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2011/12/22

ところで専門家の扱いについて素人っぽく考えてみた件

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このところ「素人」が「専門家」を糾弾する例が目立ってるように思う。

まあ確かに専門家というのは専門性を持つが故に特定方向の視点を持つ
ケースが多く、その意味では社会の他の部分から乖離しがちではあろう。
しかもネット上では気が緩むのか不用意な発言が飛び出しがちだったり、
社会の混乱が増大するにつれ過去の実績や業績が時代から取り残されて
しまいがちだったり、といった事情も、おそらくは相当に影響している。

もちろん、それなりに理由があるからこそ批判は行われるものでもある。
たとえばジャーナリストであれば、たとえそれが単なる雑談であろうと、
発言に相応の責任が求められる。政治家や官僚、医師、学者なども同様。
社会的に重要とされる立場ゆえ、その責任感を社会から求められるので。

一方で素人の側も、そういう専門家と同じ土俵で議論や対話をする環境
に姿を現して、専門家と言葉を交わせるようになってきたので、やはり
同じように(専門性はともかく)それなりの責任感が求められる気がする。

では、どんな責任感を持っておけばいいのか。それこそ素人の“専門”、
専門家の業績を利用する、享受する立場だという点にあるのではないか。
多種多様な専門家の存在なくしては我々の社会は成り立たないのだから。

状況が上手く行っていないコトは誰だって漠然と分かっている、と思う。
それこそ各分野の専門の人たちであろうと、ほぼ素人たちと同様に、だ。

極めて個人的な考えを述べておくと、既に問題意識を持ってる人に対し
さらに問題意識を焚きつけるなどは、正直なトコロあまり好ましくない。

専門であるがゆえに、失敗したと判断すれば改善を試みる可能性も高い。

ゆえに安易なレッテル貼りは控え、随時検討しつつ判断すべきでないか。

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むしろ失敗したコトを次の成功に繋げられる人物なら状況は改善しよう。
この激動の時代、変化し続ける環境に対応できるかどうかも、専門家に
求められる資質であるからして、そこを観察を続ければ検証できるはず。

逆に、一度でも失敗したら目もくれない、なんてのを繰り返していけば、
せいぜい失敗したコトのない未熟者にしか期待できなくなってしまって、
信頼できたかもしれない専門家を社会から一掃してしまうコトになろう。

まあ何の仕事していても仕事の分野に対しては専門家であってほしいし、
それ以外の分野でも学んで考えて成長しようとする姿勢は求めたいけど。

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