩の人もいるし、
最近はロードレーサーを漕いで走る人も多いな。

そんな中で、気付けば増えてきたのが、喫茶店。
何かをしに来たのではなく、何もしない目的で
山里をブラブラしようとしている人には嬉しい。

今回は、普段より少しだけ山奥へ車を走らせた
ところ川辺の草原に椅子を出している店を見て、
秋晴れの空と涼しい風に誘われ衝動的に入った。
昼下がりの日差しが雲間から光の箭を射し掛け、
尾花の穂と川面が斜光線を乱反射させてくれる。
川向こうでは神社の祭礼が行われていて合図の
花火が刻を告げ、そして煙が風に流されてゆく。

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2011.10.09

歴史裁判の膨張席

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件の“日記”には恐怖政治の様子も淡々と記されている。その中から目立ったものを抜粋して列挙してみよう。(セレスタン・ギタール/レイモン・オベール編/河盛好蔵監訳「フランス革命下の一市民の日記」中公文庫)

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以上4名、敵への資金援助をはかり、とりわけ古物購入に際し公定価格をはるかに超える値段の現金を支払って、共和国を敵の手にわたす行為を働いた廉により死刑。
(1792年5月22日)

以上全員、反革命的陰謀、通行証及び居住証明書偽造、反動的文書作成の廉により死刑。
(1792年5月25日)

以上の者は次の事実により人民の敵であることが判明した。敵との内通、カペーの陰謀への荷担、国会解散の扇動、陰謀者の逃亡幇助、職権濫用による人民虐待、亡命者がまだ国内に居住しているという虚偽の証言。よって全員に死刑が宣告された。
(1792年7月11日)

以上29名は次の事実により人民の敵であることが判明した。敵との内通、カペーの陰謀に荷担、8月10日の人民虐殺に参加、暴君の犯罪に同調、反革命的な言動、権力の簒奪または濫用、狂信主義による内乱の扇動、アッシニャ紙幣の信用毀損、孕んだ牝羊を殺して食料に損害を与えたこと、等。よって全員死刑。
(1792年7月15日)

以上29名は次の事実によってフランスの敵であることが判明した。敵への援助と内通、諸県における騒乱と分裂の画策、王政復活の扇動、国民公会の中傷と法の無視、壁に貼付された法令を引き剥がしたこと、狂信主義の宣伝、反革命謀議による民心攪乱、亡命幇助、公園等に紙幣その他の物件を隠匿したこと、等。よって全員死刑。
(1792年7月19日)

以上28名は次の事実によってフランスの敵であることが判明した。ライン方面軍のための徴発への妨害、馬糧の私消または買占め、汚職と不当徴税、国有財産の横領、敵との内通、軍調達品への不正行為、亡命幇助、虚報の流言、国旗の放棄、暴君の死への同情、聖職者に関する民事基本法への宣誓拒否、聖職者追放令への不服従、革命政府への反逆、国民徽章の蹂躙、穀物を隠匿して腐敗せしめ人民に供給しなかったこと、等。よって全員死刑。
(1792年7月21)

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激しいインフレの中で必要な物資を何とか確保したいあまり統制外の商品を調達したり、その販売者に多額の費用を支払っただけでも「反革命で死刑」、となるコトも、ヒトの社会においては充分あり得るハナシであった。
すっかり悪についての表現が飽和してしまって、どれだけ良くないのか判別し難くなっており、「反革命」であれば何の罪であろうとも最大級の表現で非難するコトが常態化した結果、「よって全員死刑」が流行していた。
こんなのは昔のハナシじゃない。今の先進国()でも、しばしば見受けられるコトだ。それこそ週刊誌や夕刊紙の見出しだとか、はたまたネット上の掲示板だのを見るといい。どれを見ても表現のインフレに苦笑いしてしまう。

だけど実際には、こんな風潮を醒めた目で見ている人も多いはず。“日記”執筆者にしても、諸外国との戦争の行く末には一喜一憂せざるを得ないが、「反革命なら死刑も致し方ないよね」という程度の感想でなかったか。
そして、こんな騒動をしていようとヒトビトは生活を続けねばならない。“日記”執筆者も物価暴騰や体調不良に悩まされつつ遣り繰りしていた。通貨のインフレとともに発生したのが刑罰のインフレだったというワケだ。
熱狂するのは一部だけ、ただしあまりに激しく活動するもんだから、それが社会の大勢であるかのように、周辺からは見られてしまう。そして周囲からは、やはり一部の危険視する者たちが主体となって、なんとなく争う。
となると、むしろ多くのヒトビトは、うんざりした目で騒乱を見ていたのかもしれない。ときには怒りに駆られたり集団的な狂乱に陥ったり、自分の身を守るために必要だと感じたときには暴力を使った、とは思うけれど。

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2011.10.08

自称逸般塵の不通の日記(305) 秋の夜長にも長い読書

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仕事が乏しいといいつつ、しばしば日がな一日、仕事をしている。
というか仕事が進まず呻吟し続けるのが日常だったりするワケで、
表面的には私生活の時間であっても仕事のコトを考えてたりする。
なので、もし仮に時給換算などしてしまったら酷いコトになろう。

そんな日々の、些やかな気分転換だとか息抜きになっているのが、
たまの散歩とか読書とか、少々のネット上の他愛もない話題など。

ここしばらく読んでいたのが、「フランス革命下の一市民の日記」
二世紀年以上も前にパリで生活していた少し裕福な70前後の男の、
同じパリ市内で繰り広げられていく歴史的な事件の数々に加えて、
自らの資産や兄弟の年金や友達などの動向を交えた老人の私生活。
一部省略しているものの、数年分の日記ほぼ全訳だから、分厚い。

アオリ文には、こんなふうにある。

「大革命の激動に編み込まれた無名の一市民ギタールの日記は、<正史>に記されない些細な日常生活のなかに、泣き笑いする人間の姿をいきいきと描き出す。恐怖政治の嵐が吹き荒れるさなか、芝居にゆき、食糧確保に奔走し、女に苦労する」

日記の記述は本人の周辺の出来事や感想などが中心となっていて、
今後あるべき社会の姿を考察するといった様子は特にみられない。
ひょっとしたら私生活の上では親しい人たちと喋っていたりして、
だけどギロチンの嵐が吹き荒れる中では日記にも書けない、とか、
そういう可能性も否定できないが、それにしても記述が全くない。

実は、歴史の大舞台の上に一緒になって立っているにも関わらず、
本人(を含む多くの市民)は観客のつもりなんじゃないかとも思う。
というより社会の動きに振り回され変化を追うのが精一杯なのか。

ふと、親しい人の中に少しばかり似ている人がいるのを思い出す。
ああきっと今の日本の多くを占める中高年なんかも、こんな感じ
なんだろうなと。いや「イマドキの年寄り」に限ったコトでなく、
もちろん「イマドキの若者」もそうだし、「イマドキの働き盛り」
だって大した違いはないのだろうけれど、それにしても興味深い。

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2011.10.07

たまには時事ネタ(79) 林檎の接ぎ木

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カリスマというのは、その代わりなど存在し得ないものだ。
ましてや、「稀代の」と称されるほどの人物になれば猶更。

上場企業でありながらオーナー社長の如き存在感を放った
というコトは、あらゆるステークホルダーが一人に信頼を
託していたという意味であり、それこそ代替などないから
こそ周囲が従ったワケで、そのステークホルダーの中には
当人をその得意分野において上回る者など居られやしない。

それゆえ今後は徐々に別の林檎の木となっていくしかない。

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2011.10.06

暗箱に針穴(38.5) 花は漫然と咲くものではないのではないか

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春の桜に比肩するような秋の花は存在しない、とは思う。
ただ、桜と並んで印象的な写真を撮りたくなる花として、
曼珠沙華は外せない、そういう気がしてならないけれど。

ちょうど春の盛りや秋の盛りに差し掛かる頃合に咲いて、
どこか儚げな、あるいは現実味を薄れさせる印象も共通。
そして、開花時には葉がないから花の存在感が際立つし、
しばしば多数の花が密集して一斉に咲き乱れ、あたりを
一色に染め上げる、あるいは一輪とか一株でも画になる。

彩りに加えて目に見えて分かりやすい季節の指標だから、
誰の目にでも、春や秋という過ごしやすい頃合を教える。
「暑さ寒さも彼岸まで」即ち「彼岸花は秋本番の知らせ」
そんな意味合いも込めつつ季語の如くフレームに納める。

そうそう、誰もが撮るだけに撮り方も工夫が必要という
あたりもまた顕著な共通点かもしれないな、この花々は。

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2011.10.05

暗箱に針穴(38) 咲き誇る足許の花々には目もくれなゐの天邪鬼

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晴れ間の最後という予報だった火曜日、ちょっと出掛けた。

自宅を出る直前まで行き先を決めていなかったが、今回は
本格的に遠出できるほど早起きできなかったので近郊にて、
そいえば丁度頃合だったなという漠然とした記憶を頼りに、
高麗川の巾着田を歩いてみるコトにした。約半年ぶりだな。

たまたま作業時間や懐具合に少しばかり余裕があっただけ、
秋晴れの下で歩くと汗も出るけど風が吹けば涼しく快適で、
夏の活動不足を取り戻したいと思っていたに過ぎなかった。
要するに涼しいからカメラを提げて歩き回りたかったのだ。

ところが行ってみれば曼珠沙華は真っ盛り、平日で幸いだ。
休日だったら大混雑で歩くにも支障が生じたコトであろう。
他の客は如何にも散策好きといった風情の中高年が中心で、
そこに混じって若い世代が若干数、落ち着いて歩き回れた。

ヒガンバナというのは赤ばかりでなく、最近は白や黄色の
品種も登場し、ところどころにアクセントを添えてくれる。
けれども木々が成す緑の天蓋の下は一面に真っ赤な絨毯だ。
まだ紅葉には早い初秋の濃緑と、濃厚な赤のコントラスト。

どちらもアンダー気味にて深みを感じさせるのが好みだが、
満開だからとい花ばかりの画面にするのは好きになれない。
夕方近くの斜光線で木漏れ日が斑に照る花絨毯も良いけど、
今回は少し趣向を変えて、花を背景に使うコトにしてみた。

緑色濃い葉に寄り、絞り込んで背景の花の輪郭を残しつつ、
黒潰れ寸前の樹幹を入れ、高めの感度でザラッとした画に。

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2011.10.04

自称逸般塵の不通の日記(304) 消化する日

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土日の夜は、寝室に布団を敷いて寝た。物凄く久し振りなコトだ。
なにしろ夏の間ずっと仕事部屋を兼ねる居間で寝ていたのだから。

そして仕事が遅れていて余裕がなく溜まっていた新聞を読んだり、
週内に終えようとしている作業を少し進めておこうと思ってたが、
未明に生じた衝撃で、その予定を大きく変えざるを得なくなった。

完了した仕事の資料を積んでいだ山が何の前触れもなく崩壊した。
大半は目の回るほど忙しかった昨年の夏から秋にかけてのものだ。
どうせ山の高さが危険なレベルだったので遠からず片付けようと
思っていたし、日中でも涼しいから丁度良い頃合だと取り掛かる。

資料には、宮崎から帯広まで日本中を出張して回った記録がある。
不測の事態も多かったが楽しくもあった旅を思い出しつつ束ねる。
旅費も掛かったし、外食ばかりになるなど生活費も嵩んだけれど、
それなりに稼いでいたのは事実、資料の多さが示している通りだ。

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2011.10.03

歩くべきか歩かざるべきか、そういう問題もある

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散歩では、今も残る川や人工水路や、水の失われた旧河道などを巡るコトが多い。
水が重力に従って流れるのは物理法則、その川が地形を作り出すのは地学の分野、
そこにヒトが生活を営み地理歴史公民の領域が展開される、そんな楽しみがある。

城西地域あたりは洪積台地を川が穿った土地柄だけに地形から河川を辿りやすい。
水害を減らすなどの目的から、かなり河川改修の手も加えられてきた経緯はある
けれども、この地域が農村から住宅地となって一世紀そこらの歴史しかないので、
まだ地形図を確認しつつ実際に踏破していけば原地形の様子も容易に想像できる。

一年ほど前からは徒歩だけでなくサイクリングも可能になったおかげで以前より
水路巡りは効率的になって、もう神田川水系の大半を網羅するまでになっている。
残るは、もはや暗渠となった支流が、おそらく数える程度しかないと推測される
状況だから、今は他の水系とか、“上水系”人工水路などにも手を広げつつある。

日曜には、自宅から数里程度の範囲で、まだ完遂していなかったルートが残って
いたのを潰すべく、午後から宵の口くらいまで費やして三輪車で走り回ってきた。
日没まで走ろうと昼下がりに走り出したが、日暮れて帰ろうとしていたトコロで
事前に意図していなかった水路っぽい道路に遭遇し、さらに遠回りをしたりして、
所要時間4時間弱、帰宅後に調べてみれば36.5kmあまりの道程で約9km/hとの計算。

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2011.10.02

Rのつかない月の翌月には散歩したくないとかいうハナシ

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秋らしく涼しい日々が続くようになってきてようやく出歩けるようになってきた。
なにしろ暑い中での運動が苦手だから初夏以降ほとんど散歩をしていなかったし、
(つい踏み込むから)より運動量の多いサイクリングなど以ての外といった有様だ。

これから本格的に走る機会も増えてくるのだからと三輪車の調子も念入りに確認。
カバーをかけているとはいえ未舗装の地面に雨晒しだから雨粒に撥ねた泥粒など
足回りに付着していたり、チェーンも油切れでギア鳴りがするほどの状態だった。

リムの汚れを拭って、タイヤの空気圧をチェックし、大汗かいて空気を入れ直す。
10月にしては温度が低いという夕方、20℃前後の気温といえど眼鏡に汗が垂れた。
手許には携帯用のポンプしかないのだ。体重を乗せて使える大型ポンプが欲しい。

しかし走り出せば涼しい風が運動による熱量を流し去ってくれるので快適なもの。
歩行者用の筋肉だからか高速回転は苦手なのだけどギアを重たくして踏み込めば
自分でも意外なほどの加速感があり、サイクリングが久々であるコトを実感する。

途中ちょっと自転車屋に寄って潤滑油スプレーなど買い、帰ってきて吹き付ける。
すっかり暗くなった中での作業だったので、今回はチェーンとスプロケットだけ。
様子をみるため自宅周辺を乗り回してみれば、驚くほど静かで軽くなった印象だ。

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2011.10.01

自称逸般塵の不通の日記(303) 昼過ぎてから始まる休息日

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仕事の量は少ないながらも進捗などの問題を抱え続けて1~2週間、
常に仕事を頭の片隅に置きながら生活していたせいかもしれない、
科学系のイベントがあって出掛けようと思っていた土曜に寝過す。
いや正しくは朝きちんと起きたけど眠気が強く二度寝したのだが。

どうせ毎年開催のイベントだし、数年前に一度行ったコトがある。
遠出しなくても気晴らしは可能なのだから、もうすっかり夕方に
なっているけれど、今から近所をブラブラしてくるのも悪くない。
夏の間ほとんど走っていなかったからサイクリングでもするかな。

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