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2012.04.18

神仏に願う理由は来年また見る為ならず

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憂さを晴らすばかりで生きていられるならば人生どれだけ楽しいか。
そんな享楽など長く続くはずもないのだと知っているからこそ猶更。

知っているからこそ日々の生活に執着するのだろうし半ば無意識に
生活基盤としていたようなモノゴトが失われようとする正に直前と
なれば気付いて焦ったり慌てたりするのじゃないかとも思えるけど、
どうもヒトの知性は未だ足りぬか直面する危機を何とかするコトが
できるかどうかギリギリの時点になるまで気付かなかったりしてて、
その危機を招いた原因まで遡って検討を加え対処するなんて余裕が
ないまま只ひたすら目の前の状況への対処に汲々としてしまいがち。

何か神仏に願いたいコトがあるとすればそうだな、危機に臨んでも
なお視野を広く持ち直面している以外の危険要素やその原因などに
漏れず意識を馳せ思考を巡らせるようにありたい、てなトコロかな。

他の部分、日常生活などには、どうにか危機的状況に陥らないよう
自分で何とかしないといけないな、とは分かっているつもりだから。

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日曜に訪れた不動尊にて五色の布に綴られ吹き流されるは生の懊悩。

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