« 疎外感それがいかん | トップページ | 読み返り振り返し 知識は役立ってから気付くもの »

2012.03.25

非同調自己バイアス機能

20120325_201203181370s


「意識が高い人であるならば物声を挙げないと」
という風潮があるように思えて、肯んじかねる。
「××なら○○しないと」という短絡が嫌いで。

いわば単純な反発心から芽生えたような思考も、
しかし対話や観察や黙考を重ねると少しは変化
するものらしく、呆れて怒れなくなるくらいに
ヒトの感情の動きの滑稽さを思い知らされてる。
面白て、やがて哀しき、ヒトのキモチのうごき。

感情の変化をなかったコトにするコトはできぬ。
感情には、ある種のヒステリシス性があるから。

ヒト個体や集団を観察していると、垣間見える。
僻みや被害者意識などが人から人へと連鎖して、
いろいろなトコロへダメージを与え続けていて、
たいてい反発が反発を呼び泥沼に陥った挙句に、
一部先鋭化した対立構図と覚めた大多数に分離、
現実問題は有耶無耶の裡に流され感情のしこり
だけが残り続けて、そして徐々に風化していく。

そういう繰り返しの歴史の中の一幕なのだなと、
現状を分析しているので、もう容易にはアツイ
議論に入り込む気にならなくなってしまってる。

熱意や正義感ばかり空回りしてるような「市民」
による政府や公的機関、大企業、また所属する
個人などへの非難は、どこか怖ろしさを感じる。

激情に駆られた「市民」による「裁き」てのは、
実質的に吊し上げであり恐ろしい副作用を伴う。
ただ単に「冷静に」と呼び掛けるだけでも身の
危険を感じるまでになったら個人的には逃げる
という選択肢も考えなければなるまいとも思う。

たとえば、政治家などに対し「責任ある判断を」
などと要求する人たちというのは、「判断」を
下した人物に「もし何かあったら吊し上げるぞ」
と、半ば脅迫めいた圧力を掛けているとも思う。

逆に言えば、それだけの圧力を受けながら自ら
情報を収集して分析して判断を下して行動する、
そんな人物には多大な敬意を払うべきとも思う。
立場によるバイアスが多少あろうとも、そんな
玄人たちの存在の方が、攻撃的な素人集団より
よっぽど有難い、というふうに考えているので。

そもそも日本人は相互監視が強いのだからして、
放っとけばガチガチの監視社会に至りかねない。
監視してる者を監視する、その監視者をさらに、
という具合に循環でもさせてやらないと無理だ。

そういうトコロが今は巧く働かなくなっていて、
もともと不完全だった部分がさらに綻びていて、
特に情報の伝達や活用が滞っている点が問題を
生じさせ拡大している最大の元凶、ではないか。

あとは、そこの現実に一人ひとりが向き合って、
個人を潰すヨノナカでなくなるようにと考えて、
話し合って工夫して努力して、また実現に向け
忍耐を持って歩みを進めていくしかなかろうと。

--
昔からヒト集団恐怖症だから、そのバイアスは
大いにあると思う。ある種、独特の考えである。
でも、これまでに、暴走した集団の恐ろしさを
多くの人たちが認識し考えたでコトだろうから、
おそらく同じように考えている人も少なくない、
そんな若干の期待はある。確証こそないけれど。

感情の働きを深く認識しつつもそこに囚われず、
特に集団内で発酵しがちな感情の負の側面にも
向き合っていけるような人たちが増えるといい。

いや、その気配は、少しばかり察せられている。

ただ、そんな人たちが増えたとしても個人的に
参加していけるかどうかは、まあ微妙なトコロ。
なにせヒト集団というのは何であれ怖さを含む。
きっと適度な距離を確保し続けるコトになろう。

経験を積み成長していく人たちを見守るような、
そんな気楽な立場でいられたらな、と思う次第。

|

« 疎外感それがいかん | トップページ | 読み返り振り返し 知識は役立ってから気付くもの »