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2012.01.16

このクニのカタチ 昔様、今様、現代様のミナサマ

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歴史ドラマの用語について問題視する声があったりしたようだが、
個人的にはドラマの中で歌われていた「今様」の歌が気になった。
平安の今様なんぞ詳しくないが現代人の手による曲に思えたのだ。

歴史モノの作品の時代考証では、当時の風俗に関する学術的考察
はもちろん、観賞する現代人に伝わるかどうかという問題もある。
言語の地盤は常に変動し続け音楽的な感性もまた移り変わるもの、
どこまでリアルに描き、どこまで現代人に通じる作りにするのか、
その兼ね合いというのは制作する側にとって非常に難しいだろう。

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さてさて。いい加減、前振りが長くなりすぎたので本題に移ろう。

ネットの世界に跋扈する「ネトウヨ」は明治から昭和初期までの
いわゆる“戦前の常識”で歴史を認識し、それ以前の社会常識を
あまり知らずにいるのではないか、との指摘をしていた人がいる。

ヒトビトの生活風俗だって時代につれ地域によって大きく異なる。
それこそ言語なんぞにしたって、どんどんと変化しているもので、
10年前20年前ならまだしも50年一世紀前となると大きく変わった。
さらに遡ってそこから50年一世紀前となればまた全然違うワケで。

たとえば「正かな遣い」などを妙に尊重する人もいるようだけど、
それはまさに西洋文明を取り入れ明治時代人が練り上げた発明品、
しかも学校という近代のシステムを通じて全国に普及したものだ。

もっと前の時代であれば地域ごとの方言もさることながら身分に
由来する言葉遣いの違いも大きなものだったはずだし、漢字遣い
さえも画一されず、近現代の感覚でいえば当て字かと思えるほど。

生活スタイルも違うのは言うまでもないが、人間や経済や宗教に
対する意識だって少し遡れば全然違ったものとなっていて当然で、
しかもそれを現代人がどこまで把握できているか、という問題も。

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今や全国的に同じような風習が拡散していって風俗汚染とさえも
言われてしまうような社会状況に浸かりきっている現代人にとり、
集落一つひとつが少数民族の如くに独自の風習を持っていたのが
おそらく容易に想像するコトはできないだろうな、とも思うけど。

武蔵国の段丘入り混じる川沿いの八百年を経た古い神社の境内で
参道をまたいで建つ山門のような建物を子細に眺めていたときに、
左右の床を繋いで一つの舞台になるのだなと気が付いて思うのは、
これほど長きに渡って地域の人々の精神的紐帯だったという事実。

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