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2011.12.24

とりあえず人間的な成長なんぞボンヤリと考えてみた件

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いろいろ考えると、やはりヨノナカには相当数の「プロでないヒトビト」
がいるという認識に立った方が、おそらく妥当らしいように思えてくる。

他人に対して文句ばかりの、完璧な被害者であるかの如き発言が目立つ。
要するに社会の中でのオキャクサマ的存在であると自らを定義していて、
“当然得られるべき”サービスの品質が満たなければ文句を言う権利が
あってそれを行使しなければならない、というコトになるのではないか。

たかがヒトの作り上げたものに過ぎない社会の仕組みを神格化するのか。

なんか知らんがヨノナカには明文化されたものもそうでないものも含め
細かな規則が無数にあって、家庭では親、学校では教師、職場では上司、
の保護という名の監視の下で生き続けているせいか、「よくないコト」
即ペナルティという固定観念を持つに至ってしまったのかもしれないな。

世間に迷惑を及ぼした人物には必ず世間が罰を下すと信じて疑わぬのか。
(その迷惑とか処罰についての認識も人によって食い違うワケだけれど)

たとえば学校とか職場とかプライベートなグループだとかで、もともと
共通認識に乏しいグループの中で合意を形成していった経験を持つなら、
子供たちだけで集まって自らルールを作って遊ぶといった経験でもいい、
(ゲームのパーティプレイは用意されたルールを使った遊びなので除外)
そういった経験があれば、そんな認識に立つコトはないと思うのだけど。

だから、いわゆるネット上の無法地帯などで曲がりなりにも秩序立った
活動を実現してきた人たちのヒューマンスキルは相当なものだと考える。

さまざまな集団の中でもまれつつも自分で獲得してきたポジションには、
誰でも愛着が湧くもので、身に付けた姿勢にも違和感のないものとなる。

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他の多くの人たちが純真で騙されやすい被害者であり自分は気付いた少数派で、
被害者たちの目を開かせ糾合して人心を惑わす連中を糾弾し以て正義を為さん、
てな主旨の発言をする人物は、他人が意志を持ち考えているとは思っていまい。

人それぞれが自ら情報を得て考えて判断して行動している独立した存在である、
とは考えておらず、今ある権威の代わりに別の新たな権威を挿げる如き活動に
汲々とするのは、要するに他人を莫迦にした認識ではないかと思うのだが如何。

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