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2012/04/12

自称逸般塵の不通の日記(342) 春々訪れた新緑の山里、を目指す日々

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出先での作業に比べて自室での作業の捗らなさといったらない。
自宅での仕事が滞るたび外を出歩くコトを夢見て逃避する生活。

自宅付近で停滞する日々、窓の外では近所の家や学校の木々が
若葉を日毎に茂らせていくのを、ときたま眺めながら仕事した。

さらには昨年の写真をPCの壁紙にして息抜きに覗き込んでいた。
どれほどに眺めても現実逃避に過ぎず仕事は進まないけれども。

桜が散れば新緑、その色濃さは毎日のように変わりゆき飽きぬ。
嗚呼そうだ今の時季の緑というのは待っていてくれぬのだから。

さっさと目の前の現実にケリを付けてもう一つの現実へ遊ぼう。

この仕事が片付けば次の仕事は来週にならないと来ない見通し、
というコトは今後の稼ぎの不安も含むけどそんな現実も飛ばせ。

冬の後には春が来て、花咲き緑萌ゆるのが道理であるのだから。
曇や雨の日があったって木々は潤い晴れの日が訪れて育つのだ。

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このブログ原稿のように仕事も日々気軽に片付けられるように
なりたいものだと思いながら何年もそれができずにいるけれど、
ひょっとしたら何らかの拍子に変化が生じ少しくらい楽になる
かもしれぬではないか、伸びる木の根のやがて岩をも割る如く。

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