« 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(81) “パンとさぁ、カス” | トップページ | 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(82) 『積みにくいんで一思いに混ぜちゃった』 »

2011.11.29

断定イズムはダンディズムに非ず?

20111129_img_8628_1s


少し前のデキゴトに関する整理された情報というのもまた、
垂れ流し生中継などとは違った意味での課題があるもので、
情報を取捨選択し編集する過程で必ずヒトが介在するから、
その影響を避けられないというのが特に大きな問題となる。

よく見受けられるのは特定の媒体や個人が発信する情報に、
「○○は信用に値しない」とか「しょせん○○の言うコト」
とか言って全く信じようとしなくなってしまうような現象。

その程度であっても、いったん固定観念ができてしまうと、
硬直した部分のせいで、思考の柔軟性は大きく損なわれる。

疑い始めたら、何もかも信用に値しないと考える人もいる。
そういう人たちが集まって、それぞれの妄想を持ち寄って、
結びつけ合って虚構のセカイを作り上げるコトだって今の
ネットワーク上では可能にするくらいの人数を集められる。

そういう完全虚構の世界観を下敷きに「すっかりふしぎな」
小説とか漫画とか書いてみたら面白いんじゃないかなとも
思ってみたりするが、考えると長くなるので機会を改めて。

--
さて。

情報を整理伝達する側と受け取る側には相互作用があって、
あまりにも「分かりやすさ」に腐心しすぎればまた問題だ。
たとえば確率論でしか説明できないようなモノゴトなのに、
断定的な言い方をしてしまっても良いものだろうか、とか。

しばしば世間の人気を集めているような人物を見ていると、
「○○は害悪」というような断定的かつ排除的な物言いが。
現代だというのに何故か近代ていうか前近代的な権威主義。

それなりに意味があってのモノゴトでさえ構わずに「害悪」
なんて言い切ってしまうのは対象に失礼というのもあるが、
そもそも情報の受け手を馬鹿にしすぎた発言ではないかな。

だいたいにして、相手がどのように受容するかなんてのは
発言する側からコントロールできるコトではないのだから、
むしろ相手の判断に委ねておいてほしい、という気がして、
それだけでも反発しそうになってしまう衝動を堪えている。

相手に能力がないと決めつけているかのような押しつけは、
自分に能力がないコトの裏返しなのではないかとさえ思う。

もちろん、断定して強行する言動には対象や周囲の行動を
促し、状況を動かしていこうとする目的もあるのだけれど、
そうやって性急に進めていけば足許は不安定になるワケで、
要するに「勝ち逃げ」構図を狙う以外に道のない拙速な術。

「雄々しい」とか「男らしい」という様子には裏もあって、
実は「無駄に声がでかい」「押しつけがましい」でもある。

--
激した感情的な言動は、その受容が可能な人たちにとってみれば即発的に影響する。
一方で抑制的な言動は、相手が気付くまでは効かないけれど気付いた頃には安心感。
拙速を採るか巧遅を採るか、という単純な区分だけではないような気もするけれど。

|

« 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(81) “パンとさぁ、カス” | トップページ | 役に立つか苦言かどうかは受け手次第(82) 『積みにくいんで一思いに混ぜちゃった』 »