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2011.11.19

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(80) 人を僻まば墓場まで

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正義をかざして他者を攻撃するヒトビトの意識を読み解こうと、
少しばかり考えてみたりするコトは、昔からたまにあるけれど、
いささかアタマが悪いのか、どうも完全に同意しかねてばかり。

ときには正義を口にする当人の力では課題を解決するに至らず、
なんだか、より上位の正義だか秩序を司る存在から力を借りて、
それを実現しようとするような様子も見受けられたりするけど、
(「言いつけてやる」と思えなくもないが、それはさて置いて)
その正義とか権威などに備わるらしい継承関係を辿ってったら、
最終的には何があるのか、それは人類共通のものなのだろうか。

懲罰を与えようとする対象もまた同じ根に繋がる別の枝にあり、
それが可能だとしても、根に相当する上位存在は、下の枝から
指示を受けて動くようなコトなどなく、飽くまでも根そのもの
が持つ基準に照らして懲罰に値するかどうかを判断するワケで、
むしろ枝の先にいる存在が濫りに権威を借りるのは好まぬはず。
では逆に「オレサマの正義に照らして許さない」とかいうのは、
実はソレ、単なる個人的な感情なんじゃないか、と思うワケで。

「オレサマがこんなに本気なのにアイツらは馬鹿にして」とか、
「オレサマがこんなに苦労しているのにアイツらはのうのうと」
とか、そういう風な感覚を、自分自身の中に掘り下げていくと、
実は単なる僻みだとか妬みだとか嫉みから発していたりしない?

それって果たして正義なんだろうか、普遍的なナニカなのかと。
それとも、ヨノナカの多くのヒトビトにとって正義というのは
個人的な恨み辛みを晴らすための大義名分だったりするのかな。
だとしたら上位の権威や正義を借りるのも矛盾となるけれども。

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とはいえヒトというのは矛盾から逃れられないイキモノであり、
せいぜいその矛盾を少しばかり減らしたり増やしたりする程度。
矛盾の全体量を減らすつもりでいるならば大きな矛盾に繋がる
ような考え方を切り捨てたり切り替えたりしていくと良かろう。

僻んでばかりいたら一生ずっと満足するコトなく死に至るので、
そんな詰まらぬ人生を送りたくないから僻まないで済むように、
「自分専用道」を、かなり苦労は伴うが、目指しているのかも。

そんな風に、他人の生き方を見て、我が身を振り返ったりする。

僻みに僻みで対抗しても、きっと物悲しくなるだけであろうし。

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