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2012.01.20

風当たりが冷たいなら窓を閉めて、身体が温まってから出掛けよう

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撤退する勇気、あるいは「敵前逃亡という誹りを恐れぬ勇気」を奮うコトは、
ヒトにとってなかなか難しいのだろうとは思うのだが、大切なコトでもある。
距離を置い(相手と接触する時間距離を確保し)て、その間に体制を立て直し、
気持ちを切り替え、新たな作戦を練って、失地の回復を試みるコトができる。
武力での戦いの場ではもちろん、言論による戦いの場でも、似たようなもの。
ましてや戦場であれば追撃を躱すのも命懸けではあるが言論はそれより安全。

人間てのは基本的に変化していくもの。自ら考えて心境や行動を変化させる
コトができる存在ではあるのだが、とはいえ、外から期待されるほど迅速に
変わるコトは滅多にない、というか、どうしても時間を要してしまうものだ。

しかも、他者が変化するコトに対して人間が抱く期待感というのは、どうも
ヒトが一般的に持っている「変化する能力」よりずっと高いのが通例であり、
他者に対しては、しばしば妙に性急すぎる変化を期待してしまうものだから。

だもんで追撃の手というのは当人にとって厳しいものになってしまいがちで、
追う側もまた深追いしすぎ「手負いの獣」の如き手痛い反撃を受けたりする。
足を止めて倒れるまで撃ち合うのも、どちらにも勧められない結末になろう。

とかくヒトは直接攻撃ばかり考えてしまう傾向が強いけど、むしろ現実には
小競り合いに留めて適度な距離を維持しつつ相互に共存の道を探っていった
方がずっと望ましい、という具合に、常日頃から考えるようにしている昨今。

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むしろ中長期的な変化を期待して、行き過ぎた部分だけは反撃するけれども、
そして行き過ぎて反撃された部分については撤退するけれども、自他ともに
共存へ向けて変化していこうとする意志を確認し合いながら、距離を取ろう。

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