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2012年4月

2012.04.30

微妙だけど大きな違和感と、かなり違うけど気にならないコト

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ほとんどのノートPCはキーボードを変更できない上に、
機種によってキー配置が違っていたりするものだから、
たいがい買った後には慣れるまでの時間が必要となる。

それでも各種配列のキーボードを使い続けてきたので、
たとえば日本語版と英語版くらいは使い分けられるが、
周囲の修飾キー配置は機種ごとの差が激しくて大変だ。

新たなネットブックはメインで使っているノートPCと
似ているトコロがあるものの重要なキーが逆だったり
するもんで、そこは本当に身体で覚えないといけない。

そういうのがあると最初かなりストレスになるのだな。

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2012.04.29

所持品紹介(32) だいたいこのくらいっていう大きさの道具

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外出先や移動中に活用できるようにと奮発して買った、
といっても予算は乏しいので性能的には底辺に近いが、
それでも既存の端末より使いやすく電池が長持ちする。

まだ使ったことのないバージョンとはいえOSは普通で、
そのあたりも携帯性を最優先にして一般的でないOSを
搭載した携帯端末などとは違いソフトの入手も容易だ。

大きさや重さは数年前まで使っていたPCと同じくらい。
同時期のPCの中でみれば処理能力は最低ラインに近く、
携帯性やバッテリ持続時間を重視した、というワケだ。

そんな風に考えるとPCというのは10年くらいほとんど
進化していないんじゃないかという気にもなってくる。
使った感触でいえば大幅に快適化したとは思えないし。

年々CPUの性能が上がったりHDD容量が増えたりするが、
扱うデータ量や処理の複雑さも同じくらいに高まって、
体感速度は結局やはり大きく変わらないというワケだ。

そして駆動時間にしてもバッテリ性能向上も消費電力
増加で相殺されて大きく伸びるコトはないのだけれど、
何故か価格だけは数年前から比べると大きく下がった。

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2012.04.28

自称逸般塵の不通の日記(344) 晴れたけど停滞日

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世間でいう大型連休というのは貧乏だと特に何もない。
今回は仕事が一つあるのが有難いというか何というか。
昨日の出張で持ち帰った作業を片付けるのに連休前半、
後半は作業が片付いていれば実家や近郊を巡れるかも。

発注していたネットブックが届いて目が覚めた土曜日。
昨日の静岡での暑さが流れてきたかのように暑い東京。
雨や遠出の影響で滞っていた洗濯物を干し自室で設定、
幾つかソフトを導入するなど地味な作業を続けていく。

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2012.04.27

出張旅行記(50) 布団までの遠い道程

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デスクワークの遅れからアポイント当日の朝まで作業、
となってしまうのは恥ずかしながら少なからずあるが、
2サイクル3時間の睡眠の後に静岡まで一っ走り行って、
想定より少し長く時間を費やして仕事をしてきた上に、
加えて今日は連休前というコトで追加の用事があった。

自宅に戻ってみれば予報が外れたようで朝からの雨が
(新幹線の向こうでは晴れて暑かったのに)続いていて、
気温と湿度の落差に少し疲れが出てきたのだけれども、
実は本日まだ外出の予定が入っているのだったりする。

連休に泊まりがけで旅行する友人からペットの世話を
頼まれているので鍵を預かるため落ち合うという約束。

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2012.04.26

溜飲を下げるのみの結果を求めるコトの刹那さよ

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ユーモアてヤツは感情の冷却に役立つもの。
場を和ませ気分を落ち着かせ会話を弾ませ、
先へ進もうかって気にさせてくれたりする。

ただし自分自身や身近な人たちだけでなく
非難してくるような相手まで笑わせようと
するには、余程の技量がなければなるまい。

それはともかくヒトというのは複雑な存在。
感情を無視して話を進めるコトはできない。
けれども感情を優先しすぎるとコドモ同然。
上手に折り合いをつけてもらわんといかん。

そういうのを押しつけるのでなく、自然に
促していくような方法を求めているのだな。

--
もちろんヨノナカいろいろあるものだから、
当人なんの落ち度なく害を被る場合もある。
ただそこから後の行動には個々人の責任も。

戦い方が下手では却って被害ばかり増える。
そしてヨノナカへの恨みばかり募っていく。
追加の被害を自分から拾ってくようなもの。

理不尽に対しては怒るのが普通だと思うが、
駄々っ子に味方する者など多くはないもの。
第三者にまで怒りを向けるようでは周囲の
余計な反発を受けるばかりで逆効果だろう。

たとえば飲食店で店の対応が気に入らない
一人あるいは一組の客が店員を呼びつけて
文句を言い募っているような場面であれば、
その店員がクレーム対応に追われている分、
他の客への対応が疎かになっているはずだ。
「どうでもいいから早く料理出してくれよ」
キッチンでも着々と調理が進んで、あとは
配膳するだけという状況になっているのに
ホール係のリソース不足で配膳が遅れれば
冷めていくばかり、他の客は不満ばかりだ。
度を超すクレームは誰の得にもならぬ道理。

--
嫌なコトをしてくる奴がいて腹が立つなら、
ソイツと同じコトをせぬようにすればいい。
激した感情を投げつけてくる相手がいれば、
冷めた気分を見せつけてやるのが効果的だ。

とはいえ、ぶつけられた感情に影響されて
こちらも感情に波風立っている場合も多い。
それはヒトの仕様のようなものではあるが、
しかし自己冷却のための放熱は周囲を熱く
してしまいかねないので注意が必要となる。
冷めた物言いをするつもりが熱を含んだら、
それはやはり、意図に反する結果となろう。

--
「何か良いコトを云おうとしてる」なんて、
友人との電話の中で言われたコトがあった。
その指摘は、大きく外れてはいないと思う。

非難めいた意図を隠せぬような皮肉を言う
くらいの苛つきだとか不満感といったのを
消化して、何か別のモノに転化したいのだ。
そして、あわよくば昇華させて役立てたい。

あわよくば、場全体をクールダウンさせて、
直面する問題の一人称の人も二人称の人も、
遠巻きにする第三者まで含めて効果を発揮
するようなコトを言いたいけど、まだまだ。

センスのあるユーモアには昔から憧れてた、
というか、自分で使えるようになりたいと
思いつつ、そういうのを選んで接してきた
けれども、なかなか容易には身に付かない。
まだまだ先は長いので気長にやっていこう。

--
多少は使えるようになった方法が一つある。

他者への批判となってしまいそうな場面で、
割と誰にでもあり得る事柄に関する指摘を、
自虐を込めた自己批判として表現するなど、
伝わりやすいし受け入れられやすいと思う。

隣の芝生は青いけれど、それを逆手に取り、
実は変なキノコが生えてたりするんだよと、
道化を演じてみる、というようなものかな。

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2012.04.25

外からの力で動くようにできている生物だから

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感情は思考の方向を制約しがちだが、といって強引に押し込めようと
すれば弊害も少なくないのだと、いろいろな人を観察して考えている。

たとえば「○○ならば××なので△△せねばならない」などの規則を
自らに課して感情を無視して思考しようとする方法もあるが、それも
行き過ぎれば単なる自動反応装置のような状態になったりしかねない。
そういったロジックの罠に陥った状態も、ある種の思考停止だと思う。

また、感情を見せまいとして穏当な(言葉狩り的な思考で)用語を選び
文面の上で誤魔化すコトは難しくないが、しかし完全には隠しきれず、
文脈だとか、態度や仕草の端々に滲み出てしまったりするコトも多い。
しかも困ったコトにヒトというのは、そういうのに敏感なイキモノだ。

そも感情の動きには強いヒステリシスがあるもので、いったん生じて
しまえば「動きがなかった状態」に戻るのは非常に困難なものである。
中でも怒りなど負の感情は行動の選択肢を狭めかねず特に警戒が必要。
怒りが行動を阻害するなら持たぬ方がマシ、と思うようになってきた。

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2012.04.24

希薄な感情濃度かつ高い意味濃度を志向する癖

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ネット上の情報を切り貼りして拡大再生産して、より感情純度の高い
情報として再流通させる簡単な仕事、の成果を見るのは飽きてきたよ。

だから文脈に感情を込めすぎず、一方で意味を多めに盛り込むように、
他人の言葉は少し拝借するに留め、専ら自分の中から出てきた素材を
使いながら、こうしてブログを書いたりするように、と心掛けている。

ちなみに、そのテクニックの中の一つには「即応しないコト」がある。
急性的な感情変動の期間を遣り過ごすのは割と日常生活でも役立つが、
後に残るアウトプットをする際には、より大きな感情低減効果がある。
まあのんびりした性格なのでそのメリットに気付いたのかもしれんが。

情報の入手先も、割と地味なニュースとかドキュメンタリーが中心で、
他にはネット上にある資料を探し当てて淡々と読み込むなどしている。
これもまた騒々しいバラエティ(ニュースバラエティって何だ!)など
好きになれなかったしドラマを見るのも面倒だというのがあったので、
自然にそうなっていった結果ではあるが意味の密度は濃いものとなる。

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2012.04.23

理系用語で読み解く社会(81) ゑひてる媒質論

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ヨノナカを伝わってくる情報の大半は他人を媒介として伝わるもので
媒質となるヒトの能力や思想信条フィルタ、意志や感情に影響を受け
受容されなかった部分や伝達されなかった部分は失われるし中継する
際には脚色が加えられ、しばしば受け手の感情を揺り動かそうとする
性質が元の情報より大幅に強化されているコトも多いので警戒が必要。

しかもヒトの生物学的特性に由来するのであろう、特に素朴な怒りや
無垢な哀しみといった部分は情報の中でも媒質に吸収されやすくかつ
伝達されやすいし、媒質としても最も脚色したくなるトコロなワケで。
むしろ元情報を溶媒で抽出して感情エキスを濃縮するようなものかな。

なにしろ、ちょっとした文章の違いだけでも、というより文脈の上で
容易に示すコトができてしまうのが感情というものであるからにして。

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2012.04.22

トゲの根はヒトの奥底にこそある

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だいたいヒトは他人への関心が(自分自身に対するより)薄い上に他者の
理解が足りず他者にとっての気付いてほしいトコロを見落としながらも
自分自身が誤ったコトをしたとは容易に認めようとしない傾向が強くて、
そんな個人どうしが衝突して喧嘩が生じるのは致し方ないかなとも思う。

致し方ないというのは「発生を防ぐ努力をしても無駄」というのでなく、
努力や工夫でも発生を完全には防げないという前提で喧嘩による被害の
軽減や損害の補填に力を入れるのが望ましいというくらいのニュアンス。

「ないコトが善」に拘泥し予防にばかり気を取られすぎていると事後の
対策を軽視しかねないので気をつけないといけないよ、と言えばいいか。

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2012.04.21

アシにはオアシが必要であるコトに改めて思い知らされる件

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そして出張で訪れたコトのない県への仕事も引き続き募集中。
まずは来月の出張では移動手段や経路の選定次第で未踏県の
一つくらいクリアできるかもしれないので少し検討してみる。
(依頼主が想定したルートを少し変更するだけで行けるかも)

仕事の案件の中で出張となる割合は多いと思うのだけれども、
そも案件そのものが不足気味なので旅の機会は限られている。
それでも体力や予算や時間に余裕があれば仕事ついでに観光
したりはするけれども、貧乏な状態が続いていて控え気味だ。

一時的に経費を仮払いしておく余裕がなければ受注できない
仕事があって機会損失を生じかねないのが自由業というもの。
そのあたり割と理解のあるクライアントが多いのは幸いだが、
今後ずっと彼らから仕事を請けていられるという保証もない。

どうしたって仕事の経費は極限まで削って平気なワケがない。
削減により生じる活動の制約を許容できる範囲が実質的限界。
生活だって同じようなもので活動制約とのトレードオフ関係。
少しずつでも稼ぎを増やして蓄えて余裕を作るしかあるまい。

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2012.04.20

自称逸般塵の不通の日記(343) 出張の春

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連休が迫る金曜、翌週の仕事の詳細についての連絡が届いた。
当初の予定では東海道新幹線で唯一未踏だった駅を使うはず
だったのが場所が変わり、何度か使ったコトのある駅に決定。
まあ先方の都合もあるだろうし、ここは致し方ないトコロか。
そんなワケで掛川駅を利用する仕事先があったら今後も歓迎。

夜になったら別の取引先から新たな仕事の連絡が入ってきた。
列島を縦断する必要があるという、割と手間の掛かる内容だ。
「早い方が有難いので連休中にでも」と言われたのだけれど、
「移動の多い計画なので、いくらなんでも平日でないと」と
連休明けに行動するよう調整した上で引き受けるコトにした。

というワケで出張が連続するコトになって、楽しみではある。
列島縦断には相当の経費が必要になるが、所得税の還付金が
入ってきたトコロだったから大きな不安はなく、都合も良い。

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2012.04.19

出張旅行記(49) 「朋あり遠方より来る」の主語が自分自身であっても成り立つ日本語

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久しく訪れていなかった遠方の友人宅へ出張ついでに仕事を終えた後に訪れた。
どのくらい会ってなかったか思い出せないが、かなり前であるのは間違いない。
電話やメールで連絡を取り合っていたものの前に訪れたのは引っ越し前の住居。
アパート暮らしからローンを組んで郊外の持ち家へと移ってからは初の訪問だ。

最寄り駅は以前より近くなって徒歩でも気軽に行けるくらいの距離となったが、
その駅が以前は特急も停まる乗換駅であったのが今では普通列車のみの私鉄駅、
交通の便という点でいえば一長一短というトコロだろうけど悪くはないと思う。

旧交を温め軽く酒を酌み交わし、一晩泊めて貰って翌日も随分と喋って別れる。
かつて激しい喧嘩が悩みの種だった夫婦だが今は双方の健康問題が主な悩みか。

齢を重ね精神的には許容範囲が広がったものの身体的には衰えが始まっている。

こちらも出張前には家事や準備などで徹夜して疲れが出ているのを強く感じる。
若い頃は出張となれば移動中も車窓を楽しんむものだったが今は仮眠が多いな。

まあ友達との関係が長い付き合いになれば当人たちも歳をとるのが当然の道理。
そうして一緒に老けていくコトを許容し一緒に精神的な成長を重ねていくコト、
それこそが親密な関係を示すのに相応しいものなのかもしれない、とも思える。

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2012.04.18

神仏に願う理由は来年また見る為ならず

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憂さを晴らすばかりで生きていられるならば人生どれだけ楽しいか。
そんな享楽など長く続くはずもないのだと知っているからこそ猶更。

知っているからこそ日々の生活に執着するのだろうし半ば無意識に
生活基盤としていたようなモノゴトが失われようとする正に直前と
なれば気付いて焦ったり慌てたりするのじゃないかとも思えるけど、
どうもヒトの知性は未だ足りぬか直面する危機を何とかするコトが
できるかどうかギリギリの時点になるまで気付かなかったりしてて、
その危機を招いた原因まで遡って検討を加え対処するなんて余裕が
ないまま只ひたすら目の前の状況への対処に汲々としてしまいがち。

何か神仏に願いたいコトがあるとすればそうだな、危機に臨んでも
なお視野を広く持ち直面している以外の危険要素やその原因などに
漏れず意識を馳せ思考を巡らせるようにありたい、てなトコロかな。

他の部分、日常生活などには、どうにか危機的状況に陥らないよう
自分で何とかしないといけないな、とは分かっているつもりだから。

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2012.04.17

来年また見られるとは限らないとの思い

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ところが来年また同じように花を眺められるとは限らない、という
風になってしまったのが今の日本社会、であるのかもしれない気が。

自分に余裕がなくなってきたときに使うのは、その余裕の切り捨て、
あるいは後の余裕の質入れ、というのが、まあよく使われる手だが、
「諦める」「後回しにする」といった精神的な逃げを多用する人は、
それが使えなくなる可能性が生じたりすると強い不安を抱くもので、
特に昨今その余裕分が払底しつつある感が強まっているものだから、
まるでいきなり崖っぷちに立たされたかのように思えてしまうのか。

しかしそもそも余裕分を使うなんて当たり前にはできなかったコト。
そして、蓄えられたモノは使えば普通どうしても消費されてしまう。
使いつつも浪費とならぬようにするには殖やすしかないのだけれど、
そんな虫の良いハナシなんて、そんな簡単に転がってるワケもなく。

そういう好機を得られなかったり掴めないならば、何はともあれ今
着実に出来るコトを粛々とやるもの、というのはアタマで分かって
いてもキモチの上ではスッキリしないもんだからヒトは困りものだ。

モヤモヤした感情を抱えたまま、しかも遅々とした歩みであっても
進み続けられるような人物なんて、実際そんなに多くはないもので、
ついついヒトビトは晴れ晴れした気分になれるモノゴトを探し求め、
そうして、一斉に散る桜に、その解消を託してしまうのかもしれぬ。

花弁と一緒に未練も散らそうというのか。

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2012.04.16

たとえ来年また見られると思っていても

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散り際の桜を眺めたくて実家から近郊の丘陵地帯を巡ってきた日曜。
今年は昨年より少し早めに散り始めてる気がするが、それでも長く
花季が続くのは春の訪れの遅れた年には共通しているのかもしれん。

一斉に咲いて一斉に散るソメイヨシノには好悪いずれの感情も抱く。
あまりに“日本人的”すぎる印象があり、それは自分の中にもある
何かに触れ同族嫌悪的なキモチを掻き立てられたりしているらしく。

数ある存在が揃って動けば、そこには非常に強い力が働くのも事実。
なにしろ数は質を変える。桜がそれを思い知らすのは、実は散り際。

あれほどの量の花が一斉に散ろうとするからこそ生じるのが花吹雪。
春の気紛れな風に吹き寄せられて集まり叢を縁取る膨大な量の花弁。
川面を流れつつ互いに寄り合う花筏は流れ着いて岩や岸辺を縁取る。

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2012.04.15

道を知るべきコトバ(48.7) 障害がなければ真っ直ぐ伸びる獣道

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ヒトの作った道は真っ直ぐというイメージがあるけど、
ヒト以外の作った道にも真っ直ぐなものはあるものだ。
ただ地形などの影響で曲がりくねるコトが多いだけで。

動物は、たいがい歩きやすい場所や身を隠せる場所を
結ぶように歩くもので、それに合わせて経路は曲がる。
そして立ち寄りたくなる場所があれば平坦でも曲がる。

社会に出てからこっち、そんな風に歩いてきたのだと、
最近になって振り返ってみて、改めて認識したりする。

今、周囲を見渡せば、あまり身を隠せる場所がないし、
どこもかしこも歩きやすさは大して違わないようだし、
それなら立ち寄りたい場所を結ぶように歩いていこう。

もし何かの障害に突き当たったなら、方向を変えるさ。

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2012.04.14

道を知るべきコトバ(48.3) 雨に没したって道は道

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もと短気だが、気長に待つコトは慣れてきた気がする。
変化の過程を楽しむというか、まあ、寄り道などして
飽きてしまうのを防ぎつつ、のんびり歩むだけだけど。

実際に肉体を使った活動での持久力というか精神力は、
昔からそれなりにあると自負してたりするのだけれど、
身体を動かさず精神的な持久力のみを使うような作業、
具体的にはインドア仕事が、まだ得意ではないらしい。
(なので今までも外にも出るような仕事を選んできた)

出歩く際には徒歩が大半で、しかも多くの場合は傘を
持ち歩いているから、雨が降っても雪が降っても特に
気にするコトなく、目的地へ急ぐ場合でも、プラプラ
散策している場面でも、大して変わらず歩いてられる。

ところがデスクワークが煮詰まってきたようなときは、
全く違って少し行き詰まっては息抜きをしたり、少し
息詰まる感覚があれば余計なコトをして気晴らしをし、
兎にも角にも落ち着かなくて、そして進まないのだな。

そんな道でも、過去には今より進んでこられた時期が
あったので、その違いは何なのだろうかと、こうして
仕事が一段落したのを機会に少し考えを巡らせてみた。

たとえば、最近は散歩と活字が乏しくなっているので、
そのせいもあるのかもしれない。このところネットを
巡回するのに時間を取られてて明らかに頻度は減った。
それがどのようにスランプへと繋がるか不明確だけど、
どうやら相関性がありそうなので試す価値はあるかと。

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2012.04.13

道を知るべきコトバ(48) 足を取られがちな道

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相変わらずの貧乏で近く入るはずの所得税の還付金も、
遅れた支払いや身内への借金返済などで消える見通し。
それも確定申告が遅れてしまったせいで何日になれば
入ってくるのか皆目わからぬ状態なのも落ち着かない。

そんな中で遅れに遅れていた作業をようやく片付けた。
次の仕事は翌週。もし前の作業が早く終わっていれば、
その間にもう少し別の作業が入れられたかもしれない
けれども、取りこぼしてしまうあたりが現在の実力だ。

少し前にメンタルの強さを話題にしたが、それは何を
意味するのだろう。感情の安定性が高いというよりは、
少しくらい(程度は人による)感情が不安定な状態でも
それを押し切って必要なコトを実行できるような性質、
という気がしているのだけど、だとしたら実に弱いな。

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2012.04.12

自称逸般塵の不通の日記(342) 春々訪れた新緑の山里、を目指す日々

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出先での作業に比べて自室での作業の捗らなさといったらない。
自宅での仕事が滞るたび外を出歩くコトを夢見て逃避する生活。

自宅付近で停滞する日々、窓の外では近所の家や学校の木々が
若葉を日毎に茂らせていくのを、ときたま眺めながら仕事した。

さらには昨年の写真をPCの壁紙にして息抜きに覗き込んでいた。
どれほどに眺めても現実逃避に過ぎず仕事は進まないけれども。

桜が散れば新緑、その色濃さは毎日のように変わりゆき飽きぬ。
嗚呼そうだ今の時季の緑というのは待っていてくれぬのだから。

さっさと目の前の現実にケリを付けてもう一つの現実へ遊ぼう。

この仕事が片付けば次の仕事は来週にならないと来ない見通し、
というコトは今後の稼ぎの不安も含むけどそんな現実も飛ばせ。

冬の後には春が来て、花咲き緑萌ゆるのが道理であるのだから。
曇や雨の日があったって木々は潤い晴れの日が訪れて育つのだ。

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2012.04.11

自称逸般塵の不通の日記(341) 春特有の落ち着きのなさ

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自宅での仕事に勝機などなくてむしろ障気が漂うのかもしれない、
などボンヤリした考えが浮かんでは消える中、正気に戻る火曜朝。

咽喉や鼻や顔周辺の皮膚の調子は微妙な状態が続いているけれど、
少しずつではあるものの快方に向かっているような気はするので、
友人の誘いに乗り駅前の喫茶店で喋りながら一緒に仕事してきた。
鼻をかんだティッシュが積み上がるにつれ少しは進んだ気がする。

けれども集中力は今一つ上がらないまま作業は決め手を欠くまま。
まだ春の微妙な気温の変化に慣れていなかったりするのだろうか。
確定申告の遅れでなかなか還付金が入ってこない待ちの気分とか。

水曜は短めの睡眠時間で目覚めたが朝食用の食パンなどを買いに
出たりして時間が過ぎた上に眠気が少し残っていて自宅の作業は
やはり思うよう進んでくれないが、それでも自宅で頑張ってみる。

窓の外では春の気紛れな雨風が騒々しく桜の花弁を散らして回る。
大粒の雨の窓や壁やベランダを叩く音が断続的に聞こえ眠くなり、
気付けば小一時間ばかり眠ってしまってたりするあたり春らしい。

結局、作業は夜になっても遅々として進まぬまま継続という有様。
どうにも現実感が希薄になってしまい物思いに耽りがちなのが春。
春は移ろい続ける季節であり前線さえ停滞しないのだから動こう。

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2012.04.10

暗箱に針穴(43) 南中コトをするのかと思うかもしれないが夜桜

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月が南中する時間帯を狙ってカメラを担いで土日の深夜に近所を出歩いてきた。

個人宅の庭の桜の大木が路地に張り出して満開の花をつけているトコロがあり、
昼間でも通り掛かった人が足を止めて魅入られているようなスポットなのだが、
それを夜、ちょうど満月過ぎたばかりの月を背景入れてに撮ろうと考えたのだ。

ほぼ南北に走る路地、月が真南に近い方角でないと背景として取り入れられぬ。
当然ながら時刻は真夜中、街灯があるとはいえ当該地点の照明は明るくはない。

土曜の夜、日付変わって日曜になった頃、外を見上げれば千切れ雲が流れる空。
風が割と強いので高感度に強いボディと明るい望遠マクロの組み合わせで出た。
雲の流れが速く、ときに月を完全に隠してしまうコトもあるが、雲の切れ間に
月が出れば虹模様の彩りを作り出すのを狙い冷たい風の中シャッターを切った。

やっぱり高感度撮影ではノイズが厳しく画像を拡大して使う気にならないので、
同じように月が出ていて風が弱かったならば再び翌日にも撮りに出ようと決意、
月曜になった直後くらいに空を見て、ほぼ無風ほぼ快晴を確認した上で今度は
別のボディにズームマイクロレンズをつけて三脚を添え同じ路地へと向かった。

前夜とは違って温かい空気で微風ただし空は徐々に霞のような雲が濃度を増し、
前夜のような彩雲にはならず月の光は白くボンヤリと拡散していくような情況。
軽く絞り込み1秒から8秒の範囲でシャッターを切っても三脚上の機材のブレが
ときたま画像を歪める程度で落ち着いて構図を練りながらの撮影に集中できた。

蛍光灯や水銀灯の色を補正しつつ現像すれば月は画面上で妖しい色合いを放つ。
ノイジーで暗い画面も夜の朧気な様子を現すかのような1晩目に対して2晩目は
驚くほど鮮明で明るい写り込みと、対称的な撮影結果は甲乙付けがたいトコロ。

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2012.04.09

使えないというのはモノゴトのせいか当人か

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他者への興味が薄いという気はするものの、他者の意志を推し量りながら、
その目指すトコロへ向かうのを妨げているモノゴトなどの存在を推定して、
つい何となく同情してしまったり追及を中断してしまったりする面はある。
ヒトに対して期待しないというか諦めているというか、そういう感覚かも。

ヒトの目的意識といったものに対しても何となく醒めた感情があるようで、
何らかの(明文化できるような)目的を込めて作られた道具だとか概念とか、
そういうモノゴトを使う際にも作り手の意識を拾い上げる癖があるけれど、
この目的意識というヤツが、ときにクセモノだと感じる場面が少なからず。

たとえば何をしたいのか明確ではない場合とか「何にでも」「汎用性」と
いった意識が込められているモノゴトでは、それを使う当人の目的意識が
明確になっていないと関係者だとか周囲の人の目的にも使えてしまうので、
それらに振り回されて、当人の目標までがブレてしまうコトも少なくない。

逆に、極めて明確な目的を設定し他に転用できないようにしたモノゴトの
場合であれば、当然ながら使う人の目的意識と合致しなければ使えないし、
当たり前だが他人が流用するのも困難で携われる人数は限られてしまうし、
応用が利かないという問題が生じるが、言うまでもなくブレにくくはある。

ナントカとハサミは使いよう、モノゴトにはモノゴトなりの使い方がある。

「使えない」と嘆いたり作り手に文句を言うのもいいが、その前に自分の
目的とモノゴトの目的が合致しているかを、目的意識のブレ幅まで含めて
考慮してみた方がいいのではないか、という風に、ついつい考えてしまう。
もし合わないなら別のに換えるか、作り替えるか、自分が変われば良かろ。

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2012.04.08

アクティブな休息

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心身とも健康、でなければ両方とも不健康、となってしまうのかもしれん。

たいてい精神的な不調は神経性なんちゃらだとか生活の乱れなどを通じて
身体的な不調を呼び込んでしまいがちなものだし、また逆に身体の不調は
集中力を低下させたりイライラしやすくなったりして精神的な不調を呼ぶ。
そして両者の不調スパイラルが仕事の不調にも繋がったりするのが問題で。

連鎖を断ち切るため仕事を休みにしてみたりするワケだけど、その期間の
見積もりは仕事に対する影響度の不安もあり少し短めにしてしまいがちで、
気力や体力を取り戻しきれず休み明けにも疲労感が残る場合も少なからず。

立ち上がりが芳しくないまま再始動をしたトコロで調子は今一つなワケで、
やはりそういうトコロも見込んだ上で休息を取るようにしたいものである。

では身体的な休息と精神的な休養は、どんな感じで連動しているのだろう。

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2012.04.07

ポシブルな未来像

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幾つかの遅れていた作業を片付けて寝不足や精神的疲労が溜まった状態で
外での仕事に出て戻ってきたトコロで数日来の疲れが出たのか鼻風邪気味。
あまりに久し振りの布団に入って早寝したら12時間あまり寝てしまったり。

シャワーを浴びたり洗濯物を干したり、メールチェックやネット上の巡回、
いろいろやっている間に(早寝したおかげで早起きだったのが)すぐ昼過ぎ。
次の作業は少し遅らせて1~2日ほど休み、休養と散歩などをして過ごそう。

調子が良くなくて後回しにしたモノゴトを、後から拾い上げるような作業。
そのときの優先順位は捨てた時点での考えを踏襲しなくていい、というか
忘れ去った上で、今および今後をどうすると良いか、という方向で考える。

少しばかりトラブルが生じて諦める機会を持たざるを得ぬくらいの状況は、
割り切って遣り直す契機を与えてくれるという意味でプラスの面もあるが、
そこで躓いたという(主に精神的な)マイナスの面もあって歓迎はできない。

だからこそ負の効果を小さくすべく精神的にも良い結果が得られたのだと
認識したいキモチはあるのだけど、そんな風にでも思っていないコトには
やってられないという点に気付いてしまうと、その時点で効果は大幅削減。

そりゃもちろんトラブルでダメージを受けるなんて誰だって歓迎しないさ。
だからこそそうなる前に何とかしておくべきだってコトになるのだけれど、
ソレを既に損害を被った状態で言われたって精神的な傷口を広げるばかり。

というワケで、常に今、そして今後、より被害を小さく効果を大きくする
ために何をしたらいいか何を言ったらいいかと、考えて行動したいもので。
そのためには、過去を参考にのみ使うといった態度が重要なのではないか。

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2012.04.06

問い冷たいのはキモチが熱くないからか

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ヨノナカで問題になっている事件の当事者に対し「問い詰めたい」という
気になったりせぬもんだから実は何らかの感覚が不自由なのかもしれない。
そのあたり、“世間一般の感覚”とかいうヤツを見るにつけ、妙に醒める。

どうせ問い詰めたトコロで何か有益な情報が得られるとは思えない、とか、
そもそも問い詰めるために労力を払うのも馬鹿馬鹿しい、てな感覚が強い。
“反省の弁”とか“謝罪の意”なんてのを求める気がしないのもそのへん。

だからといって問い詰めたいと考える他人を止める気にもならないのだが、
そういう証言を求める連中にしても本当に聞きたいと思っているのか疑問。
それゆえ余計に冷めてしまう、というバイアスもあるのだとは思うけれど。

ある意味で他人に対して無関心というか期待していない面があるのかもな。
コトバなんかどうにでも作れる、どうにでも解釈できる(後者の方が重要)、
だからそんなのどうでもいい。ただ重要なのは、事象の経過と役立つ知見。

もし仮に、ある人物に対し本当に軽蔑心を抱くコトがあったとするならば、
ソイツの反省に手を貸すコトさえ好ましくない行為と思ってしまうだろう。
でも実際そういうケースは極めて少なく、たいがい何かの理由が見つかる。

イマドキ特に何かコトバにしなくたって別のカタチで情報が出てくるもの。
そういうのを拾い集めて繋ぎ合わせていくと、問題の原因の多くはヒトの
不完全さだとかヒト集団の陥りがちな失敗にある、と思えてしまうもので。

逆に言えば、その席に座っている個人だとか、テーブルを囲む集団などが
知識や能力などの面で少し他人とは違うかもしれないが実質的には普通の
ヒトの範疇に収まる存在でしかなく、他の誰だって大差ないと考えている。

そんな調子だから実は調査員とか捜査員なんかに向いてるのかもしれない。

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2012.04.05

ポジティブな無視

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回避できぬ事情というか“運命”か何かオカルティックな理由により何かを
捨てられるようになった、なんて状況を望む者もいるように思えてきて残念。

それは要するに、複雑に粘着したり乖離したりして絡み合った心理や、自分
以外のヨノナカとかモノゴトとかの複雑な事情を地道に解いたりするような
努力から逃避しながらも、「何か問題がある」という漠然たる個人的な不安
を解消できたらいいなと期待する、極めて依存的な姿勢と言わざるを得ない。

とはいえヒトの能力には限界があり時間は有限、しかも個人差が非常に多く、
同じ個体であっても時と場合によって違うので、非依存的な姿勢を貫くなど
「できない人はできない」「できない時はできない」というコトになるので、
ヒト全てに強要するなど無理というか無茶というか無謀というかそんなもん。

だけどそこまで理解しているつもりでいたって、なかなか上手くは行かない。
筋道立てた理屈で懇切丁寧に説明しても相手の心の琴線に触れなければ無理、
だからといって情に寄り添っていこうとしても背後に論理が見え隠れすれば
相手は敏感に感じ取って「裏に企みがある」「上から目線」といった反応に。

少なくとも大多数を相手とした論理では伝えられる情報量も限られてしまう。
となれば家族や友人のような関係の中で一人ひとり相手に寄り添うしかない。

所詮“他人”の善意は基本的に迷惑なものだと思うしかない、無関心よりは
マシな面もあるが無関心より邪魔となってしまう面もあってどっちもどっち。

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2012.04.04

ネガティブな欲望

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このところ心身とも微妙に調子が狂っているような日々が続いているもんで、
「調子の良くないときには割り切って不要不急のモノゴトを諦めた方が良い、
そんなときでも諦めが悪いというのは欲張りであり、何も捨てられぬ人物だ」
なんて考えが浮かんできたりしたが、なに実のトコロ大した問題意識がある
ワケでもなく、ただボンヤリ作業をしていたら一時的にデータを置いていた
フォルダを消去してしまったり、最近ちょっと習慣化しているネットの情報
閲覧先の取捨選択を考えたり、といったトコロから派生した考えに過ぎない。

ヒトというイキモノは全般的に諦めの悪さを持ちつつも認識が足りておらず、
経済が縮小して社会が閉塞的な雰囲気へ向かう時代の空気にはソレが目立つ。
全体の熱量は変わらないのに容積が小さくなった結果としての断熱圧縮現象。
(というのは相当な昔に書いた気がするので今回は違う方向性から考えよう)

そもそも新しいナニカを手に入れてそのままアタリマエのように持ち続けて
いられるなんて物凄く幸いなコトなのだけれど、そういうモノどもを改めて
棚卸ししたり仕分けたり優先順位をつけて切り捨てていったりできるように
なるまでには膨大な心理的コストが必要となるのがヒトの心理というものだ。
アタリマエの壁というのは、途轍もなく大きなエネルギー障壁なのであって、
大概のヒトにとっては認識するコトさえ面倒になってしまうほどなのである。

加えてヒトの周辺のモノゴトというヤツはヒトやヒト間の繋がりを軸として
既存のモノゴトの隙間に入り込んできて拡大していったりする傾向があって、
結果として縦横斜め多次元に結びつき絡み合うような配置となるものだから、
そこから何か一つ外すとなったら関連する様々な要素に影響が生じるコトに。
そんなワケで何かを外すコトに伴う他のモノへの影響などまで考えすぎると
面倒になってしまいアタリマエの壁に挑戦しない理由としても使えてしまう。

そう、それこそ「思考コストが嵩むので諦めるコトを諦めよう」なんて具合。

そもそもヒトにまつわるモノゴトの多くはイニシャルやランニングのコスト
も高いけれどクロージングのコストだって非常に大きいのだというトコロを、
だんだんヨノナカ全体が共通認識として持てるようになってきたような気が
するが、まだ認識の初期段階にあるようで既存概念の反動に留まるのが残念。

自分が諦めたというコトに縋ったりしているケースがあるのも看過できない。

「諦めた自分」が間違っていなかったという方向での承認欲求が働いている、
といったトコロなのだろうと思うのだけれども、それを自覚できているのか。
個人的には明瞭な自覚を持ちつつ自分を殺しすぎない程度の強度で継続的に
自己批判を続けるコトで適度な効果と弱い副作用を保ちたいと考えているが、
ヨノナカえてして無自覚な自己批判者の方が言動がキツイので要注意だよね。

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2012.04.03

自称逸般塵の不通の日記(340) 強風には恐怖しなかったものの引き籠もってほっかむる

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遅れていた仕事の一つを徹夜明けの午前中になってようやく完了させて一休み。
まだ仕事が一つ残っていたものの気力体力の限界に近い状態だったものだから。

夕方さて仕事を再開しようかと思ったけれども何故かPCが固まってしまったり。
電源を落として再起動してディスクのエラーチェックを実施したりして時間が
掛かってしまったけど再開しようと思ったら再び原因不明のフリーズに陥った。

どうやらPCの方も疲れ切ってしまったのか。少しペースを落としてやろうかな。
春の暴風雨の中で一人自宅仕事をしていると時間の感覚は社会と非同期となる。

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2012.04.02

自称逸般塵の不通の日記(339) ご近所開花宣言

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自宅に半ば缶詰となって落ち着かず逃避に走りがちな日々が続いた。

歯医者から健診を促す葉書が届いた、と同時期に、詰めたトコロの
土台となってた歯が欠け詰め物が抜けてしまったのは何かの陰謀か。
歯医者には某家電メーカーで有名な「タイマー」でもあるのだろか。
ともあれ早めに予約して行かんといかん。そういう、ちょっとした
トラブルの蓄積もまた、精神的には微妙な停滞をもたらすものだし。

そうは言っても遅れがちな仕事を片付けないコトには先へ進めない。
日頃の家事など多少はサボれても全く手掛けないでは生活できない。
というワケで近所のスーパーやコンビニへ買い物に出るくらいする。
ついでに春の夕方の陽気に誘われ少しだけ遠回りをしてみたトコロ、
庭に桜の古木を植えている民家にてソメイヨシノの開花を確認した。

数日前に満開の梅を見てきたかと思えばソメイヨシノが開花という、
なかなかに妙な関係。湘南方面の友人によれば河津桜も満開だとか。
花期は日照時間や積算温度で影響を受けるが、どちらの影響をより
強く受けるかは樹種次第、それで例年の順序と違ってくるのだろう。

日暮れ間近の時間帯。手早く買い物を終えて望遠レンズを取り出し、
ちょっとだけ撮りに行ったら、その家の人が庭へ招き入れてくれた。

最初は小さな苗を植えたのが半世紀ばかりで今の姿になったという。
数十年でも古老木の風情になってしまうのは、ソメイヨシノらしい。

台風や先日のような暴風雨があると、小枝が大量に折れるのだとか。
桜の面倒を見るのは大変だと言う表情は、しかし誇らしげでもある。

そうだろうな、こうして春になると近所の人が気に掛け通り掛かる。
特に昨年や今年のように開花が待ち遠しかった年には、なおさらだ。

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2012.04.01

自称逸般塵の不通の日記(338) 新年度の信念度が必ずしも高くない場合は嘘を含むとみなすべきか否か

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4月1日だけど今年は別に嘘を書くつもりはないというかネタ仕込むのが面倒臭いので普通にやる。

晴れて温かいというか汗ばむ陽気の日があったかと思えば台風かのような暴風雨を伴った前線が
日本列島を通り抜け一時的に冬型の気圧配置が戻ってきて冷え込む夜を迎えたりと天候も忙しい。

ここ何日か自宅での仕事が滞っていて全く捗らないまま日ばかり過ぎていくのだから落ち着かず、
そんな精神状態が体調にも出たか単なる寝違えか土曜は起き出したら肩凝りというか肩が痛くて、
おまけに夕方から夜にかけては何かの食い合わせだろうか微妙な腹具合となって落ち着かぬ始末。

でも深夜にかけて冷え込んでくる頃になると不思議と行動が活発になってきたりするというのは、
単に急に温かくなったせいでノボせていただけなのかもしれないという気もしてきたりする次第。

寒さに強いのはいいけど寒くないトコロで弱くなるようでは成功は到底見込めないよなとも思う。

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