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2012.03.24

疎外感それがいかん

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ただネット上で見掛けるような「悲惨で過酷な
運命を背負わされ虐げられるワタシってケナゲ」
とか「そんなワタシに正義の力を分けてくれろ」
なんてハナシにまでは付き合いきれん、と思う。

前にも書いたが、そこまで付き合っていたなら
身が持たないというかリソースが足りぬばかり、
なので当事者たちの身を案じつつも実質的には
目の届く範囲に入ってくる情報を観察しながら
状況を分析し、余裕のある範囲で少しばかりの
口出し手出しをして、せめて悪化を防げればと、
そのくらいの関わり方に留めるようにしている。

ついでに観察を深めて、個々人がどういう風に
「悲惨で過酷な(以下略)」の状態に陥っていく
のかといった点について、推察を行ってもいる。

友人との電話や対話の中で得られた個別経験を、
ネット上の人物観察に当てはめるコトで、割と
多数の、どちらかというと集団としての活動を、
大雑把ではあるが、捉えられるように思うのだ。

そうやって全体を概観できるようになった上で、
さらに各個体の識別が明瞭にできるようになり、
特定個体の認識範囲や思考パターンを類推する
までに至れば、もしかしたら声を掛けるのかも。

いや、少なくとも最低限そこまでできるように
なっていなければ「親身になって聞く」なんて
到底できてるとは思えない。烏滸がましいよと。

……というトコロまで考えると、これまで縁の
なかった存在や関係性の低かった相手に認知し
てもらうには、やはり声を挙げるのが望ましい。

ただ、状況について説明する際に自己の感情を
(おそらく意図的ではないと思うが)過剰に混入
させてしまうと、多くの人にとって情報密度の
低い無価値な発信とみなされてしまいかねない。

おそらく、それを目に留めて読み解こうとする
ような人物は、ただ単に同じような感情の状態
であってそこに共感しているに過ぎぬ相手かと。
それは少しばかり承認欲求を満たす役には立つ
けれど問題解決には繋がりにくいのではないか。

そういう意味では、相手が理解してくれて当然
なんていう感覚で全世界に発信するようなのは、
ある種の甘えや諦めがあるようにも感じられる。

「誰も分かってくれない」という不満、疎外感、
そういうのを乗り越えて何らかの価値ある情報
として発信していけないと苦しいままだなんて、
実は非常にヨノナカ生きづらいなと思うけれど、
身近なトコロで支え合う仲間が得にくくなって
しまう原因は社会の利便性と表裏一体でもある。

--
不遇にある現状、これからさらに悪化しそうな
状況について黙ったままでいるのも一種の甘え。

「言わなくても、分かっている、察してくれる」
という暗黙の了解なくしては、空気を読むなど
自殺行為だというコトも理解しておかないとね。

たとえば今年に入ってから、あまりに孤立死の
報道が目立つワケだけれど、「被災地はもっと
大変なのだから」と彼らが考えた末に我慢して
しまった面もあるのかもしれない、と思ったり。

何となく「空気を読んで」自制的になりがちな、
性質てのは秩序や規律の面では大きなメリット
だけど行き過ぎて過剰に我慢してしまっている
人たちが余りに顧みられぬまま放置されるのも
また大きな問題なのだなと、ほぼ独りで考える。

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