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2012/04/04

ネガティブな欲望

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このところ心身とも微妙に調子が狂っているような日々が続いているもんで、
「調子の良くないときには割り切って不要不急のモノゴトを諦めた方が良い、
そんなときでも諦めが悪いというのは欲張りであり、何も捨てられぬ人物だ」
なんて考えが浮かんできたりしたが、なに実のトコロ大した問題意識がある
ワケでもなく、ただボンヤリ作業をしていたら一時的にデータを置いていた
フォルダを消去してしまったり、最近ちょっと習慣化しているネットの情報
閲覧先の取捨選択を考えたり、といったトコロから派生した考えに過ぎない。

ヒトというイキモノは全般的に諦めの悪さを持ちつつも認識が足りておらず、
経済が縮小して社会が閉塞的な雰囲気へ向かう時代の空気にはソレが目立つ。
全体の熱量は変わらないのに容積が小さくなった結果としての断熱圧縮現象。
(というのは相当な昔に書いた気がするので今回は違う方向性から考えよう)

そもそも新しいナニカを手に入れてそのままアタリマエのように持ち続けて
いられるなんて物凄く幸いなコトなのだけれど、そういうモノどもを改めて
棚卸ししたり仕分けたり優先順位をつけて切り捨てていったりできるように
なるまでには膨大な心理的コストが必要となるのがヒトの心理というものだ。
アタリマエの壁というのは、途轍もなく大きなエネルギー障壁なのであって、
大概のヒトにとっては認識するコトさえ面倒になってしまうほどなのである。

加えてヒトの周辺のモノゴトというヤツはヒトやヒト間の繋がりを軸として
既存のモノゴトの隙間に入り込んできて拡大していったりする傾向があって、
結果として縦横斜め多次元に結びつき絡み合うような配置となるものだから、
そこから何か一つ外すとなったら関連する様々な要素に影響が生じるコトに。
そんなワケで何かを外すコトに伴う他のモノへの影響などまで考えすぎると
面倒になってしまいアタリマエの壁に挑戦しない理由としても使えてしまう。

そう、それこそ「思考コストが嵩むので諦めるコトを諦めよう」なんて具合。

そもそもヒトにまつわるモノゴトの多くはイニシャルやランニングのコスト
も高いけれどクロージングのコストだって非常に大きいのだというトコロを、
だんだんヨノナカ全体が共通認識として持てるようになってきたような気が
するが、まだ認識の初期段階にあるようで既存概念の反動に留まるのが残念。

自分が諦めたというコトに縋ったりしているケースがあるのも看過できない。

「諦めた自分」が間違っていなかったという方向での承認欲求が働いている、
といったトコロなのだろうと思うのだけれども、それを自覚できているのか。
個人的には明瞭な自覚を持ちつつ自分を殺しすぎない程度の強度で継続的に
自己批判を続けるコトで適度な効果と弱い副作用を保ちたいと考えているが、
ヨノナカえてして無自覚な自己批判者の方が言動がキツイので要注意だよね。

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いや何のコトはない、少し仮眠するだけのつもりが上手く起きられず二度寝、
早く仕事を終えて床屋に行ったりしたかったなと思っていたのが出来なくて、
ちょっと残念に思いながらも作業に没頭しないといけなくなっただけのコト。

そう、要するに仕事のために「雑用を諦めた自分」を擁護してみたに過ぎぬ。

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コメント

自己肯定の観点から自己擁護は正しいかと。
履き違えさえしなければ。

仕事しなけりゃ、雑用に使うお金が生まれてこないのも理。

投稿: プロトロンビン | 2012/04/04 22:58

たいてい誰だって「自分に優しくしているコトを意識している自分」が嫌なもんでしょう。
その相克の中で精神的な痛みが最小限になるポイントは、両極どちらの端にもないのです。

投稿: y | 2012/04/10 01:34

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