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2012.01.08

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(85) 「鰯の頭も信じん」からのハナシ

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「○○は信じられない」「もう二度と信じない」など決めつけられる人は
幸いなるかな。決めさえすれば判断に要する思考コストを削減できるから。

もちろん人により程度には差があって、「信じられない」なんて表現には、
おしなべて見ると「全部嘘」から「鵜呑みにせず逐一検証の上活用すべし」
くらい幅があるワケで、安易に使われると率直に受け取れなかったりする。

これが「信じる」「信じない」の二元論的な判断基準の中で使われている
とすれば、「疑いを残しつつ採用する」な状況を想定できず問題もあろう。
(二元論は宗教的、中間状態を認識するのは科学的とも思うがこれは余談)
要するに発言者の真意を的確に伝える表現として使うには不適切とも言え、
程度を示す修飾表現を追加してもらうなり、文脈から読み解く必要がある。

そして多くの場合、こういった「信じられない」など数々の表現を実際に
どのようなニュアンスで使っているか、といった理解を深めていくコトが、
相手の真意に迫る道筋において欠かせないと思うが、そこは機会を改めて。

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さて本題に戻って、他者を信じるという意識の働きについて深掘りしよう。
信じるとは、その人が裏切らないとか失敗しないコトを信じるというより、
その人の失敗や裏切りも受け入れるというコトなんじゃないか、と考える。

他者を信じて託す考え方は“奴隷状態”だ、なんて指摘も受けたけれども、
どこまで信じてどこまで託すかは、先に触れたように灰色のゾーンがある。
そしてヨノナカたいてい、白でも黒でもない部分に落とし処があるものだ。

人によっては灰色を灰色として認識できず、どれも白くなくてダメだとか
いずれ黒さを増してしまうからダメだなんて思うのかもしれないけれども、
実際のモノゴトを数多く眺めていけば、白かと思えば黒が混じっていたり
黒かと思えば白が混じったりというのが実態なのだと理解できるとも思う。

そしてヨノナカのヒトビトを見ていれば、それぞれ不完全ではあるけれど、
それぞれの能力と役割に応じて、それぞれの成果を出そうとしているもの。
「たぶん自分より上手くやってくれている、それでもダメなら仕方ない」
てな具合に考えていけるようになれば、少しは気楽になれると思うのだ。

自分の代わりに何かを見付けたり騒いだり憤慨したりしてくれる人がいる。
それについて測ったり調べたり計算したり検討したりしてくれる人がいる。
自分自身一人きりで何もかもできるなんて考えるのは思い上がりに過ぎぬ
というのは過去に何度となく思い知らされたコトであるから、割り切った。

他人などに任せていられないなんて考えは、ある種の狭量さの発露かもな。

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