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2011/12/05

路傍の草とて道を知る術にはなる

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自分一人で何もかも遣って除けようなんて思わない。
ていうか、ヒトの能力や一生の時間を考えれば無理。
たかだか自分自身のコトでさえも、他人の手を借り
力を借り、それでどうにか衣食住を賄っているのだ。

一人の分を上回るような大きなモノゴトをするなら、
皆それぞれに手伝ってもらうしか実現しようがない。

だけど他人の言うコトなんて聞きゃしないのもヒト。
権限や権威、正義や大義、そんなのもアテにならん。
押してダメなら引いてみよう、味方に引き入れよう。
といって騙して勧誘したって後が宜しくないだろう。

せいぜいできるのは、示唆して考えてもらうくらい。
自分で考えて出した結論には誰だって従うだろうと。

ただしその方法だって不完全。多数のヒトの思考を、
一人のアタマで考えた通りに御せるはずもなかろう。
だから「だいたいこんな方向」ってのを示せる程度。
それで割と、皆バラバラに、結果として補い合って、
むしろそれなりの広さで網羅してくれたりするかも。

むろんヒトなので完全とはいえず、どこかしら穴が
空いたりムラができてしまったりするコトもあろう、
そうなったらそうなったで、誰か別の人が気付いて
同じように人をう促して埋めてくれたりしないかな。

完璧だとか完璧になれるとは到底思えないからこそ、
不完全ながら完全を目指す道筋を示唆できればいい。

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吹き荒れる雨風や荒れ狂う波の中でも微動だにせぬ
灯台のような存在になるのは諦めた、というか無理。

せいぜい波風に揺られつつ錨鎖の届く範囲で留まる
浮標くらいの存在だったらできるかなと思っている。

それでもヒト社会の変動は激しく急で容赦がなくて、
ヒトビトの流れに、流されていくのか、どうなのか。
ただ他の人たちに迷惑をかけぬように、とは思うが。

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