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2012年2月

2012.02.29

たまには時事ネタ(81) そういえば今日は閏日

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ヒノマルの没落と日本人の官僚不信について考えてみた。

何というか日本人の特性なのか、個人レベルでは非常に
頑張りを見せる一方で、組織の運営では無駄が多すぎて
特に大きければ大きいほど役立ちにくくなるという法則。

それを知ってか知らずか、常日頃は大組織などに頼らず
イザというときだけ頼ろうとするのが、大多数の日本人。
さしずめ日本人にとってみれば神仏と同じようなものか。
普段は祟るな金取るな、だがオレサマの願い事は聞けと。

だもんでオールジャパンとかヒノマル何とかいったのは、
それこそあらゆるステークホルダーの願いを聞かされて、
全てに応じるべくリソースを割かされて各個撃破状態に。

まだ自然を相手にした方が限度が見えて楽ではないかと
思えてしまうくらい、組織に対する要求水準は高すぎて、
しかも「できません」なんて言わせない空気が強すぎて、
どっちもどっちの関係を保ちつつ良くない方へ突き進む。

きっと相手をカミサマでなくニンゲンサマだと思えねば、
そしてヒトサマにはヨソサマの考え方もあると思えねば、
オレサマたちの集団が一体となって動くコトはできまい。

などサマザマ思ったりしてしまう、万年トザマの自由業。

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2012.02.28

プチ繁忙期に向けてのプチ設備投資について

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今月は少しばかり金銭的な余裕があるもんだから、
三輪車関連のパーツいろいろと買い足してみたり、
仕事で使う機器や文房具など用意したりしている。

新しいモノを買った後には、それを使おうとして
活動が活発化する傾向があるコトは自覚していて、
むしろその効果を期待しつつ調達していたりして。

これもまた仕事に向かうための“人参”とか“飴”
みたいなもので、適切な頻度で適切に補充すれば
割と遣る気に繋がるコトは、経験則で知っている。

もちろん先立つモノがなければ買い物もできない、
そんなときには、前に買ったけど何らかの理由で
仕舞い込んでた道具を再び発掘してきたりもする。

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2012.02.27

でも年間の社会サイクルには同期せざるを得ない件

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組織に所属して仕事の一部分を分担する働き方とは違い、
組織外で組織の仕事の一部分を請負う生き方をしてると、
ときたま面倒に思うコトもある。たとえば確定申告とか。

もう申告期間も半ばを迎えようとしているにも関わらず、
たまたまプチ繁忙期に入って書類の作成に取り掛かれず、
いささか悶々とした気分を抱えながらも目の前の仕事に。

ずいぶん前、会社員でなくなった直後には、しなかった。
それから長いコト、いわゆる白色申告を続けていたけど、
これだけ貧乏生活が続いていると、さすがに面倒がって
いられず、ようやく今年から青色を選択するコトにした。
のだけれども、相変わらず貧乏暇無という気はしている。

昨年も稼ぎは小さかったから、還付は期待できるはずで、
せめてその額の程を皮算用して、人参ぶら下げて仕事だ。

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2012.02.26

生活時間は都合に依り天体運行とは同期しない件

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雨が過ぎれば気温が上がって、また暫くすると下がって、
冬と春の大気せめぎ合って三寒四温、そんな時候の話題。

1月すっかり暇だったのに2月は後半にかけて忙しくなり、
今のトコロはプチ繁忙期のような状況になっているけど、
どうせまた暇な時期が来たりするのだろうと思う仕事量。

とにかく10日と同じ日が続くコトなどないのが日本列島。
自由業てのも、その日暮らし的で、まさにお天道様頼り。

仕事がなくて暇なら次の仕事に備えて頭と身体を休ませ、
忙しければ効率的に時間を使って片付けようとするのみ。

そうして、その日に済ませておきたいコトを片付け睡眠。
耕作する者が太陽と雨の変化に沿って働いているように、
仕事の量の変化や進捗具合に応じて日々を暮らす自由業。

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2012.02.25

ニホンのキホン・繰り返しの中の変化を見落とす件

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日本全国津々浦々に漏れなく同じような季節が訪れてきて、
年ごとの差はあるものの必ず花は咲いてくれるものだから、
昨年は駄目だったが今年は良い年にしてやろうと努力する。

突発的な想定外のデキゴトで大きな混乱に見舞われたって、
春は来る、田畑を耕していれば夏が来て秋には稔りがある。
そういった具合に「やればできる」という考え方が強まる。

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2012.02.24

このクニのカタチ・花は連なる花綵列島

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撮って出歩くようになって花の時季が身に付いてきた気が。
散歩をしながら出会った花々の、その頃合を覚えておいて、
翌年には早めに準備をするなどしてきて、知識が蓄積した。

規則正しく来るモノゴトに対する日本人の感覚というのは
そんなふうにして培われてきたのかもしれないな、と思う。

毎年、というコトは、一生に数十回も遭遇するデキゴトだ。
この繰り返しの中で、より的確な対応をしていこうとする。
そしていち早く動き、時期的にも先取りしていこうとする。
これが、まさに地理的条件から獲得した特性かもしれない。

だが全く未経験だとか突発的な“想定外事象”には弱くて、
一生一回未満の遭遇頻度となるようなモノゴトに対しても
毎年の事象の延長線上の考え方で取り組んでしまうせいか
上手く通用するとは思えないような対策を考えたりしがち。

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2012.02.23

もうすぐ春ですね、ちょっとキョドっていませんか?

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そういえば外で見知らぬ人に話し掛けられやすいように思うが、
ひょっとしたら「話し掛けやすい雰囲気」なんぞ、あるのかな。

周囲に埋没しない程度には変な存在なんだけれども、さりとて
声を掛けるのを躊躇われるほどは変すぎない、てなトコロかも。

実際、単独で出歩いているとき警官の職質を受けたコトはない。
だから、変すぎるというコトはなかろうと、勝手に思っている。

まあ変かどうかってのは全体的な雰囲気というか態度というか、
要するに単なる静止画の外見だけでなく挙措動作まで含むもの。

もうすぐ春が訪れるのだからといって浮足立ってキョドキョド
しながらカメラを抱えて歩き回ったりしたら、どうなるのかな。

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2012.02.22

「裏」と呼ぼうが「先」と呼ぼうが、繋がりがあるコトだけは確実

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そんな感じの一期一会を経て、帰りの電車で暫し思う。

死ぬときは一人だなんて言い方もあって、それはそう
だとも思うけど、死ぬまで一人ってワケでもあるまい、
むしろ共有できる時間を大事にした方が良くないかね。

桜の下には死体が埋まっているなんてハナシもあるが、
死を思えばこそ生命は活き活きとするものではないか。

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2012.02.21

自称逸般塵の不通の日記(332) カメラと、観光地での会話について

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家族連れにカップルに、外国人連れの若者グループが、
なんとなく頃合の時間になるとロープウェイ待ち行列。
ロープウェイは山頂駅の行列を処理しきれず臨時運転。

ラッシュほどではないが山麓駅で混んだゴンドラから
下りたトコロで、写真を撮ってくれと声を掛けられる。
ゴンドラの前で記念撮影をしたいというコトらしいが、
3人連れのうち2人からコンパクトデジカメを渡されて、
実は内心かなり戸惑いながらボタンを押して撮影した。

画面を見ながら「カメラ持ってる人に頼んで正解だね」
などと言い合っているのを見ると、何とも言えぬ気分。

なにしろコンデジに触れる機会が非常に乏しいもんで、
つい「期待した通りの画を撮れる設定になってるのか」
「そもそもどんな仕様の道具か」など考え巡らせつつ
腕の先で落ち着かぬ四角い箱の液晶画面を睨みながら
動作のタイムラグを脳内で調整しながらボタンを押し
それっぽい画になるかどうか不安を抑えて、ようやく。

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2012.02.20

暗箱に針穴(42) あの花が咲く頃には撮影に出たくなる

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またも季節は巡り、花の咲く春の季節が訪れつつある。

春は名のみの風の寒さや、と歌われてはいるけれども、
如月の頃となれば寒さこそ残るものの日は長くなって
植物も春を装い始め春への里程標を順調に歩み続ける。
開花期は梅桃蝋梅マンサクそして桜へと繋がっていき
今は蝋梅、と思いきや寒波の影響が強く遅れ気味とか。

夜に実家へ立ち寄る用事ができた日曜の日中は長瀞へ。
誘ってた友人の都合に合わせ早起きして出るつもりが、
相手が多忙で寝落ちしてしまったようで起きてこない。
それなら急ぐまでもないかと思いのんびりしていたら
こちらも盛大に二度寝をしてしまって、出たのは昼に。

郊外の電車を乗り継ぎ乗り継ぐ。待ち合わせ30分20分。
本数が少ない上に午後の下りは午前ほど優遇されない。
ロープウェー乗り場へ向かう坂道を早足で登っていき
いささか息が切れたのは最近とみに運動不足だった故。

ロープウェーは日没前に運転終了となるダイヤなので、
蝋梅園にいられるのはギリギリ40分50分というトコロ。
(徒歩で下山する手もあるが後の用事あって断念した)

しかし空は冬晴れ、出遅れたおかげで日没近い太陽が
低い角度の斜光線を、被写体に投げかけてくれている。
やはり蝋梅は逆光で透かして撮るのが最も好みである。
限られた時間の中、太陽が背景に入る完全な逆光から
斜めに光を受ける半逆光まで、多様に切り取っていく。

ときには中望遠のマクロレンズの等倍近くまで寄って
揺れる枝の先にピントを合わせてブレを気にしながら、
あるいは少し引き満開の花々をボケボケにしてみたり、
ともかくも小さな花や蕾と小枝そして背景をいろいろ
組み合わせたりして構図を作り上げようとするけれど、
僅かな動作で画面隅を狙ったのが見切れるなど難しい。

それでも何とか数カットは使えそうな写真を得られた
かなと思える頃合を見つつ、少し早めに戻っていった。
蝋梅園の隣にある百梅園は未開花の木々が並んでいる。
花は数えるほど、まだ少しばかり梅の時季には早いか。
蝋梅も蕾混じり見頃は続きそう。今年の寒さが知れる。

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2012.02.19

墓のない地での生を想像してみると

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東京湾岸の街は四角い集合住宅ばかり四角い街路に連なっていた。
湾奥部を埋め立てて作った人工の街並みであり一世紀にも満たぬ。
だから老人がいるといっても生後ずっとここで生活を続けてきた
というより、その多くは故郷を離れ東京に出てきた人たちだろう。
そして彼らの祖の眠る墓は、きっと日本中のあちこちにあるはず。

ヒトが生きている場所は、ヒトが死ぬ可能性のある場所でもある。
古くから人口密度が高い場所、すなわち長い歴史を誇る街などは、
どれほどの死者を飲み込んでいったのだろうかと、ときたま思う。

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2012.02.18

自称逸般塵の不通の日記(331) 途切れた関係

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その東京湾岸の街を仕事で訪れたのは時刻あたかも正午前。
午前中のアポイント先の都心部近くで食事を済ませてから
この場所へ移動してきた方が良かったな、とか思ったのは、
地下にある駅の改札から地上に上がった直後のコトだった。

適当な場所で食事を済ませてさらに少し散策するくらいの
時間的な余裕はあったので、飲食店どころかコンビニさえ
見当たらぬ駅前から隣の埋め立て地まで橋を渡って歩いて
みるコトにしてみたが、ずいぶんと歩いて辿り着いたのは
ショッピングセンター内のフードコート。それくらいだけ。

そこの客は小さな子供を連れた母親、あと若干の老人たち。
ショッピングセンター周辺は比較的新しい高層マンション
ばかりなので、まさにそこで生活してる人たちなのだろう。

次のアポイントがあるので手早く腹八分目に抑えとこうと
饂飩など注文して席を確保した頃、いかにも会社員らしい
背広姿の男たちがゾロゾロと入ってきて注文に並んできた。

男たちの大半は集団。3~4人グループというのが最も多い。
向かいの席の老人は一人だが他の多くの老人もグループだ。
一方、隣の席では2~3歳くらいの子供を連れた若い母親が
食事に飽きて食べ残したまま席を離れたがって小さな反抗
を企てる子供と買い物の大きな荷物とベビーカーの扱いに
孤軍奮闘して今にもキレそうになるのを必死で堪える様子。

そうだよね、会社勤めというのは、孤独じゃないんだよね。
だけど子育ての為に職場を離れた親というのは孤独なのか。

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2012.02.17

一人なら喋るために頭を使わなくても済む道理

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対象が個人でなく、複数の個人の組み合わせであったり、
より多数の個人や組織が関わる集団であっても基本的に
同じような感じでモデル化して各々の動きを考えている。
さすがに思考能力の限界があるので精度は落ちるけれど。

複雑怪奇に絡み合いながら変化していくファクターの中、
各自が異なる目的と感受性を備えた無数のアクターたち、
自分自身の存在もまた一つのアクターとして想定しつつ、
そうして組んだ複雑系を、あたかも外から眺めるように。

そんな視点に立てるのは、実は孤独だからかもしれない。
所属する社会集団や組織などによるバイアスが少なくて、
人物や組織を客観視してモデル化するのが容易なのかも。

同居家族がいたり、会社の中で忙しくしていたりしたら、
こんな風に考える日々が続いたりしなかったかもしれず。
まあ自由業が暇かというと、そんなワケでもないけれど。

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2012.02.16

節々の間を補って伸ばしながら

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それなりに他者の目を、自分に対する考えを、気にする性格だったから、
また他人が自分に対して気にしている可能性について考えていたコトが、
何らかの弾みで何処か上手い具合に嵌ってしまったせいで、いろいろな
立場の考え方について想いを馳せるようになったのではないか、と思う。

とはいえ、まだまだ対話している相手の思考内容を的確にトレスできる
というほどのレベルには達していないので、まだまだ先は長いと感じる。

まあ要するに、相手の考えを読み損ねて失敗したりしたケースが先日来
2~3重なっていたので、そんな反省が擡げてきたというだけなんだけど。

そういうコトを考えるきっかけをくれた友人は大事にせんといかんよな。

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2012.02.15

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(91) 『身の丈のなきぞ悲しきや否や』

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ちっぽけなのは身長だけではない、精神性においてもまた同様。
背伸びしたって大して大きな存在でないコトなど百も承知の上。

だから装いだとか歩き方、それから考え方にしても、基本的に
自分自身の身の丈に合っているかどうかを、考えるようにする。

どうも他人の価値観とか外の尺度を借りてきたって合わんので、
そういう評価軸の存在を念頭に置きつつも、自分の身体感覚や
脳内スケールに準拠して、考え方や行動、道具を選ぶしかない。

気付けば姿勢良く、といって胸を張るでも背筋を伸ばしきった
姿勢を取るでもなく、肉体的に妥当な範囲で大股の歩き方をし、
そんな歩き姿に似合うような服装に落ち着いてきたように思う。
そして考え方にしても自分の中に培った観点を使い分けるのみ。

なので「いい歳こいて云々(意訳)」との指摘を受けたりすると、
どうも外の尺度を押しつけられているような気がしてしまって。

実際より高いトコロの年齢を挙げて言われるのも慣れっこだが、
まだ完全に慣れてないので良い気分ではない、というかむしろ、
20代の頃に当時の上司から「30にもなって」と言われた記憶が
ついつい脳裏に浮かんできてしまい、嫌な気分になるのが先だ。

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2012.02.14

格好について良い悪いではなく似合う似合わないで考えたい件

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こんな感じでたまに外人さんから写真に撮られたりするコトはある。

今回は真冬で背広に真っ黒な長いコートと真っ黒帽子の出張先だが、
前に覚えているのは盛夏の半袖ワイシャツにパナマと扇子の人待中、
カメラを提げた白人青年に頼まれて被写体になったコトがあったな。

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2012.02.13

出張旅行記(48.5) 天候に似て目まぐるしい出張先散歩

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南禅寺に奥の院から入っていくなんて、たぶんあんまり多くの人は
経験したコトがないだろうなと思いつつ、足取りも軽く石段を下る。
煉瓦造りの水路橋の近くには観光客が写真を撮っているのが見える。

折からの雪は止み青空さえ出てきて西に傾いてきた陽射しが眩しい。
薄暗く寒々しく人を寄せ付けぬ雰囲気の山中から脱し人里へ向かう、
そんな気分を天候さえも演出してくれるというのは、実に不思議だ。

そこから哲学の道へと向かうつもりだったが、同じく煉瓦繋がりで
ネジリマンボを見ておこうかと、いったん寄り道をするコトにした。
実は前にも通ったコトがあるのだけど、あの斜めの煉瓦の積み方を
じっくり観察せぬまま通り過ぎていたので改めて見ておきたかった。

そんな感じで知った道を足早に歩いて隧道に辿り着いたら、驚いた、
ほんの数分だったのに、西日射す晴れ間は途切れて一転して大雪に。

出張の際は必ず折畳傘を常備しているがロッカーに預けた荷物の中。
まあ雪だから帽子とコートがあれば大して濡れずに歩けるけれども、
さすがに小降りになるまで待とうと煉瓦のアーチの下で雪宿りして
外を眺めていると、制服姿の中学生か高校生が身を寄せ合うように
小さな傘の下の空間を分け合い駅へ向かって足早に駆け込んでくる。
これもまた、一つの日常の風景。人里というのは、そういう感覚だ。

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2012.02.12

道を知るべきコトバ(47) 絶対安全なんぞヨノナカにないと知る道

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人の作った道というのも実は非常に不確かで不安定なものでもある。
本来そもそも安全など保証されたものではないのだから当然だろう。

転ばぬ先にと手袋を着け手摺を掴んでみても全体重を載せられるか、
はたまた足許に敷かれた石段を踏むと揺れ動いたりしないだろうか、
そんな具合に注意深く慎重に、一歩一手、上り下りしていくものだ。
見上げれば自分自身が足を踏み外さずとも簡単に死に至るであろう
落石をもたらす可能性も十二分に予想できる急崖が聳え立っている。

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2012.02.11

出張旅行記(48) 雪の京の東の山の中の道

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今回の出張が前泊となった理由は、アポイントが朝イチだったから。
早く始まれば早く終わるのが道理であり、正午には解散して京都駅。
のんびり昼食後、カメラ以外の荷物をコインロッカーに預け再出発。

割と使い慣れた銀閣寺行きのバスに乗ってから行き先を考えてみる。
だいたい何も考えないでいると最後まで行ってしまって哲学の道だ。
今回は少し違ったルートにしてみようと祇園で途中下車をしてみる。

八坂神社から円山公園、知恩院を経て地下鉄の蹴上駅付近へと出た。
南禅寺に入る前にインクラインの線路に沿って粟田口へ登ってみる。
船溜を跨ぐ橋の先に山の中へ通じる道があるのが気になってさらに
上へ上へと吸い込まれるように登っていって、行き着いた先は神社。

名は日向大神宮、小さいながらも外宮内宮の複本殿を持ち、どこか
伊勢神宮を思わせる構成、かなり長い歴史を持つ神社であるらしい。

青空が見えたと思えば曇って小雪がチラついたりする不安定な天気。
茅葺きの本殿の屋根や本殿の前の厚く苔生す地面に、静かに降って
白く化粧していく雪の中で参拝し、振り向けば白いものの舞う境内。

内宮の脇には、さらに奥へ登る道があり「天の岩戸」へ至るという。
引き込まれるように上がっていって岩戸を潜ったら、まだ道は続く。
もはや山中の踏み分け道のようで細く、落葉に埋もれかけているが、
案内によると南禅寺へと向かう道だというので、そのまま踏み込む。

荷物を預け軽装とはいうものの、仕事の背広に黒いロングコートと
黒い帽子という、極めてアーバンな格好だから、ちょと似合わぬが、
足許は例によって革靴風の安全靴、少しくらい荒れた道でも平気だ。

しかし道は、ところどころ傾斜が急な上に露出した岩盤には濡れた
落葉や湿った泥、斜面をトラバースする部分では上に崖、下に崖と
街中のように気楽ではいられない、手掛かりを掴む際に不安がない
ようにと手袋を着け、普段よりは慎重に足許を踏み締めながら進む。

しかも道は曲がりくねって、ときに分かれ道らしき部分もあったり。
ケータイのナビを見ると道こそ出ているものの位置情報は不安定で、
やはり頼るべきは自分自身の感覚だったなんてのが、人生にも似て。

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2012.02.10

出張旅行記(48ちょい前) 前泊の半徹仕事場としてのビジネスホテルに関する考察

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出張先の宿で妙に仕事が捗るのは文豪を缶詰にして執筆させるのと同じコトか。
朝までに仕上げたい作業があったが、ギリギリ何とか片付けて朝を迎えられた。

ところで最近のビジネスホテルというのは石鹸を置いてないコトが多いようで、
自宅で日頃、固形石鹸だけで全身を洗っている身としては浴室で悩んだりする。
液体のボディソープやシャンプーは使い慣れない上に皮膚が妙にヌルヌルして、
シャワーで流そうが乾いたタオルで擦ろうが、まるで取れないあたりが違和感。
といっても宿泊先まで石鹸を持参するほどの気概があるワケでもないので我慢。

まあビジネスホテルの浴室が旅の汗を流し垢を落とすという感覚でないコトは、
客室で仕事をするのが主目的だったりすると、あながち間違いでもないのかも。

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2012.02.09

自称逸般塵の不通の日記(330) 寒波とともに出張帰り

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東京も最低気温が氷点下となる日が続くなど冷温乾燥、
今年は久し振りに冬らしい冬が来たなという気がする。

そんな真冬に京都まで一泊出張、初日には大した寒さ
ではなかったが翌日は朝から青空と雪が入れ替わる空。

朝イチのアポイントを終えて昼過ぎから歩いてみれば、
夕方に京都駅へ戻る頃には随分と冷え込んできていた。

しかし新幹線で東京に戻ってきても同じく冷えており、
どちらの京にも同日に寒気が訪れたというコトらしい。

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2012.02.08

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(90) 『過去は消え去らず、ただ積み重なるのみ』

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もちろん修正を続けるといったって昔を忘れるという意味でないコトは忘れずに。
むしろ過去を知っているからこそ現在への変化を見極めるコトができるのであり、
その変化のベクトルだとかトレンドから今より先の状況を推測していけるものだ。
また同時に時間軸で変化しない部分があるコトも、継続した観察から見えてくる。
そういう認識を持てば、関係が長くなるほど相手観を修正したくもなってこよう。

さらに、個人でなくヒト集団についても対象を広げて考えていくと、なお面白い。
観察対象集団を形成する個人間の繋がり一つひとつに上記のような関係性がある
のだと考えれば、それこそヒト間の関係性についての情報は無数に広がっていく。

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2012.02.07

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(89) 『親しき間柄にも修正あるべし』

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そして余計な御節介ではあるのだけれども、「実態から離れた現実認識」を持つ
他者に対しても、できれば修正してもらいたいと考えながら接触するコトがある。

未だに不完全だという実態は認識している。そもそも完璧なんて無理だろうけど、
幾つかの方法論を考えて、機会があれば実際に使ってみたりして、より効果的な
手法となるように修正を加える、そんなサイクルを繰り返しつつ目指してはいる。

見知らぬ他人には配慮しているつもりの自分自身ではあるけれど、まだまだ友人
知人の認識には甘えているトコロもあって「何故伝わらないのか」となるコトも
あるけれど、逆にそういう状況の自分自身に気付ければ、他人に対して気付きを
促す方法について何かヒントが得られるのではないか、という風にも考えている。

自分自身が至らぬ存在だからといって何をしてもいけないというワケではないし、
それを言い訳にして望ましい道筋へ向かおうとする活動を行わないのは怠惰だし、
もちろん逆に失敗しても咎められぬというコトもないとは、承知しているつもり。

おそらく同じように至らぬ自身を自覚しつつ自らを変革させようとしている人は
ヨノナカ他にも沢山いるはずなのだから、それを他者認識に織り込む必要がある。

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2012.02.06

相手に伝わっているかどうかを確認するコトなく伝えたのだから伝わったものとする心理について考察中

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予断を持たれては困るような場合、そうならないような発言を心掛けるしかない。
それには、相手がどのように解釈・理解するかを念頭に置いておかねばなるまい。

もちろん、皆ある程度そんなの分かっていて、見知らぬ相手に接触する際などは
留意するようにしている人も多いとは思うけれども、それが上手く行かない例も
しばしば見掛けるし、それどころか見知った相手に対してもコミュニケーション
失敗という例も、これまた少なからず見受けられるので、どうも少なからぬ人が
相手に対する配慮に不十分な点があるままに活動していると考えられそうである。

付き合いの長い相手であれば「分かってくれているはず」という甘えが生じたり
するのだろうし、見知らぬ相手に対しては「場のルールに沿っている」といった
感覚が働くであろう。そして、こうした思い込みができると修正するのが難しい。
修正する機会がないままにコミュニケーションを進めれば、行き違いばかり続く。
そりゃそうだ、相手は「理解してくれない」と感じ態度を硬化させるだろうから。

態度を硬化させた相手から得られるのは怒りや不信感や拒絶といった否定的反応。
だから実は、そういった反応こそが、自分の持つ相手観を修正する絶好の機会だ。

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2012.02.05

理系用語で読み解く社会(80) 加齢却状態についての考察

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しかし固化して沈殿した部分に触れると結晶化が促進されかねぬ不安もある。

わずかに融点を下回る状態でありながら惰性で液体のまま在り続ける過冷却、
そんな状態にまで冷え切った液体は固体化する契機を求めているともいえる。

瓶の外側から加熱されて対流が生じて沈降していった液体は沈殿した固体に
触れるや否や固体の表面に出ている分子の腕を取り自らも固体の一部となる。
融点より高い温度の分子が幾つも接触して熱を与えてくれるまでそのままだ。

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2012.02.04

理系用語で読み解く社会(79) 熱伝導性が低いなら対流すれば良いじゃない

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こんな食用油など単一の物質でできているワケではないから、
組成の一部が凝固点を下回る状況では液体と固体に分離する。

そんなハナシを、このカテゴリで、ずいぶん前に書いたけど、
湯煎などして加温してやれば、また融けて混ざり合うものだ。

何も塊ができたからといって全て分離すべきというワケでは
ないと思うのだけれども、分かれてくると分けたくなるのか。

このままであるなら流動できる部分だけが流れ去っていって、
固化して沈殿した部分が取り残されるだけだと思うのだけど。

そして、もっと冷え切れば完全に全体が固形化してしまって、
何もかも凍り付いたように動かない世界が訪れるかもしれぬ。

せめて冷え切った人の間が温かくなり、また再び溶け合って、
社会が滑らかに流れ、潤ってくれればいいなとは思うけれど、
さてその熱源は何に求めたらいいのだろうかと考えてしまう。

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2012.02.03

自称逸般塵の不通の日記(329) 寒気の底を打って春が立つ

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仕事帰りの友人から夕食に誘われて駅前まで出るとき
その新しいスマートフォンを使いながら歩いていたが
あまりの空気の冷たさに指先の感覚がなくなりかけた

買い物から帰ってバターなど冷蔵庫に入れなくたって
溶ける心配もなさそうなくらいに冷え込んでいる台所
液体の食用油さえ固まって瓶の底に沈殿している始末

なみなみ注いだ熱い茶も数分でヌルくなってれるので
せっかち猫舌にとっては便利と言えなくもないけれど

例年通りに暖房器具は炬燵と電気アンカだけの生活で
かなりの暑がり汗かき耐寒仕様の体質ではあるけれど
粗食続きが祟ったか今年は手の甲もアカギレてしまう

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2012.02.02

所持品紹介(31) あんまり売れ筋ではないかもしれない電話機

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少し余裕の出た予算で機種変
以前から使いたかった端末を

縦長で薄型で角張った形状で
真っ直ぐストレート型の端末

折り畳み式とかスライドとか
全面タッチ式は好きじゃない

だけどそういうのは少数派か
なかなか気に入る端末がなく

最近ようやく「スマート」で
そんなスタイルのが出てきた

全面タッチ式ばかり流行って
もう絶滅したかと思ってたが

ストレート型も何種類か出て
きたので少しは売れるのかな

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2012.02.01

自称逸般塵の不通の日記(328) 月末月初恒例行事

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自由業は金が入るまでが仕事

久々に相当額の入金あり月末
遅れていた支払を片付けたり
消費していた食材を買い込み
腹が減ったので弁当屋に寄る

目の前の道路を見れば雪氷が
もう数日も解けず残っている
あたり東京なんぞであっても
冬場の降水量さえ多いならば
雪国たり得るとは考えた次第

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