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2012/02/19

墓のない地での生を想像してみると

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東京湾岸の街は四角い集合住宅ばかり四角い街路に連なっていた。
湾奥部を埋め立てて作った人工の街並みであり一世紀にも満たぬ。
だから老人がいるといっても生後ずっとここで生活を続けてきた
というより、その多くは故郷を離れ東京に出てきた人たちだろう。
そして彼らの祖の眠る墓は、きっと日本中のあちこちにあるはず。

ヒトが生きている場所は、ヒトが死ぬ可能性のある場所でもある。
古くから人口密度が高い場所、すなわち長い歴史を誇る街などは、
どれほどの死者を飲み込んでいったのだろうかと、ときたま思う。

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京の路も直線基調ではあるが人々が栄枯盛衰を重ねた結果として
幅が違ったり交差点で食い違いが生じたり生きている印象がある。

今に続く古都など街中おろか郊外にまで数々の墓が広がっている。
そこで死んでいった人たちの生命もまた歴史とともに積み重なり
後の人たちの生きる場を作り上げているのだろうなと、ふと思う。

安心して死ねる場所こそ正に終の棲家とするに相応しい地だろう。
道理で新しい街にばかり落ち着かぬ生があるものだと思った次第。
死が次に続かぬかもしれぬ不安感の裏返しでもあるものだろうか。
そういえばフードコートの老人らも何処となく所在なさげだった。

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