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2011.12.29

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(84) 『老いては子に従え』るような状況を作っていくには何をすればいいのか考えてみたコトはあるかい?

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たとえば家族の問題について親だけで考え込んでしまう例がしばしばあって、
子供たちと一緒に考えようなコトをしないのだろうか、とか思うコトしきり。

子供たちの世代は、むしろ親の世代などより遙かに適応力が高い存在であり、
現状では親の庇護下にあるといえど成長につれて環境の変化に適応していく。
当然ながら、そういう成長を遂げるためには、相応の練習期間も必要となる。

保護者や教育関係者や行政が考えたコトを子供たちに与えたいという考えは、
むしろ受動的な人間たちを社会に送り出してしまいかねない危険を伴うもの。

そりゃもちろん、子供たちの発達度合いを見極めながら行った方が望ましい
のだろうけれども、段階に応じて子供たち自身の自発的な判断を促し、かつ
それを尊重していこうとする親たちの姿勢がなくては、ずっと発達できない。

子供に難しい判断をさせられないからと全てを親が決定して手を出した結果、
目出度くアラフォーニートを育ててしまったなんて例も、すでに珍しくない。

それはそれで「デキの悪い子供を甲斐甲斐しく育て続ける老親」ってコトで、
その部分だけ切り出せば美談にも仕立てられるハナシだけど、先行きは暗い。
遡れば「デキの悪い子供」にしてしまったのは親たちの過干渉ゆえでもある。

企業でも、部下のデキが悪いからと判断をさせず権限も与えないまま仕事を
させ、任せられる部下がいないと嘆く上司など数えきれぬほど転がっている。

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自分自身で決断してモノゴトを進めてきたという自負があるのなら尚のコト、
同様に他の人たちも自ら判断して進めるコトができるように仕向けりゃいい、
なんて思ってしまうのは、完璧主義を諦め怠け者に転向した偏屈な中年男の
勝手な理屈に過ぎないのかもしれないけれど、それなりの道理もあると思う。

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