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2012/01/21

必ずしも顔を突き合わせているワケではないが隣人と思えば喧嘩もしづらくなる

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コミュニケーションに齟齬が生じているような場面に第三者として口出しを
してしまうコトが、たまにある。いや、結構ちょくちょくやっている、かも。

そいえば中学生くらいの頃だったか、二頭の飼い犬を連れて散歩していたら
途中で喧嘩をし始めて互いに噛み合うまでに発展してしまったコトがあった。
実家は田舎、というか農村。飼い犬は貰ってきた雑種で去勢も行っていない
雄犬同士、喧嘩を始めると激しい。散歩の現場は集落の東に広がる田圃の中。
思い切って両方の口に手を突っ込んで引き離した。当然、手は血まみれだが、
離した後に思い切り叱りつけてその場を収めて、引き摺るように連れ帰った。

中学の頃あたりまでは自分から喧嘩をしていた方だったが、高校あたりから、
どちらかといえば仲裁する側に回る場面が増えていったように記憶している。
(とはいえ、会社に入ってからも上司と喧嘩をしていたコトはあるのだけど)

そして社会人になってからは“犬も食わぬ”喧嘩に口出ししたコトも何度か。
インターネット時代になってからは掲示板の上での喧嘩などにも口を出した。

実家にて甥たちが兄弟喧嘩をするような場面に出くわしたなら両方を叱って
「喧嘩両成敗」、両者に反省を促して、叱った本人も後でコッソリ自己批判。

こんな傾向は、今もなお続いているというか、まあそういう性質なのだろう。

こういう考え方は、たぶん子供の頃に親や兄たちそして周囲の大人たちから
実地で見習ったのだと思う。そしてそれは当時の大人たちも、きっと同様だ。
そう仕付けるコトがオトナになったとき最も紛争回避に役立つというコトを、
社会は経験として蓄積し、ある程度の人的厚みがあれば伝わっていくと思う。

個人的には、怒るという精神活動さえも面倒臭くてハードル高いと思うけど、
怒らぬも個人の勝手なら怒るのも勝手。ただ他人の怒りの矛先が向けられた
(と感じた)人からしてみれば他人の勝手を全て受け入れる義理もないワケで、
怒りが反射してきてしまいがちではある。といってそれをまた返してやると、
また返ってくる。こだまでしょうか。いいえ、にんげんだもの、当然だよね。

そこから先は、もう泥沼に突入してしまい、互いにダメージを受けるばかり。
だから第三者が(しばしばとばっちりを受け止むなくであったりもするけど)、
割って入ったりするのも、きっと互いの為になるのではないかと思うのだな。
もちろん何から何まで口出しをしたいのではなく、そうしたいと思ったとき、
そして能力や時間などの面で対応できると考えられるとき、だけだけれども。

むしろ当事者どうしで気付いて自発的に手を止め、次に生かしてもらいたい、
そんな考えもあって、他人に期待しつつ、自分では手を抜くようにしている。

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「だが凶報をもたらす者といっても、それには二通りある。もたらす者自身が凶事を行なう場合と、順調な時にはただ遠くから見守り、逆境にのみ助けを与えにやって来る者の場合とな」
(J.R.R.トールキン「指輪物語 二つの塔 上」瀬田貞二訳・評論社文庫)

ガンダルフは必要な場面にしか顔を出さないので多くの場所で歓迎されない。
そんな招かれざる客の立場でも役に立てるほどの能力があるならいいけどね。

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