« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012/03/31

自称逸般塵の不通の日記(337) 桜いまだ咲かぬなら

20120331_img_9405_1ts


遅れた見頃ようやく訪れた梅を楽しめばいいじゃない、
とばかりに少し連続した仕事の合間を縫って再び梅園。

野暮用で月内平日に実家へ寄らねばならないついでに、
自宅で唸っていても仕事が停滞しまくっていたコトも
あり精神的にも疲れていたので思い切って気分転換と
ばかり実家で車を借りて一人でドライブしてきたのだ。

いくら遅い遅いといっても、やはり春が来るのが日本。
生命感の溢れる匂いにクラクラするのが、春ならでは。
晴れて暑くなったのでコートを置いて出てきてたのに、
歩いていたら首筋に汗が伝ってくるほどの陽気だった。

前回、先々週に訪れたときには蕾も目立った梅園だが、
さすがに今回は完全に満開、一部は散り始めていたが
ちょうど見頃の終わりを迎えようとする頃合とあって、
何処を見渡しても黒々とした幹と枝に白や紅の花々が。

ただ平年の花季を過ぎてしまっており、次の場所へと
移動したのか屋台の一部は既に引き払っていて跡地に
青白い草の芽が萎れているなどの様子は、少しばかり
引っ掛かるモノを感じたりもする。春だというのにな。

続きを読む "自称逸般塵の不通の日記(337) 桜いまだ咲かぬなら"

|

2012/03/30

遅くとも来ないよりマシの春

20120330_img_3379_1s


気付いたら年度末の最後の平日が過ぎていった。

電車で出掛ければ春休みの児童生徒学生らしき
集団を見掛けたりしても、なかなか春だという
感覚を持てずにいたが、今日は気温が上がって、
ちょと日差しの下を歩けば汗が首筋を伝うほど、
それもコートを着ずに出掛けてきてのハナシで。

温かい風が吹き、草木が芽吹き昆虫も飛び交い、
そしてヒトは……、急激な気温の変化に戸惑う。

|

2012/03/29

自称逸般塵の不通の日記(336) 春眠というのは冬眠に似た現象である場合もある

20120329_dscf5830_1s


週末に天気が崩れて平日は好天に恵まれる日々が続いている気がするが、
そんな日中の晴れ間になると眠くなるほどの温さを感じさせられる昨今、
調子が妙なコトになってしまったか仕事は異様に捗らないまま続く日々。

ふと気付けば土筆が伸びていて、調べてみれば昨年と同じくらいの時季。
写真を撮るのさえ面倒なほどの気温なので昨年の写真をそのまま使おう。

この分ならソメイヨシノの開花も近いし梅の見頃も終わってしまいそう。
なので早く花を撮り歩きに出掛けたいけれど仕事の進みは安定して遅い。

早く片付けなければと思いつつも集中力が上がらぬまま低空飛行中……。

続きを読む "自称逸般塵の不通の日記(336) 春眠というのは冬眠に似た現象である場合もある"

|

2012/03/28

定形外は否定形にあらず、単に不特定

20120328_201203221381s


ある朝、夢の名残の朦朧とした意識の中に一文が明瞭に浮かんでいた。
「反主流ではない、非主流なだけ」。ああそれは無意識の自己紹介か。

常道本道大道でなく横道間道閑道の方が性に合うし王道にも縁がない、
けれど割と人の通りの多い正道にも邪道にも関わり浅くて済んでいる。

太くて真っ直ぐな道は面白味に欠けるというか変化に乏しくて飽きる。
でも時間を節約しつつ遠くに行きたいときには使うコトに吝かでない。

右へ折れても左へ曲がっても中道を往っても先では一つかもしれない。
他人の道が歩きづらそうに見えても当人は楽しんでいるかもしれない。
逆に今いる道は他の道の人からすると危険が見えにくく落ち着かない
道だと思われているかもしれないし、走り続けてないと流れに乗れず
非常に苦しい道だと思われているかもしれない、そこは歩き方次第だ。

続きを読む "定形外は否定形にあらず、単に不特定"

|

2012/03/27

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(94) 「為しても成らぬ事もある、もし成らずとも人のゆゑなりけり」

20120327_img_9352s


「震災津波や原発事故がなければこんなに学ばされるコトはなかったものを」
という声もあるだろうとは思う、けれども既に生じてしまった事象は戻せぬ。
遡るのは、原因究明を行って再発防止策を検討・実施して不安解消に繋げる、
あるいは、個人や法人の責任を追及するコトで不満の解消を図る程度だろう。

自分で自分を苛んで自らを追い詰めてしまっているような人など無数にいる。
自分自身至らぬ詰まらぬ者でしかないコトなど嫌というほど思い知らされた。
そこで嘆いても仕方ない、今日できなかったコトは明日できるようになろう、
そのためには悔いるキモチなど思考の邪魔なので脇に避けておいた方がいい。

さらに言えば、他者に悔いるコトを要求するのもまた好ましいとは思わない。
要求したい人を止めるものではないが(したければやればいいと思っている)、
ただ、自分が他人に対して要求するコトはしたくない、わざわざ見も知らぬ
他人の反省に手を貸してやる必要は感じない、そんなのは勝手にすればいい。

というより、本人が気付いて必要を感じない限り、なかなか本格的な修正は
行われないというのが人の常なので、他者としては気付きに手を貸すくらい
しかできないし、それすら、身近な人を相手であっても、非常に困難なのに。

「しょせん他人は他人」、それは気楽な言い方だけど、どこか残念でもある。

続きを読む "役に立つか苦言かどうかは受け手次第(94) 「為しても成らぬ事もある、もし成らずとも人のゆゑなりけり」"

|

2012/03/26

読み返り振り返し 知識は役立ってから気付くもの

20120326_dscf7378_1s


しばらく前にネット上で見掛けて、考えさせられたのは、
放射線や放射性物質と向き合うには、各自が自分なりの
「ものさし」を身に付けていかねばならぬ、という話題。

そう、相場感というか、「指を一杯に伸ばしたとき何cm」
といった、そういう身体感覚と密接に結びついた感覚だ。
「このくらいなら平気」という個人的な判断基準となる。

そこらへん、あんまり明確に意識していなかったけれど、
元々それなりに身に付いていたのかもしれない、と思う。
少なくとも理科は小学生の頃から、社会科も四半世紀は
ずっと興味を持ち折に触れて知識を蓄え続けてきた分野。

好奇心の赴くままに読書をしたり実際のモノゴトに触れ
身に付けてきたので体系的な学習など縁遠かったけれど、
断片的な知識も積もれば山、自己組織化してくるらしい。

それこそ地震に津波に原発事故という理科系のデキゴト、
およびそれによる災害など社会系の様々な影響について、
接したデキゴトそれぞれを全体の中に位置付けていって、
把握していくために、そういった知識体系が役に立った。

--
原子核を構成する陽子と中性子の関係
その外側で原子の外見を形作る電子

生体内でひしめき合い様々に反応をしていく、
原子と原子が結びついてできた分子たち

そしてそこを突き抜けながら
エネルギーを放出して消えていく放射線

生物を構成する多種多様な細胞の関係
ヒトの生体内外の物質交換や組織の変化

ヒト個人の感情や認識の動的変化
個人対個人の様々な手段によるコミュニケーション

複数の個人が何らかの共通項によって括られてできるヒト集団
集団と他の集団や個人との関係

集団としての活動に使われる様々なモノや概念
それらを媒介するカネの動き、情報の流れ

ある程度の規模と秩序を持つヒト集団の中でのヒト個人の関係
そしてその秩序や規律を維持するシカケ、集団内の組織構造

特に現代社会としては多種多様な建築物だとか
道路鉄道電気水道ガス通信といったインフラなども

ヒト集団が依って立つ土地の地形や地質、気候風土
その地形や地質をもたらす地殻の動きの緩急

地殻を動かす地球内部の構造
地球が現状の形態に至るまでの歴史

地球を含む太陽系が出来上がってきた過程
宇宙誕生から現在に至るまでの経緯

--
大雑把に言って、このくらいまでの範囲を網羅していて、
それも各レベルごとに具体的なイメージを脳裏に描けて、
かつ個々のニュース一つひとつを当てはめて想像できる、
それでようやく諸事が理解できると言えるのではないか、
昨年のブログの記事には、そういう感覚を込めた内容を、
折に触れて思い付くまま書き散らしていた様子が伺える。

さらに言うならば、震災後の様々なモノゴトやデキゴト、
ヒトビトの議論や対話などを新たに入力していくウチに
より現実に近いと思われるイメージを描けそうな材料が
それこそ数多く手に入れられたという感触も持っている。

多くの人たちは実際そうして実地に学んだのではないか。

いや「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」というなら、
今まさに膨大な経験を積んでるのだから誰もが学ぶはず。
(そうでなかったら愚者以下というコトになってしまう)

続きを読む "読み返り振り返し 知識は役立ってから気付くもの"

|

2012/03/25

非同調自己バイアス機能

20120325_201203181370s


「意識が高い人であるならば物声を挙げないと」
という風潮があるように思えて、肯んじかねる。
「××なら○○しないと」という短絡が嫌いで。

いわば単純な反発心から芽生えたような思考も、
しかし対話や観察や黙考を重ねると少しは変化
するものらしく、呆れて怒れなくなるくらいに
ヒトの感情の動きの滑稽さを思い知らされてる。
面白て、やがて哀しき、ヒトのキモチのうごき。

感情の変化をなかったコトにするコトはできぬ。
感情には、ある種のヒステリシス性があるから。

ヒト個体や集団を観察していると、垣間見える。
僻みや被害者意識などが人から人へと連鎖して、
いろいろなトコロへダメージを与え続けていて、
たいてい反発が反発を呼び泥沼に陥った挙句に、
一部先鋭化した対立構図と覚めた大多数に分離、
現実問題は有耶無耶の裡に流され感情のしこり
だけが残り続けて、そして徐々に風化していく。

そういう繰り返しの歴史の中の一幕なのだなと、
現状を分析しているので、もう容易にはアツイ
議論に入り込む気にならなくなってしまってる。

熱意や正義感ばかり空回りしてるような「市民」
による政府や公的機関、大企業、また所属する
個人などへの非難は、どこか怖ろしさを感じる。

激情に駆られた「市民」による「裁き」てのは、
実質的に吊し上げであり恐ろしい副作用を伴う。
ただ単に「冷静に」と呼び掛けるだけでも身の
危険を感じるまでになったら個人的には逃げる
という選択肢も考えなければなるまいとも思う。

たとえば、政治家などに対し「責任ある判断を」
などと要求する人たちというのは、「判断」を
下した人物に「もし何かあったら吊し上げるぞ」
と、半ば脅迫めいた圧力を掛けているとも思う。

逆に言えば、それだけの圧力を受けながら自ら
情報を収集して分析して判断を下して行動する、
そんな人物には多大な敬意を払うべきとも思う。
立場によるバイアスが多少あろうとも、そんな
玄人たちの存在の方が、攻撃的な素人集団より
よっぽど有難い、というふうに考えているので。

そもそも日本人は相互監視が強いのだからして、
放っとけばガチガチの監視社会に至りかねない。
監視してる者を監視する、その監視者をさらに、
という具合に循環でもさせてやらないと無理だ。

そういうトコロが今は巧く働かなくなっていて、
もともと不完全だった部分がさらに綻びていて、
特に情報の伝達や活用が滞っている点が問題を
生じさせ拡大している最大の元凶、ではないか。

あとは、そこの現実に一人ひとりが向き合って、
個人を潰すヨノナカでなくなるようにと考えて、
話し合って工夫して努力して、また実現に向け
忍耐を持って歩みを進めていくしかなかろうと。

続きを読む "非同調自己バイアス機能"

|

2012/03/24

疎外感それがいかん

20120324_dscf7376_1s


ただネット上で見掛けるような「悲惨で過酷な
運命を背負わされ虐げられるワタシってケナゲ」
とか「そんなワタシに正義の力を分けてくれろ」
なんてハナシにまでは付き合いきれん、と思う。

前にも書いたが、そこまで付き合っていたなら
身が持たないというかリソースが足りぬばかり、
なので当事者たちの身を案じつつも実質的には
目の届く範囲に入ってくる情報を観察しながら
状況を分析し、余裕のある範囲で少しばかりの
口出し手出しをして、せめて悪化を防げればと、
そのくらいの関わり方に留めるようにしている。

ついでに観察を深めて、個々人がどういう風に
「悲惨で過酷な(以下略)」の状態に陥っていく
のかといった点について、推察を行ってもいる。

友人との電話や対話の中で得られた個別経験を、
ネット上の人物観察に当てはめるコトで、割と
多数の、どちらかというと集団としての活動を、
大雑把ではあるが、捉えられるように思うのだ。

そうやって全体を概観できるようになった上で、
さらに各個体の識別が明瞭にできるようになり、
特定個体の認識範囲や思考パターンを類推する
までに至れば、もしかしたら声を掛けるのかも。

いや、少なくとも最低限そこまでできるように
なっていなければ「親身になって聞く」なんて
到底できてるとは思えない。烏滸がましいよと。

……というトコロまで考えると、これまで縁の
なかった存在や関係性の低かった相手に認知し
てもらうには、やはり声を挙げるのが望ましい。

ただ、状況について説明する際に自己の感情を
(おそらく意図的ではないと思うが)過剰に混入
させてしまうと、多くの人にとって情報密度の
低い無価値な発信とみなされてしまいかねない。

おそらく、それを目に留めて読み解こうとする
ような人物は、ただ単に同じような感情の状態
であってそこに共感しているに過ぎぬ相手かと。
それは少しばかり承認欲求を満たす役には立つ
けれど問題解決には繋がりにくいのではないか。

そういう意味では、相手が理解してくれて当然
なんていう感覚で全世界に発信するようなのは、
ある種の甘えや諦めがあるようにも感じられる。

「誰も分かってくれない」という不満、疎外感、
そういうのを乗り越えて何らかの価値ある情報
として発信していけないと苦しいままだなんて、
実は非常にヨノナカ生きづらいなと思うけれど、
身近なトコロで支え合う仲間が得にくくなって
しまう原因は社会の利便性と表裏一体でもある。

続きを読む "疎外感それがいかん"

|

2012/03/23

はははのんきだね

20120323_dscf7374_1s


ちなみに母も、愚痴を聞いたりするのが上手だ。
というより、おそらく母の方が、きっと上手だ。

母の懐の奥深さについて、共通の友人は最上級
とも言えそうなくらいに、高く評価をしている。
曰く「芯が強い」「大変な苦労をしてきたはず
なのに、そうは思わせない雰囲気がある」とか。

子としても母と共有している感覚は少なくない。
「厳しい状況下でも、できるコトをやる」とか、
「些細であっても楽しめるコトがあれば大丈夫」
「現状に満足できなくても折り合いつけられる」
そんな感じの、ある種したたかな感覚だろうと。

生活が不安定な中、不安や不満を感じないとか
いうワケでは決してないのだけれども、それを
強く感じない、深く沈まない、そういう性格だ。
ある意味で鈍感なだけかもしれないが、それが
周囲の人たちに良い影響を与えられるのならば、
これからもそうやって生きていければいいなと。

続きを読む "はははのんきだね"

|

2012/03/22

気さくな奇策家

20120322_dscf7375_1s


一人で居酒屋やバーに行ったりするコトは多い。

友達が少ないとは思いたくない、だって店では
カウンターに並んだ別の客と、よく喋っている。
(たまたま都合の合う友達が見つからないのだ)

友達連れで酒場に行ってもまた、他の客たちと
一緒になって盛り上がったりするコトも、ある。

そこらを散歩してるとき、電車やバスで移動中、
そんな場面で通りがかりの人に道を聞かれたり、
ちょっとした挨拶を交わしたり、てコトもある。

割と独特の格好をしているので不思議だけれど、
他の人たちに埋もれてしまうほど「普通」では
ないものの、他の人たちが敬遠してしまうほど
「異常」ではない、という程度の格好だからか。
または単純に、「いきなり話し掛けても驚かぬ」
ように見える雰囲気、態度があるというコトか。

このところ遠方の友人の電話相談が頻繁だけど、
「何となく話し掛けやすい雰囲気がある」とか、
そういった評価を、相談相手から貰ってはいる。
「愚痴っても、それについて否定しない」とも。

まあそういったトコロはあるのかもしれないな。

続きを読む "気さくな奇策家"

|

2012/03/21

歩考者優先

20120321_dscf7392_1s


先週の金曜だったか、週末の予定について友達との電話の中で話題にしたら、
「一緒にドライブしたら、きっとあれこれ話題があって楽しそう」との反応。
この友を連れて散歩したのは随分と前のコトだが今も印象に残っている様子。

まあ一人で出歩いていても何か発見しては考えたり撮ったりで楽しんでいる。
二本足で歩いてもペダルを漕いでも、車や電車で移動していても、ほぼ同様。
ましてや話題を共有できる相手が一緒にいるならば、さらに楽しめるものだ。

ただし道草を食ったり遠回りをしたり当初の目的とは違った場所に行き着く
コトも少なくないので、それを厭わないでいてくれる人でないと難しいかも。
適当に歩き回ったりして未知との出会いを楽しむコト自体が、趣味なのかも。

何度も訪れたような場所でも別の移動手段で行けば、また新たな発見がある。
季節や天候の違い、はたまた数年の歳月を経ても、違った雰囲気が味わえる。
逆に道に迷えばそこは間違いなく見知らぬ未知の道であり新しい発見がある。

「日本は季節が目まぐるしく変わり、夏は暑く冬は寒く雨風も強いから大変」
とは、一年中夏の地域での生活を始め現地に馴染みつつある、別の友達の言。
だけれどそれだからこそ同じ場所へ何度も訪れて飽きずにいられるのだろう。

続きを読む "歩考者優先"

|

2012/03/20

梅のみの問題ではないだろうと考えた

20120320_201203181366s


日曜のドライブの目的地は梅林。例年なら見頃を過ぎているはずの時季だが、
今年は満開にも至っていない木々が目立つくらいの開花状況だったので驚く。
おまけに土日を狙い澄ましたかのような雨模様、稼ぎ時に客足まばらの梅園。

とはいえ雨に濡れた梅のクローズアップ写真なども風情があるるので撮ろう、
と思っていたトコロが普段あまり使っていない方のカメラの電池が残量不足、
前夜に用意しておいた予備の電池もまた充電不足で撮影も不完全燃焼の始末。

仕方なくケータイのカメラで少しばかり撮り足したりして、あとは散策する。
花の季節だけ臨時で店を開けている売店や屋台なども雨に負けそうな雰囲気。
土産物屋の人の言うには「今年は1カ月も遅いから、花は3月末までが見頃だ。
梅の実が収穫できる頃には暑くなり、腐ってしまう実も多いコトだろう」と。

結局、今回は土産も飲み食いもそこそこに、再びドライブに戻ったのだった。
そりゃもちろん、月末までには再び訪れるつもりでいるので、そのときにね。

続きを読む "梅のみの問題ではないだろうと考えた"

|

2012/03/19

自称逸般塵の不通の日記(335) ふりだしにもどるx3

20120319_dscf7377_1s


いいかげん梅の名所も見頃ではないだろうかと実家からドライブした日曜日。
漠然と目的地を決めて走り出すもののルートは深く考えないのが実家の流儀。
途中で気になったトコロに踏み込んだりするのも織り込んで遠くない場所へ。

知らない道に出会うと「行ってみよう」と、時間が許す限り入り込んでいく。
助手席には同じく好奇心旺盛な老母、「あのあたりに出るかな」などと道の
行く先を想像しながら山道をウロウロと走っていったら、しかし元に戻った。

どうやら途中の分かれ道を見落としたか違う方へ入り込んでしまったようだ。
空は真っ白な曇天、というか途中で雨が降り出していて、方角が分からない。
アナログな実家なので車にナビなどついてないし、ケータイのナビも面倒だ。
そもそも「知らない道=楽しい未知」という人たちだけのドライブだもんで、
意外な結果が出るのもまた面白がって、いつも走り回っているのだけれども。

再び知った道に出て、また少し走ったトコロで知らない道に入り込んでみる。
ところが今度も、また同じように、どこかへ行き着くのではなく元に戻った。

今日はそういう日なんだろうと、ひとまず寄り道を諦めて知った道で目的地。
そしてひとしきり散策をした後の帰り道、行きとは別ルートを選ぶのが基本。
まだ時間に余裕があるからと、ぐるり大きく回り込む道を選んで車を走らせ、
途中で休日の帰り車らしき混雑に遭遇したので、またも別の道へと入り込む。
遠回りでも時間掛かっても流れているルートの方が好きだから、という選択。

そうして、また新たな知らぬ道へ入り込んでいったのだけど、またも戻った。
1日に3度も、回り道をした末に戻ってくるなんて、さすがに珍しい体験だな。

続きを読む "自称逸般塵の不通の日記(335) ふりだしにもどるx3"

|

2012/03/18

自称逸般塵の不通の日記(334) 気分は未だ冬明け前

20120318_img_9376_1s


今年の花季の遅れは昨年に並ぶくらいではないか、
いやひょっとしたら昨年よりも遅いかもしれない、
そんな感覚を強くしたのは久々に三輪車を漕いで
訪れた公園で、1年1カ月前と同程度だと確認して。

ようやく今頃になって見頃を迎えているのが白梅。
枝垂や八重の桜はボチボチ開花してきてるものの、
ソメイヨシノの蕾は未だ固く締まったままである。
いつになったら春本番が訪れるのか、と思うほど。

まるで日本社会と軌を一にしたかのような閉塞感、
それに多くの人は飽き飽きしているとは思うので、
そろそろ気持ちを切り替え花を咲かせて春を謳歌
しようとしているとは思うが夜明け前は最も暗い。

続きを読む "自称逸般塵の不通の日記(334) 気分は未だ冬明け前"

|

2012/03/17

読み返り振り返し 複雑な事情と素朴な解

20120317_img_7465_1s


盛夏を迎える頃になると暑さとの戦いが始まって世相の
話題の割合が減ってくるのは毎年恒例のコトではあるが、
そんな中でもときたま世相についての批判を加えていた。
きっと空調の使えない自宅から脱出して喫茶店に入った
というのに節電で暑い店ばかりだったコトが原因だろう。

そう、それは節電が要請されていた特別な夏だったから。
決して客に暑さを味わそうとしていたワケではないのだ。
そんな「致し方なく」「止むなく」の部分にまで悪意を
幻想して反撃に出るのは違うよね。傍目には単なる攻撃。

もちろん、暑くてイラついた事実は店に悪意があろうと
なかろうと存在するので、そこを忘れろとまでは言わぬ。
とはいえ程度の違いは生じるのではないか、少なくとも
合理的な範囲で可能な限りの努力をした上での現実なら
まあそれなりに受け容れざるを得ないと判断するのでは。

喫茶店の冷房くらいに理解しやすい事情だったらいいが。

昨年などは不平不満不信の声ばかり目立っていたけれど、
実は気付いてなかった、というよりは社会の中の誰かに
全ての責任を押しつけて見ないようにしていたリスクが
山ほどあって、それがときとして「その誰か」だけでは
対処できないレベルにまで高まってしまうコトがあって、
まるで不意に目の前へと飛び出してきたように感じられ、
その不安や恐怖、そしてそこから派生した怒りや苛つき、
さらに変形して「誰か」に対する不信感、なのだと解釈。

続きを読む "読み返り振り返し 複雑な事情と素朴な解"

|

2012/03/16

読み返り振り返し 思いばかりは上りゆく

20120316_img_9314_1s


震災や原発事故の対応では不満の声が多く取り沙汰され、
「もっと上手くできたはず。なのにそれができなかった
というのは無能か悪意が原因」といった考え方が目立つ。
でもそれってヒトならできて当然だという思い上がりの
ようなものなんじゃないか、という風にも思うのだよね。

何しろヒトというのは情報の拡散が非常に選択的なもの。
日本はダメだなと思ったが最後、良くない情報ばかりが
目に飛び込んできて、そうだとしか思えなくなっていく。
その人が他の人に伝える話題も良くない方の内容ばかり、
ヒトビトのウワサはネットやマスメディアを通じて集約
拡散され、気付けば日本中の誰もがそういったキモチを
共有しているかのように思えてしまうに至る、のが実態。

そんな「何か上手く行かない」の原因を災害に求めたり、
あるいは政府だの官僚だの大企業だのに求めていたりと、
あまりに皆々様が騒々しくて遂には首相チェンジなんて
トコロにまで行き着いたコトに呆れたので小説を書いた。

どんどん暑くなっていく時季でもあったので、いささか
イラつきのような感情も入ってしまったけど、まあいい。
そんなのは自分で向き合って何とかする以外にないので。

自分の感情の原因を他者に押しつけてしまうのは簡単だ、
けれどもそれはどこまでもエスカレートしてしまうので、
どこかで歯止めを掛けられないと自らの呪いの穴に嵌る。
できるコトなら最初から近寄らない方がいいのだろうに。

続きを読む "読み返り振り返し 思いばかりは上りゆく"

|

2012/03/15

読み返り振り返し ネガティブな感情の裏を取る

20120315_img_9312_1s


何も役立つコトができない中で事態の推移を見守るのは、
多くの人には非常な忍耐力を必要とするコトなのかもな、
と思いつつネットを眺めていたのは梅雨の頃だったかと、
ざっと見ればヒトビトの不安や怒りについて論じていた。

怒りと問題解決を切り分けるコトのできない人が多くて、
日頃の当事者意識のなさの裏返しかのような非難の声に、
さすがにイラッとして逆批判を加えたコトもあるけれど、
それより彼らの心理状態を知ろうとしていたように思う。

いわゆる陰謀論は、「誰かor何かに委ねたい」依存心に
由来しているのではないか、といった考察も行っていた。
感情は本物なのだから、その原因も存在するに違いない、
といった思考パターンが存在しているのではないか、と。

漠然とした不安感を説明するに足るだけの理由を求めて
「来るべきものが来はじめたので不安は本物だった」と
言いたいばかりに放射能による健康被害情報を探し回る、
遣り場のない怒りを裏付ける理由を探し求めるあまりに
ひとまず日頃は縁遠いテレビの向こうの上の方の存在や
その背後のいる人たちに善意がないものと決めて掛かる、
といった傾向が、日頃に増してネット上から読み取れた。

「怒っている人に対して冷静な言葉を浴びせて
後で思い返して申し訳なく思ったコトもある」

などと書いているので、その過去の反省を踏まえた上で
あえて静観を決め込んでいたというコトになるのだろう。

まあ負の感情については些か身に覚えがあるワケだから、
自身の感情を探って裏返してみて少しは見えた気がする。

続きを読む "読み返り振り返し ネガティブな感情の裏を取る"

|

2012/03/14

読み返り振り返し 警鐘を鳴らせばノイジー

20120314_img_9339_1s


人間観察と言ってしまうと人聞き宜しくない印象だけど、
さりとて積極的に論争の渦中へ飛び込むほど余裕もなく、
むしろ同時期に直撃してきた受注の落ち込みが厳しくて、
辛うじて合間に情報収集をするコトができたという程度。

そもそもネット上に発信するような精神状態というのは
「伝えたい」や「気付いてほしい」や「分かってほしい」
といった外向きのベクトルが含まれているものであって、
「放っておいてほしい」「邪魔しないでほしい」などの
内向きベクトルが勝っているようなときではないワケで、
しばしば自己アピール成分を過剰に摂取しすぎてしまう。
特に組織バックグラウンドのない個人からの発信内容は
その含有量が極めて高いものもあったりするので要注意。

ただでさえ今の時代は平常時から膨大な情報がある上に、
昨年来シグナルの増加と同時にノイズも増加してしまい、
認識が飽和したり麻痺しかねないのではないかとも思う。

完全なる「安全と安心」を求めているのは甚だ残念でならぬ。

などと書いたのは、大型連休に入った頃のコトだったか。

続きを読む "読み返り振り返し 警鐘を鳴らせばノイジー"

| | コメント (0)

2012/03/13

読み返り振り返し ムカシカガクショウネン

20120313img_9329_1s


農村地帯に生まれ育って実家は町工場、学校の成績では
理科系の科目が他の分野より良かった、そんな少年時代。
キットのラジオを組み立てて遊んだり、工場にある金属
材料を何かの玩具代わりにしていたり、はたまた近所の
田畑で小動物を捕らえ飼育してみたり、そうかと思えば
兄の理科の教科書から科学系新書から、乱読していたり、
とにかく理科系の話題には飢えていて、知識を欲してた。

ただ興味は幅広いというか好奇心が赴くまま学んでいて、
大学は農学部に進んだが専攻以外の授業も撮りに行った。

当時よくツルんでいた仲間といえば変人揃いではあった。
だいたい中心人物は仮面浪人と書生、と野良男だったか。
一部の先生からは「バンカラ連中」と呼ばれたりもした。

卒業に必要な単位は押さえつつも、皆があまり取らない
(点が取りにくい)授業も興味の赴くまま受講していたし、
教職課程も学んだ。そのくらい、いろいろ知りたかった。

仲間内は大概みんな読書が好きで、それぞれ得意分野が
あって、そんな雑学も仲間内で交換し合っていたものだ。

自分の知らないコトを知っている人には興味が湧くもの、
そういう感覚を共有する仲間内だったのだと、今は思う。

続きを読む "読み返り振り返し ムカシカガクショウネン"

|

2012/03/12

読み返り振り返し 花を待つ日々

20120312_img_6585_1s


昨年どんなコトを書いていたか、少し読み返してみよう。

--
ちょうど仕事の切れ目に差し掛かっていて時間はあった。
逆に言えば次の仕事が入っていない状況であったワケで、
震災に伴う社会混乱の先行きも相俟って不安はあったな。

しかし、改めて読み返してみると、情勢を収集・分析し
自分なりに今後の見通しを考えつつ日々を過ごしていた。

ここ都内では直接の被害はほとんどなく、物流の混乱や
放射性物質検出で規制された品があったりで、いろいろ
商品が不足した以外は、10日ほどで生活も日常に戻った。

3月末から4月上旬頃は、とにかく散歩を頻繁にしていた。
考え事しつつ歩き、咲き初めた桜を撮りまくるつもりで。
(故障したと思っていたカメラは、何かの拍子に動いた)
だが、「今年ほど桜の開花が待ち遠しかった年はない」
と、昨年初の桜の写真を添えて書いたのは3/30のコトだ。

震災以降の写真を見ると、ソメイヨシノが登場するのは
3/28が最初。このあたりでも特に早く咲き始める川沿い。
近所一帯が見頃を迎えたのは翌週あたり、近年稀に見る
遅い開花だったが、さらに翌週4/12頃まで見頃が続いた。
それでもなお花が名残惜しく4/19も遠出して撮っている。

続きを読む "読み返り振り返し 花を待つ日々"

|

2012/03/11

たまには時事ネタ(82) 「上手く行かない」と思う人が激増した一年

20120311_img_4759_1s


ヨノナカのモノゴトなど上手く行かなくても仕方がない。
というか、上手く行く方が珍しいのだ、と考えるべきで、
過去半生を振り返ってみても、けっこう綱渡りな人生で、
今ここに生きてられるのは数々の偶然が重なっての結果。

昨年の震災や津波によって生命の危機に見舞われながら
「奇跡的に助かった」例も数多く紹介されているけれど、
そんな中で辛うじて死を免れて生き残っているのが現在。

だから、上手く行かなくなった人たちの存在については
常に意識の片隅に置いておきたい、そう思うための節目。

一年を区切りとして平常に戻ろうとする人もいるだろう。
一年の区切りがついて更なる奮起を図る人もいるだろう。
ただ淡々と日常の一日として過ごした人も、いるだろう。
たぶん、その何れの過ごし方も悪いものではないと思う。

続きを読む "たまには時事ネタ(82) 「上手く行かない」と思う人が激増した一年"

|

2012/03/10

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(93) 「ここ深淵からもまた汝を覗き込んでいこう」

20120310_img_6510_1ts


ネット上の議論などを見ていると、ついつい気になって
口出ししてしまいたくなったりする場面も少なくないが、
1対1で向き合う勇気はないというか、そんな元気はない。
見ず知らずの他人にそこまでリソースを割く義理もない。
だから長い目で状況の推移を見守るように心掛けている。

あえて言葉にしないままでいる思考内容も少なくはない。
言わないどいて自分の中で状況に応じて修正していって、
誤った認識を発信せぬようにするのは姑息かもしれんが、
迂闊なコトを言わないまま状況の推移を観察していけば、
前言に引き摺られるコトなく考えを修正できる気楽さも。

すなわちヒトビトの動きを、社会の激動を観察している
というコトであり、ある意味で卑怯な行為かもしれない。
たぶん、必死に考え活動している人たちにすれば不愉快。

でもね、本気でヨノナカのコトを考えて精力的に活動を
している人は凄いと思うんだ。そうできるもんじゃない。
願わくば今年だけでなく今後も忘れずにいてほしいもの。

続きを読む "役に立つか苦言かどうかは受け手次第(93) 「ここ深淵からもまた汝を覗き込んでいこう」"

|

2012/03/09

あのとき感じたキモチは本物なのだから

20120309_img_8345_1s


「聞き返されて当たり前、一言で対話が済むはずはない」
そんな発言を、ネット上でやりとりされている中に見た。

「○○を分かってない」と言い放つのは対話遮断の合図。
その○○の枠組の中の当座の対話に必要な概念について、
個別に質問や確認を行って返答を得てスリ合わせた上で、
そこに載せるべき新たな情報があるならば加えて提供し、
相手に判断を委ねる、そういう風に対話を進めたいもの。

たとえば不安感にしろ恐怖感にしろ怒りや不快感にしろ、
そういう感情を抱いている当人にとってみれば、それが
本物でないはずはない、という考えが働いているものだ。
それゆえ感情に沿わない情報には強く反発しようとする。

だから怒りや不安に溢れる人物と接触しようとする際は、
中途半端ではいられない、1対1で向き合う覚悟が必要だ。
ていうか1対多とか多対1とか多対多では紛糾するばかり、
助け船を出すつもりが戦力逐次投入の愚を犯すに過ぎぬ。

聞き返してもらう前提だから突き放すようなコトは不可、
また逆に逃げたりせず、お互い生身の人間として1対1で、
そして相手の感情を動かすなら自分の感情も動く覚悟で、
取り掛かってこそ、はじめて対話と呼べるのではないか。

続きを読む "あのとき感じたキモチは本物なのだから"

|

2012/03/08

中と外を見てようやく枠を知る

20120308_img_8347_1s


似たような背景、知識を持ち合わせた者どうしの対話は、
あえて理系文系の分類を使うならば文系的と言えるかも
しれないが、そこに理系の知識や論理的な思考が入ると、
より一層、意味ストリームの密度が上がるように思える。

また、同じ文化圏の中でのコミュニケーションの効果は、
異文化コミュニケーションの苦労を体験していればこそ、
たとえば自分の中の「日本人」を抽出して説明するなど、
さらに高められるように思えて、そのあたりも興味深い。

同じようなコトは「間」といったものにも通用しそうだ。
あえて口にしない、文字にしないようにして周囲を埋め、
少し離れた視点から眺めると残った部分が浮かび上がる、
そんな表現手法も、自分と相手を知っていてこそのもの。

続きを読む "中と外を見てようやく枠を知る"

|

2012/03/07

似たもの同士は話題が飛躍する

20120307_img_8348_1s


友達との長電話の中にはトーストの焼き方から哲学まで、
古典文学から文明論から政治経済最新科学無線通信規格、
とにかくも多種多様というか種々雑多な話題が飛び交う。

長電話の主な相手も、だいたい知識の豊富な人ばかりで、
あちらこちらへとハナシが弾むというか飛びまくったり、
そういう会話を累計すると何十時間何百時間しただろう。

だから、相手が何をどのくらい知っているかを踏まえて
それこそ連想ゲームのように話題を飛ばしたりできるし、
話題が飛んでも理解している、という感覚を共有できる。

このあたりの考え方は共通点が多いからこそ可能なもの、
ある意味で非国際的(国粋的?)というコトかもしれない。

現代の日本という共通の背景を持っている上に、さらに
趣味趣向のレベルでも共有できる部分があって、加えて
いささかマジョリティから外れた生き方の仲間でもある。

続きを読む "似たもの同士は話題が飛躍する"

|

2012/03/06

自称逸般塵の不通の日記(333) オトナ電話相談室

20120306_img_8349_1s


このところ、友人たちから電話を貰う機会が急に増えた。
確定申告の帳簿作業は一向に進まないが、ここ数日ほど
仕事そのものは手が空いているのだし、快くお相手する。

電話をすると何かの堰を切ったように喋る友達が、いる。
話題はあちこちに飛んで、いろいろなネタで盛り上がる。
ひとしきり(たまに数時間)喋ると、少し落ち着いてくる。

ときに仕事の愚痴、ときに喧嘩の仲裁、ときに人生相談、
はたまた電話を繋いだままヘッドセットつけて家事など
しつつとりとめなく言葉を交わし続けるコトもあったり。

(それなりに信用できる)誰かと一緒の時間を共有したい
という友達との通話は、こうして長時間に及ぶのが通例。

続きを読む "自称逸般塵の不通の日記(333) オトナ電話相談室"

|

2012/03/05

広帯域通話への挑戦?

20120305_img_8346_1s


喋ったり書いたり、コトバによって表現される内容には、
人によって、あるいは話題や状況によって、ずいぶんと
密度が高かったり、逆に妙に低かったりするコトがある。

ビットレートの高い意味ストリームが伝えられてくると、
受け取る側も高速に内容を解釈して処理していかないと、
話題の流れるテンポに追随できなくなったりするけれど、
対応できていれば短時間の接触で大量の情報が得られる。

よくある表現で言えば「情報量が多い」といったトコロ
になるだろうけど、一体どうすればそうなるのだろうか。
余計な修飾語がないといった特徴はあると思うけれども、
一部の論理展開を省いて受け手側に任せるような印象も。

現状きちんと把握して習得するまでには至っていないが、
今後さらに分析を深め文章表現を通じて試行錯誤しよう。

|

2012/03/04

役に立つか苦言かどうかは受け手次第(92) 悩める者(悩みに潰されないで悩むコトのできる者)は幸いなるかな、好きなだけ悩めばいい

20120304_img_9277_1ts


「科学者よ詩人たれ」(意訳)という言葉を目にした。
科学の言葉は他の人々に訴えかけることができない、
より多くの人の心に響く言葉を、というコトらしい。
ちょっと待て、逆はないのか逆は。どうなんだろう。

理解するとは、自分の言葉で語れるようになるコト。
ていうと他人の言葉を借りているばかりであるなら、
知識を理解して使いこなしているとは言えんだろう。

コトバを使いこなすのも、モノゴトを深く知るのも、
どちらも同じくらいに大変なコトなのだと思うけど。

続きを読む "役に立つか苦言かどうかは受け手次第(92) 悩める者(悩みに潰されないで悩むコトのできる者)は幸いなるかな、好きなだけ悩めばいい"

|

2012/03/03

兎角に人の世は、まあそれなりにヒトが動かしているらしい

20120303_img_6262_1s


それなら、これほど無秩序な集団をどうやって導けるのだろう。

せいぜい一緒に変わっていくしかないのかな、とか考えている。
というより、集団の変化を少しだけ先取りしつつ変わっていく。

全体としては、ある意味で魚群にも似た動きを見せるヒト集団。
向かっていく先の、ほんの少しばかり先へ突出した存在がいて、
そいつが微妙に向きを変えた分、集団もわずかに引き摺られる。

つまり、少しだけ集団全体より先んじたポジションを獲得した
上で、ほんのちょっとだけ方向性を変えつつ動いていけるなら、
ひょっとしたら集団全体の動く方向をも変えられるかもしれん。
昔よく言われた「半歩先」という頃合は、そんなコトなのかも。

まあしかし、それだけの努力や苦労や工夫をしてみたトコロで、
個体の能力には限度があるし集団内では大した差別化もできず、
同じく先行しつつも別の方向へ向かおうとする競合が現れたり、
そもそも集団が確実に追随してくれるとは限らなかったりとか、
目的達成を阻害する要因は数知れずあるので、アテにはできぬ。

続きを読む "兎角に人の世は、まあそれなりにヒトが動かしているらしい"

|

2012/03/02

ニホンのキホン・智に働けば角が立って置いてきぼり?

20120302_img_7515_1ts


そもそも集団が変わり続けるコトが暗黙の総意のようなもので、
そこを無理に変えていこうとする個人が若干存在するとしたら、
あるいは変化に反発して全く変わらずにいようとしたらどうか。

きっと周囲が変わっていく中でズレていくのではないだろうか。
変わりゆく周囲との摩擦は確実に生じるだろうし、それを無視
するとしても、皆が去ってしまえば取り残される可能性がある。

なにしろ“全体”においては明確な意識など持たぬまま変化を
漫然と続けているだけなのだから、固定した位置から呼び掛け
続けていても、どうせ聞き入れてもらえないままであろうかと。

逆に考えてみればいい。

どれほど堅固な要塞も、そこが戦場とならなければ意味がない。
むしろ要塞が堅固であればあるほど、敵はそこを避けて戦場を
設定しようとするはずで、それを考えれば位置の固定は無価値。

続きを読む "ニホンのキホン・智に働けば角が立って置いてきぼり?"

|

2012/03/01

このクニのカタチ・ 情に棹さして流されるが吉?

20120301_img_0823s


だけど日本ダメだなんて思ってしまったりするのも変なハナシ。
個性的な自分ダメだと思い込むのに似たようなもんじゃないか。

むしろ今の日本の現状は、なかなか傑出した英雄が出てこない
けれども、むしろ英雄など不要なくらい組織の現場が自律的に
活動していて、しかも大した問題が生じないほど成熟している、
そんな実態の裏返しでもあるだろう、という風にも思うのだな。

割と「みんな一緒に」変わって行こうとする傾向が感じられる。
見聞きするコト体験するコト、たいがい割と似たような内容で、
みんな同じように新しいコトを知ったり何かに気付いたりして、
学んで変化していく傾向が強いから、個々の人物からの視点で
みれば、周囲との関係が大きく変わっていくようには思えない。

そういう特殊な環境が、この巨大なムラ社会なのかもしれない。

続きを読む "このクニのカタチ・ 情に棹さして流されるが吉?"

|

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »