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2011/12/12

自称逸般塵の不通の日記(322) サタデー月食ナイト朝生フィーバー

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土曜の深夜の月食は自宅に戻って区内の公園で近所の友達と落ち合った。
三輪車の荷台に一眼レフと反射式の望遠レンズと三脚を積み漕ぎ出せば、
町中の人々が路上や庭やベランダから天を見上げる奇妙な光景に出会う。

帰りが予定より遅れたので現地に到着した頃には皆既食に入っていたが、
皆既収量までには地球大気の影により真っ赤に染まる月を撮影できたし、
その後の部分食の経過も少しばかり追跡し、おおむね満足して友人宅へ。

なにせ彼と会って喋る機会は久々だので、とにかくハナシをしたかった。

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理屈っぽい喋りをするコトもあるけど、むしろどちらかというと漠然と
した大枠で感覚に基づき考え、たとえ論理的に辻褄の合う説明が可能な
モノゴトであっても気分的に納得できなければ首を縦に振らない中年男。

対する相手は普通に感情を持つものの論理的に筋道立てて考えて行動し、
それをしない(できない)存在への理解が少々手薄なトコロもあるようで、
要するに思考スタイルが大きく異なる相手同士、そういう関係だもんで
根本的な部分では必ずと言っていいくらいに食い違うのは当然の帰結だ。

頻繁に会って対話していかないとズレが生じて齟齬を来すので対話する。
かれこれ十数年の付き合いになるが、定期的な対話による補正は不可欠。
対話を怠ったのが原因とみられる衝突などは数えきれぬほど生じたのだ。

対話の冒頭、だいたい相手は議論あるいは論戦的スタイルで喋り始める。
こちらは意見交換のつもりで喋るから、必ずどこかで対話は行き詰まる。
そこでようやく両者は対話のスタイルを切り替えて、噛み合わせられる。
もちろん、頻繁に会っていれば、その調整をしなくても済むのだけどね。

地球の影に入った月は、しかし真っ暗になるのでく、大気層で拡散した
光を照り返して弱々しく、不均等に赤く、その姿を天空に漂わせていた。

普段は眩しくて直視し続けたくない満月だけれど、その光の刺々しさが
少しばかり弱まれば、むしろ長く眺めていたいと思えるのかもしれない。

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