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2012.04.16

たとえ来年また見られると思っていても

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散り際の桜を眺めたくて実家から近郊の丘陵地帯を巡ってきた日曜。
今年は昨年より少し早めに散り始めてる気がするが、それでも長く
花季が続くのは春の訪れの遅れた年には共通しているのかもしれん。

一斉に咲いて一斉に散るソメイヨシノには好悪いずれの感情も抱く。
あまりに“日本人的”すぎる印象があり、それは自分の中にもある
何かに触れ同族嫌悪的なキモチを掻き立てられたりしているらしく。

数ある存在が揃って動けば、そこには非常に強い力が働くのも事実。
なにしろ数は質を変える。桜がそれを思い知らすのは、実は散り際。

あれほどの量の花が一斉に散ろうとするからこそ生じるのが花吹雪。
春の気紛れな風に吹き寄せられて集まり叢を縁取る膨大な量の花弁。
川面を流れつつ互いに寄り合う花筏は流れ着いて岩や岸辺を縁取る。

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でも、散り際こそが良いなんて言わない。

日本人に限ったコトではないのだろうけれど、何かが失われようと
する時に至ってようやく、名残もあるのか急に惜しくなったりして、
それまで蔑ろにしてきた後ろめたさを誤魔化すかのように感動する、
そういう傾向がヒトにはあるようで、内心かなり反発しているのだ。

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