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2012/02/18

自称逸般塵の不通の日記(331) 途切れた関係

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その東京湾岸の街を仕事で訪れたのは時刻あたかも正午前。
午前中のアポイント先の都心部近くで食事を済ませてから
この場所へ移動してきた方が良かったな、とか思ったのは、
地下にある駅の改札から地上に上がった直後のコトだった。

適当な場所で食事を済ませてさらに少し散策するくらいの
時間的な余裕はあったので、飲食店どころかコンビニさえ
見当たらぬ駅前から隣の埋め立て地まで橋を渡って歩いて
みるコトにしてみたが、ずいぶんと歩いて辿り着いたのは
ショッピングセンター内のフードコート。それくらいだけ。

そこの客は小さな子供を連れた母親、あと若干の老人たち。
ショッピングセンター周辺は比較的新しい高層マンション
ばかりなので、まさにそこで生活してる人たちなのだろう。

次のアポイントがあるので手早く腹八分目に抑えとこうと
饂飩など注文して席を確保した頃、いかにも会社員らしい
背広姿の男たちがゾロゾロと入ってきて注文に並んできた。

男たちの大半は集団。3~4人グループというのが最も多い。
向かいの席の老人は一人だが他の多くの老人もグループだ。
一方、隣の席では2~3歳くらいの子供を連れた若い母親が
食事に飽きて食べ残したまま席を離れたがって小さな反抗
を企てる子供と買い物の大きな荷物とベビーカーの扱いに
孤軍奮闘して今にもキレそうになるのを必死で堪える様子。

そうだよね、会社勤めというのは、孤独じゃないんだよね。
だけど子育ての為に職場を離れた親というのは孤独なのか。

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職場に束縛されるのが必ずしも不幸であるとは限らないし、
自由業で一人フラフラ出歩くのが必ずしも自由とは限らず、
親だからとて子供と常に一緒であるのが決して楽しいとは
言えず、老いてなお都会で生きるのもまた幸いとは言えず。

基本的に大概の商品やサービスは対価を支払えば手に入る
のが都市であるけれど、その支払った向こうのコトまでは
ほとんど分からないし隣の人がナニモノか知る由もなくて。

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