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2012.05.22

暗箱に針穴(45) 結果オーライだけどリスキーだった撮影

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金環食を迎えるに当たっていろいろ考えたが、
NDフィルターを購入する予算が勿体ないので、
欠けた太陽の姿を直接撮影するコトを諦めて、
普通の装備で木漏れ日を撮ろうと考えていた。

そして当日になって公園に出てみれば薄曇り。
ND買わなくて正解だったかなと思ったりする
一方、雲のフィルター越しに撮影してみたい
という好奇心を抑えきれなくなって、試した。

最大値まで絞り込んで高速シャッターに設定、
ファインダーを覗く時間も可能な限り短時間。
AFが雲の陰影を捉えてくれてフォーカスもOK、
画像を確認してみれば、まあそこそこ写った。

それから先は、雲の動きに一喜一憂しながら、
「今だ逃すな」「あーダメか」と撮っていた。
日食観察グラスを掛けている人たちとは逆に、
太陽が薄雲に隠れる瞬間を待ちながらだけど。

月に隠れ明るさを減じた太陽が程良い薄雲に
虹の彩りを与える様子を捉えるコトができた。

(※こんな撮り方は安全ではないので要注意)

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同様の撮影をしていた人は少なくないらしい。

まあ自分の眼球と自分のカメラを危険に晒し、
もし不幸があっても全て自身で負う覚悟なら、
愚行権の範囲内というコトになるとは思うが。

一つ小さな弊害があったコトに気付いたのは、
帰宅して撮ってきた画を子細に眺めてのコト。
撮像素子に付着したゴミが実に目立っていた。
まあ普段やらないくらいに絞り込んで撮って
いて普段の撮像素子清掃を怠っていた結果に
過ぎず画像以外に恒久的な影響はないけれど。

その程度で済んだのは幸いと思っておくべき。
だからこそ、偶然によって得られた幸運には、
大いに感謝せねばならない、とも考えている。

きちんとした結果を得るためには、しっかり
準備しておくべきであるというのが基本中の
基本であり、やはりそこは押さえておきたい。

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