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2012/04/09

使えないというのはモノゴトのせいか当人か

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他者への興味が薄いという気はするものの、他者の意志を推し量りながら、
その目指すトコロへ向かうのを妨げているモノゴトなどの存在を推定して、
つい何となく同情してしまったり追及を中断してしまったりする面はある。
ヒトに対して期待しないというか諦めているというか、そういう感覚かも。

ヒトの目的意識といったものに対しても何となく醒めた感情があるようで、
何らかの(明文化できるような)目的を込めて作られた道具だとか概念とか、
そういうモノゴトを使う際にも作り手の意識を拾い上げる癖があるけれど、
この目的意識というヤツが、ときにクセモノだと感じる場面が少なからず。

たとえば何をしたいのか明確ではない場合とか「何にでも」「汎用性」と
いった意識が込められているモノゴトでは、それを使う当人の目的意識が
明確になっていないと関係者だとか周囲の人の目的にも使えてしまうので、
それらに振り回されて、当人の目標までがブレてしまうコトも少なくない。

逆に、極めて明確な目的を設定し他に転用できないようにしたモノゴトの
場合であれば、当然ながら使う人の目的意識と合致しなければ使えないし、
当たり前だが他人が流用するのも困難で携われる人数は限られてしまうし、
応用が利かないという問題が生じるが、言うまでもなくブレにくくはある。

ナントカとハサミは使いよう、モノゴトにはモノゴトなりの使い方がある。

「使えない」と嘆いたり作り手に文句を言うのもいいが、その前に自分の
目的とモノゴトの目的が合致しているかを、目的意識のブレ幅まで含めて
考慮してみた方がいいのではないか、という風に、ついつい考えてしまう。
もし合わないなら別のに換えるか、作り替えるか、自分が変われば良かろ。

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そういう考え方は、使われる側になった場合でも、きっと役に立つはずで、
合わぬなら別の換えを提示するか、自ら替わるか、相手を変えれば良かろ。

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