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2011.12.16

今年は“傾聴年間”かもしれない

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ちょっとしたコトで他人を尊敬したり軽蔑したりするのは慌ただしいので好かん。
尊敬できるトコロも軽蔑したくなるトコロが誰にもあると思っとけばいいだろう。

だもんで、わざわざ正面きって批判したり是正を促すなど手を出すのは面倒至極。
いずれ自分から気付く機会があるだろう(なければそれまでの人物に過ぎぬ)から、
そのとき何らかの罪悪感を催し深く反省すれば、それで充分じゃないかと考える。

その人が、どのような概念で、目的で、そして対象で、コトバを使っているのか、
しばらく観察したり、ときに対話したりしていれば、そこそこ想像できるワケで、
そうやって相手の像を作り上げて、さらに修正を加えて、精度を向上させていく。

初期には混乱もあるが修正が進んでいけば徐々に減っていき、相手の言うコトを
文面だけでなく文脈からも読めるようになっていく。そうなればレッテルも無用。

どうも今年は「絆」だの何だのというコトで、過去に繋がりのなかった相手とも
いろいろなカタチで接する機会が増えたが、多くの人が似たような状況にあろう。
ついでに傾きかけている社会の構造も見直しが必要だという認識も共通であろう。

それぞれがそれぞれの立場で、知識で、知恵で、こうありたいこうなってほしい
という願望や目標やらに向けて、いろいろ考えては発信するヨノナカにあるけど、
一斉に喋ればコトバで飽和してしまうと思うので、今はハナシを聞くようにする。

相当に自分勝手な生き方をしてきたし、今後もそうするつもりなので、もし何か
“直ちに”危険が及ぶようなら勝手に動くだろうけど、そのための情報としても。

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