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2011.12.31

牢に野心を放り込むと老爺心?

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絆が必要だと言われつつもヒトビトあるいはヒト集団の孤立化先鋭化が
急速に進んで、それこそ疑心暗鬼の壁が立ちはだかるように思えた今年。

相補関係にある存在を対立関係であるかのように扱うコトは問題が多い。

それこそマスメディア対フリーランスジャーナリストの構図なんぞ酷い。
たとえば「大手メディアは報じません」なんて宣伝文句を気軽に使うと
「だから大手はダメだ」と発言しているようにも見えてしまったりする。
仮に宣伝文句でなく、「問題のある大組織はどれだけ叩いても道義的に
問題ない」とか「このくらい叩いても壊れない」という感覚に基づいた
発言だったとしたなら、もっと残念な発言な気もするがそれはともかく。

プロに文句をつける素人というのは要するに人間不信なのかと疑うし、
競合に文句を付ける玄人というのは要するにネガキャンかとも思える。
要するに受け手の側にはそういった疑念が働くものと思っておきたい。

ソーシャル()なネットの活用によってフリーランスでもマスメディアに
迫る数の読者視聴者を獲得できたり多数の協力者を得られるようになり
つつあるので、ついつい対立構図にしたくなってしまうキモチは職業人
としてもあるだろうし、既存メディアに不満を持つ層を顧客として獲得
する作戦として効果的であろうとも思うのだけれども、しかしそれでも、
首根っこのトコロが単独の存在と体系立てられた組織とでは違うワケで、
むしろ異なる視点があるからこそ社会全体として広い視野が持てように。

希望的観測としては、今のトコロ悪目立ちしている一部の連中のせいで
全体が良くないように錯覚しているに過ぎず、いずれそれらが淘汰され
あるいは沈静化するコトで落ち着いてくるのかもしれん、とも思うけど。

「マッチョな思想の反省」というのをどこかで見たが、だからといって
それに対してマッチョな姿勢で反省をしていていいのかどうか、と思う。
それこそ大きな振り子運動でしかないのではないかとも思うけれど如何。
もっと言うなら、そういった強い反動は単なる権力闘争のようなもので、
ただの旧体制の後釜にしかならないのではないか、とさえ穿って思える。

だから全く異なる観点から、バネにダンパーを取り付けるような感じで
振動を弱めるような力を加えていくような考え方を、していきたいよな。

よく人は「間違いを指摘する」とか簡単に言い切ってしまいがちだけど、
明快に指摘できる論理矛盾などは別として個々人の感性に依存する事柄
にまで安易に適用してしまって、余計な諍いを呼び込んだりするもので。

よく人は「真実」だの「事実」だの簡単に言い切ってしまいがちだけど、
明快に表現できるモノゴトなど実は非常に限られているとは気付かずに
脳内の感覚を垂れ流しては異論反論に出会って嘆いたりするのも人間だ。

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とにかく批判というのは、なかなかに扱いが難しいもので、やもすると
その批判の刃が第三者に悪用されてしまったり、そこまで至らなくても
別の第三者に大きなダメージを与えてしまったりするケースも多いから、
その抑止力として使った本人に返ってくる刃も仕込んだり、非難めいた
成分を削減するなど心掛けたりもしているし、そうした工夫をした方が
より実態に近い意図を伝えられるのではないかと思っているのだけれど。

他者と対話するにしても議論するにしても、あるいは一方的な批判など
であっても、その相手が自分よりも知識や思考能力の面で上回っている
可能性を念頭に置き、かつその優劣が想定外のトコロにもあり得るとも
考え、注意深く自他および第三者を観察しつつ行うようにしたいもので。

誰かを「愚かだ」「完全に間違いだ」などと指摘する行為を避けるのは、
自分自身の浅慮なるコトを恐れる意図があると同時に、相手に深慮ある
可能性を想定してのものでもあり、いつの間にか身に付いたように思う。

本能なのか知らんがヒトは放っとくと勝手に勝ち負けで考えがちだけど、
常日頃から他者と比較したり、競争だとか勝負をしたりするような感覚
でいると精神的に疲れてしまうので、それが面倒でやめたのかもしれん。
ある意味で、勝敗とかそういう感覚の弊害に負けて逃げたようなもんだ。

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