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2012.01.10

老爺心は余計なお世話かもしれないとは常に意識しているつもり

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「自分自身で考える」ってのを一個体の問題だと思ってしまうと不都合が生じる。
皆がそれぞれの考えを出し合って集団としての意見を形成していく活動でないと。
そういう活動のためには、まず自分と同程度に相手を尊重する必要があるだろう。

たいてい誰だって自尊心というのがあるし、大切にしているモノゴトもあるけど、
それらがどのような内容で、どのような優先順位になっているかは人それぞれだ。

自分の中の優先順位だって、なかなか明確にしづらいトコロがあるのも事実だが、
それはたいがい多くの人物も同様なのだから、対話の中で引き出したりしていく
必要があるワケだし、えてして注意深く観察する他者の方が鋭く察したりもする。

もちろん人により不用意に触れると危険な部位もあったりするから、接触初期の
対話の舵取りには神経を使うものの、そういう危険な時期を乗り越えられるなら
一致する部分や相違する部分を細かく掘り下げつつ相互理解を深めていけるはず。

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ときたま聞かれる、「対話するのは無駄」なんてのも残念なコトバだなあと思う。
「こうやったら相手はこうくるだろう」と想像しつつ、より話が進む方へ向けて
コトバを放っていく、そんなふうに相手の考える道筋が想定できるようになれば、
それを以てようやく一定の理解を得た、と言えるのではないかと思うのだが如何。

少なくとも、人間には対話という手段があって、それを通じて察したり慮ったり、
または共感したり違和感を覚えたりして相応の理解を得るコトがあるのは事実で、
そういった手法を安易に諦めてしまうのは勿体ないんじゃないかと個人的に思う。

たしかに面倒だし時間も掛かるし集中力や注意力を要する場面も少なからずあり、
また失敗して関係断絶や信用失墜に陥るコトもあるだろうとは思うのだけれども、
そういったコストやリスクを天秤にかけても、メリットは少なからずあるはずだ。

なにしろ自分自身が思いも寄らぬようなトコロを他人が考えてくれていたりして、
その一部を、対話を通じて得るコトができたりするのだから、勿体なすぎるよね。

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対話に限らず、他の人たちの認識したり考えたりしたモノゴトを取り入れるには、
ちょっとしたノウハウがあると思う。たとえば、とにかくいろいろな人物に触れ、
さまざまな時代や地域や立場のキャラクターだとかロールやケースなど観察して、
それらを脳内で具体的に動かせる程度にまで体得しておくといった方法もあろう。

その意味で歴史とか政治経済についての勉強てのは大事だと思うし、実は意外な
コトに、多種多様なフィクション作品に触れるなども、これまた役に立つと思う。

読者にとっての、その一つのサンプルにでもなれれば、まあ幸いというトコロか。

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