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2012年5月

2012.05.31

出張旅行記(51) 止まったり止まらなかったり

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今日は久々に愛知県まで出張してきた。
新幹線で車内無線通信環境を使うのは、
新しいネットブックを調達してから初。

以前よりは応答が良くなった気がする。
というか、前には混雑が酷いときなど
完全に止まったり切れたりしてた気が。

季節の変化は留まるコトをしらぬ様子。
窓の外は麦秋、陽気は初夏。外は暑い。
一仕事終えた後には同行者一同で一杯。

これまで何年間も一緒に仕事してきた
相手が実は酒豪だったという事実には、
ちょっと驚いたけれど、ある意味納得。
いかにも飲んだら止まらなそうな人で。

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2012.05.30

夏期準備期間

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日中の室内の暑さに昼寝して疲れてしまい
夕飯を作る気にならなくなったので外食へ。

駅前の蕎麦屋でカツ丼セットを食ってたら、
隣には前後に身体を揺するようにしながら
丼を掻き込み盛蕎麦を犬食いする男がいた。

食事を終えて書店など立ち寄って帰ったら
駅までの往復を歩いただけで汗が出てきた。

道すがら、紫陽花の花房が目に入ってくる。
夜の涼しさを堪能できる時季も今暫く限り。
これからは早寝早起きに切り替えていこう。

明日は早起きの予定なので、早速これから
雑用を済ませたら、さっさと寝てしまおう。

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2012.05.29

初夏の俄雨の如し

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アポイントや成果物の納期を除けば時間の制約がユルい生活なので、
しばしば未明・早朝まで仕事をしたりネットを巡回したり長電話を
していたりするコトがあるのだが、この時季は気付くと外が明るい。

朝が早い。夏至が近付いている。

ある日の午後、西日の射す喫茶店で作業をしていたら急に外が暗く
なって、見れば暗い雲が空を覆い、街路樹が揺さぶられるほどの風。
PCで雨雲レーダーを見てみれば、強い雨雲が関東南部を西から東へ。

地表ほど暖まりやすく冷めやすい。夏へ向けて暑くなる地表に比べ
上空には寒気が残りやすく(ここ数日は偏西風の影響などもあるが)、
その温度差が強い雨雲を作り雷を生じて天候の急変を招くワケだな。

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2012.05.28

自称逸般塵の不通の日記(351) 行楽の初夏

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ちょっと友達に誘われてサイクリングしてきた日曜日。

ロードバイクの相手に比べて街乗り用三輪車は非常に
低速なので速度を合わせてもらわねばならなかったが、
今回は部品を入れ替えたばかりの友達の慣らし運転と、
ついでに天気も良いので散歩していこうというコトで、
のんびり走っていたから、まあボチボチ楽しめたかな。

まだ朝夕は割と過ごしやすい気温だから、日中に汗を
かいても夜には暑くなった身体を冷ますコトができる。
湿度も割と低いから、陽射しを避けて停まれば涼しい。
たしかに行楽シーズンというのが、走ると実感できる。

この時季は若葉も瑞々しく彩り陽射にも透明感がある。

ロードバイクと一緒に走れる自転車も欲しくなるけど、
そんな予算は当分できそうにないので、とりあえず今、
この三輪車や自分の足を使って、また電車やバスなど
使える手段で、時間を作っては出歩いていこうと思う。

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2012.05.27

改善できても少々だからと諦めず交渉するココロ

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しかしこんな交渉だって、お互いに顔の見える
関係で仕事しているからこそできるのだと思う。

ヨノナカがサービス化していってしまった結果、
顧客の要求を満たしつつコストを抑えたいから
価格と仕様ばかりで見られてしまうのが道理だ。

そして提供する側も、目の前にいる顧客のまた
先にいる本来の顧客を意識しづらくなっていく。
というか価格競争に放り込まれてしまった結果、
そんなコトを考えている余裕がなくなっていく。

そして当事者性は、急速に失われていくばかり。
ただでさえ頼まれ事をする際には判断が難しい、
その上さらに費用が厳しくなれば仕様を満たす
だけの仕事をするのが精一杯となってしまって、
考えるコトを許さない空気に支配された関係が
サービスを提供する者たちの中に蔓延していく。

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2012.05.26

自称逸般塵の不通の日記(350) 日雇い頭脳労働者の一週間

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先週受注をするコトにした日雇い業務を一週間。
極めて小さな作業ながら当日中に限られる上に、
いささか(特に費用面で)ブラックな仕事であり、
今週は今後の交渉材料を得るための試行と認識。

しかし初日から「ツライ」と感じる内容だった。
メールで届いていた詳細情報には火曜と水曜が
逆の順序で書かれていて、しっかり確認しない
まま動いたため現地に着いてから急遽タクシー、
想定していた倍以上の経費を使う羽目に陥った。

その翌日は疲労感が酷く残ったせいか、二度寝
してしまって寝坊し、またもや駅までタクシー。
今度は自分の責任に間違いないが、辛さは倍増。

1日置いて3本目はバスと電車で予定通り動いて
概ね順調に完了するコトができたというものの、
それでもやはり予算は安すぎるというのが実感。

金曜日に電話で交渉したところ、多少は先方も
ツライという感覚を酌んでくれて、僅かながら
条件を向上した上で続けてほしいと言ってきた。

予算だけでなく人手も足りてない事情も分かる。
これは当面、交渉をしながら続いていきそうだ。

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2012.05.25

石蹴ってイ~~ってなっちゃってるようなときに柔軟に動けるかって問題

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迅速な意志決定が、政治にも企業にも、そして個人にさえ求められる昨今。

ヒト集団においてヒト個体のスケールに照らし迅速だと認められるような
意志決定の速度というのは、ヒト個体なら条件反射にも相当するであろう。
巧遅を避けるとすれば半ば機械的に判断を下す、拙速な対応となるワケで。

条件反射を身に付けるには繰り返し条件付けを与えるために時間を要する。

ヒト集団の場合は明確な判断条件を規定して特定少数の人物が判断を下す
といった仕組みを作るコトで迅速な意志決定が可能になるが、その条件は
しばしば複雑に変化する社会情勢に強く影響を受けるものであり、過去の
蓄積をもとに定めるとしても妥当な範囲を決めるまでには試行錯誤を経る
などの必要がある上に、いったん決めれば終わりというワケではなく常に
基準の見直しを継続していかねばならないなど、社会的コストは安くない。

それほどまでコストを支払ってもなお意志決定の迅速さによるメリットが
上回るという認識に立ってそれを推進するヨノナカの風潮も、必要となる。

「意志決定プロセスが明確でないから信用ならん」「納得できん説明しろ」
そういう一部の声にどこまで耳を貸すか、といったトコロまで考えないと。

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2012.05.24

自称逸般塵の不通の日記(349) 課題の自転車操業

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気付けば5月も残すトコロ1週間となっていた。
大きな案件が入る見込が先方都合で流れたり、
細々としたブラックな予算の仕事があったり、
なんやかやで過ぎていってしまったような感。

そういえば新しく(大型案件に備えて)買った
ネットブックはブラックな仕事の方で少しは
役に立ってくれてるけど、元を取るには遠い。
まあ今後も働いてくれるだろうから、それで。

それでも、割と元気に生きている。心も体も。
目の前には、片付けられるコトを待つ課題も。
案外、そういうので元気になっているのかも。
反対に、何も課題がなくなればどうなるかと。

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2012.05.23

自称逸般塵の不通の日記(348) 春と夏の間に涼む

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雨が降って涼しかった日の翌日に晴れて暑くなる。
夕方また曇って涼しくなるが前夜ほどには冷えぬ。
そしてまた翌日には残った熱気に陽射しが加わる。
その繰り返しで次第次第に暑くなっていく梅雨前。

まだ今は暑くなっても湿度が低めで救われるけど、
まあ梅雨に入れば急激に高まって不快指数も上昇、
蒸し暑い夏へ向けて温湿度とも右肩上がりが続く。

これから数カ月は蒸し暑さとの不利な戦いである。

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2012.05.22

暗箱に針穴(45) 結果オーライだけどリスキーだった撮影

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金環食を迎えるに当たっていろいろ考えたが、
NDフィルターを購入する予算が勿体ないので、
欠けた太陽の姿を直接撮影するコトを諦めて、
普通の装備で木漏れ日を撮ろうと考えていた。

そして当日になって公園に出てみれば薄曇り。
ND買わなくて正解だったかなと思ったりする
一方、雲のフィルター越しに撮影してみたい
という好奇心を抑えきれなくなって、試した。

最大値まで絞り込んで高速シャッターに設定、
ファインダーを覗く時間も可能な限り短時間。
AFが雲の陰影を捉えてくれてフォーカスもOK、
画像を確認してみれば、まあそこそこ写った。

それから先は、雲の動きに一喜一憂しながら、
「今だ逃すな」「あーダメか」と撮っていた。
日食観察グラスを掛けている人たちとは逆に、
太陽が薄雲に隠れる瞬間を待ちながらだけど。

月に隠れ明るさを減じた太陽が程良い薄雲に
虹の彩りを与える様子を捉えるコトができた。

(※こんな撮り方は安全ではないので要注意)

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2012.05.21

そんな簡単に切り分けられるワケではないから

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「残り少ないジャムをどう使い切るか」なんて自分専用の縛り
そのものは自宅を一歩出ればもう通用せぬ、というかたまたま
一人だけで生活しているからこそ、勝手な決め事も可能なのだ。
こんなルール、同居人が存在するだけでも容易に崩れかねない。

なのでルールを共有して守ってもらわねばならないワケだけど、
他者との間でルールを共有できるようにするには関係者全員が
そのルールを理解していなければならないし、その前提として
全員が「ルールに従う」という暗黙の決まりを受け容れないと。

それでもなおルールの解釈やルールに対する認識が人によって
違ったりするので齟齬が生じるのを完全に避けるコトはできず、
きっとジャムの瓶の底に1枚分でなく0.5枚分しか残っていない、
といった状況が頻発するであろうコトは、まあ想像に難くない。

自分のルールを他者にも守ってもらいたいとなったら、まずは
ルールの内容や意義について説明し、理解を求めねばならない。
遵守するコトによって如何なるメリットデメリットがあるのか、
遵守しなかった場合のペナルティやリスクはどうなのか、云々。

そのあたりを説明して、遵守されているかどうかの結果を確認、
判断して、何らかのアクションを決定・実施するなどといった
活動を続けるのがが、言うなれば責任感というものではないか。

たとえばルールの設定に不備があったり、ルールとペナルティ
が不均衡であるような場合、しばしば相手方から不満が上がる。
ルールの修正やペナルティの軽減など必要になってくるだろう。

そしてそこまでケアできないようであれば「言いっ放し」とか
「引っ込みがつかない」というコトになってくるのではないか。

たかがジャムの使い方でさえ家庭内で喧嘩になるコトもあろう、
そんな「詰まらぬコト」で衝突するのを回避するのが、責任感。

先々のコトを考えても完璧な予測などできないから、その後に
生じるコトにも真摯に取り組みますよ、という姿勢を示すのは、
しかし事前においては非常に困難というか、まあ実質的に無理。
そこに、覚悟というのが求められてくるというコトなのだろう。

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2012.05.20

自称逸般塵の不通の日記(347) 日々之思索

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普段の朝食はトースト。毎食当たり6枚切の3枚、半斤が基本だ。

味に変化を出すため3枚のうち1枚はジャムを塗っているけれど、
ジャムが残り少なくなったときには、どのように使い切るのか
瓶の底を眺めながら、さりげなく残量を見積もっていたりする。

「この分量なら、あと2回か。それとも節約して3回にしようか」
もちろん次のジャムは用意しているけれど綺麗に使い切りたい、
ただそれだけのコトでしかないけれど生活のヒントにも繋がる。

リソースに余裕があるときは配分など気にしないで済んでいる、
だが余裕がなくなってきたら考えなければならなくなってくる。
些細だけれど避けがたい思考負荷もまた状況を暗く感じさせる。

それ自体は単純な事実ではあるけど、割と重たい事実でもある。
こういうのは、人生の危機とか社会全体が不安定な時代などに
実際しばしば陥りがちな課題で、不安定さを増す要因にもなる。

ましてや初めて直面したりすると、さぞかし不安に陥るだろう。
それより非常に小さな日常的スケールでの演習問題ではあるが、
日常的に触れているだけに慣れるためには大いに役立つと思う。

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2012.05.19

理系用語で読み解く社会(84) 温度変化に応じて、そう、変化するかもしれない

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特定の誰か(複数)ないし不特定多数の代わりに責任を引き受け、
当事者となるコトによって対価を受けるのが仕事、とも言える。

責任を引き受けたくないという心理は、誰にでもあるとは思う。
しかし引き受けねば仕事にならない、そこに折り合いが必要だ。

多くの人にとって落とし処となるのが「中流」なのだろうけど、
その基準は経済成長で上がるのに停滞しても下がろうとしない。

さしずめ金属を焼き入れするようなもの。冷えたら変わらない。
社会の場合は、温度変化に相当するのは景気動向のベクトルか。

だから前の世代に比して苦労を強いられている感がつきまとい、
「これほどまで苦労してるのに」的な怨嗟の気持ちが離れない。

しかも、金銭的に報われないと感じられる状況では、精神的に
報われないコトに対する負の感情が残留しやすくなってしまう。

そして普通に仕事をしていても精神的に報われるコトが減って、
報われぬキモチが発生しやすく充満しやすい環境へと激変した。

そこで不思議なくらい悪者を探したがるのがヒトの良くない点。
「それなりの責任を負っているはずなのに、何が悪いのか……」

そんな気持ちもあるのだろう、目立つトコロに綻びが見えれば
そこにいる連中を叩きたくなる衝動に駆られてしまう背後には。

とかそんな現象が今のニホンのヨノナカで進行しているような。

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2012.05.18

痛いコトなんて誰だって好きではなくて当然だから

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感情の動きが乏しいと思われているかもしれないが、
こと自分のコトに関してみれば感情の動きは激しい。
たまにそういうのがあって自分自身でも驚くコトが。

たぶん普段は急所を避けているので大事には至らぬ
ものの、たまに直撃を受けて大いに苦しむのだろう。
またはアレルギーに似た心理的な働きであるものか。

突かれて痛いトコロなど歳を重ねれば少しずつ減る、
諦めや慣れや妥協は、その傾向を強めるのに役立つ。
今の姿は、ただそれだけのコトに過ぎないのだろう。

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2012.05.17

裏を返しても数字は黒い

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夏が少しずつ近付いてきているのを実感する日々。
久々にアポイントがあって都心へ出掛けてきたが、
帰りがけ、同行していたクライアントから新たな、
そのうえ驚くほど安い仕事を持ちかけられて当惑。
「足許見られた」と感じたが言い返す言葉もない。

そもそもにして毎日が求職中というのが自営業だ。
そして今は仕事を選べる状況ではないコトも事実。
「今日中に返答を」と言っていたのが「今決めて」
と変わった瞬間に、強く反発してしまったけれど、
その裏には、そういうわだかまりがあってのコト。

予実を管理している立場ゆえ出せる数字は限られ、
社内事情も手伝ってブラック労働的な費用でしか
提案できないという状況は分からないでもないが、
そんな「ぶっちゃけ話」の度合で勝負したくない。
というか受注側の弱さをもう少し踏まえてほしい。

もちろん自分自身の能力不足が今の苦境を招いて
いるという状況は分かっている、というより自分
自身が痛いほど思い知らされ続けてきているので、
先方の「金額は少しでも足しになる」との言葉に、
きっと何かが物凄く引っ掛かったのだろうと思う。

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2012.05.16

自称逸般塵の不通の日記(346) 続・五月雨式の散歩

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最近の運動不足で歩きたい欲求が溜まっており、仕事が一段落したので
数日ごとに晴れ間と雨が入れ替わる梅雨前、雨の日を選んで散歩に出る。

実は昨年も同時期に雨の中を散歩していて、今回は逆向きコースを選択。
起き出したのは正午過ぎ、出発は遅くなったが、日没までには間に合う。

武蔵国の北の方の丘陵地帯の川と台地が入り乱れるあたりの新緑の色合、
それは雨に濡れて深みを増し、遠くは雨に霞み、まさに雨にこそ似合う。

昨年の散歩で気に入った場所は辿りつつも、逆向きといっても全く同じ
道ばかりではなく、途中で少し道を外れ畦道へ足を踏み入れたりもする。

同じ道を通っていても、昨年とは違った景色になっていた場所もあった。
川沿いの公園の拡大工事が進み川を渡る飛び石が設置されたりしている。

その先の「県内最古のアーチ橋」には修復工事のため足場が掛けられて、
段丘面には休憩場所やウッドチップ敷きの真新しい遊歩道もできていた。

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2012.05.15

理系用語で読み解く社会(83) 動的平衡状態に落ち着こうとする心理

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日本人て「他人から妬まれないような生得の能力」を求めたりしてないか。
いやまあヒトは妬み深い性質も持っているので人類全般なのかもしれんし、
あるいは土地や物品、貨幣の所有といったトコロに根源があるかもしれん。

人間てのは結構ワガママな存在だもんで、物質的に恵まれるだけでなくて
精神的にも恵まれたい他者に認められたいといった欲求も非常に強くある。
しかも、この欲求というのがまた複雑に絡み合っているのが厄介なもので。

以前、友人との電話で「『善人』と『自分に正直』は両立するのかという
話題になったコトがあるが、「善人であろうとする自分に正直」であれば
容易に両立できるし多くの人がそれを求めているのではないか、と考える。

「自分に正直」と組み合わせるのは、「悪人になりたくない」でもいいし、
「知識や知恵を持つ者でありたい(と思われたい)」とか「回答を示せる者
でありたい」「冷静でありたい」「世間や現実を知っている者でありたい」
など、まあいろいろな要件が考えられるし、それらの複合もあり得るはず。

ネット上の言説を見ていても、「ロハス」という言葉について「文明批判
する賢い自分と、環境意識高い自分と、無欲でクリーンな自分」を手軽に
「ろくに勉強しなくても」アピールできるから良い、という指摘があった。
こういう多彩な欲求を同時に満たしてくれる用語は重宝されるのだろうな。

「正義感がある(と見せたい)自分」に正直だというのもまた厄介な存在だ。
そもそも正義感そのものが発動の際にはリスクも伴って非常に扱いづらい。

そもそも正義感からは怒りなど暴力的な感情が発せられがちで、その暴力
というのは単体で取り出せば非正義となる、つまり構造的に矛盾した感情。
それに加え相手の反撃を招くことから自分自身もダメージを受けかねない。

だから迂闊には表面化できず、当人の中で鬱積してしまっていたりもする。
しかもそこに他の理由(不当に不遇を被っているといった個人的な感情)に
よる怒りまで混ざり込んで、処理できぬまま異常発酵している人もいよう。
いつしかそこから大量のガスが発生して圧が高まり、爆発寸前にまで至る。

「正義感があると見せたい自分」は、基本的に「悪人になりたくない自分」
の一部を成しているため、「正義感があると見せたい自分に正直」を発現
するコトが許される状況は、非常に限られた条件下でしか成り立たぬもの。

ときたま「相手が絶対悪」(に加えて多くの場合は「反撃がないか弱い」)
とみなせるような情報が、マスメディアや噂を通じ断片的に伝わってきた
ときが、溜まった「義憤」を発散し溜飲を下げる貴重な機会というワケだ。

ヨノナカの多くの人が「義憤」を溜め込んでいるような時代には、それが
寄り集まって非常に苛烈な、残酷な攻撃となって、一点へと集中していく。

すると「皆が叩いているから悪」という短絡まで生じて、さらに拡大する。

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2012.05.14

理系用語で読み解く社会(82) 遊びのない歯車は噛み合わせが難しい

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ネット上での噛み合わない議論を「言葉遊び」と称して逃げるのは簡単だ。

文系の人たち、中でも哲学宗教心理方面とか漠然としたモノゴトを厳密に
定義して理屈として語るような訓練を受けた人たちに目立つように思える
のだけれど、それは単に理系出身者だから彼らを理解できていないせいか。

しかし現実に存在する問題の多くは輪郭も見極められなかったり、中心が
何処にあるのかも明確にできない、ただボンヤリとした分布だったりする
もので、そういうのは理系的に程度を見極めるなどの手法が合いそうだが。

まあそのあたり、理系文系なんて分類をするのも言葉遊びのようなものか。

知らない用語を使ってるのを見掛けると、何か物凄い高度なコトを語って
いるように感じられてしまいがちなのが人間というものであるらしいけど、
でも調べてみたら何のコトはない用語だった、というのは往々にしてある。

実は大した意図があって使っているのではないのかな、と思えてしまって。
ひょっとしたら、単なる思考コスト節約の目的で、漠然としたイメージを
ちょっとクールっぽい単語で示してみたりしているだけなのではないかと。

そう感じられるようなケースは、ネット上の遣り取りで幾度ともなく見た。
結局、適当なレッテルを貼ってる人がレッテル通りの存在に見えてしまう。

それはまあ、ひょっとしたら受信側の誤解なり理解不足などもあるのかも
しれないのだけど、しかし知識と知識の比でいえば前者が過大であったり
すると単語に振り回されやすいという、それだけのコトが多いように思う。

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2012.05.13

後で振り返ってみれば先を見ているのかもしれない

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昔は議論のプロだったはずの政治家が信用されなくなり、
政策のプロだった官僚も、知識のプロだった学者たちも、
記者だとか技術者もまた同様、そんな社会で誰が信用に
足るコトを為すのかといえば、もう人々しかいないはず。

社会の舵を取るのが「限られた少数」から「不特定多数」
へ拡大すれば責任感は分散され希薄化してしまいがちで、
そういったデメリットをどのくらいまで抑え込めるかは、
一人ひとりの意識だとか姿勢に依存せざるを得ないので。

より多くの人たちが、「かつての責任者」にも匹敵する
厳しい自律性を持ち、高度な知識を使いこなせるように
なってくれないと、同じようなレベルの舵取りは難しい。
でないと裁判官なき法廷、のような状態に陥りかねない。

これまで無名で(逆に言えば無責任で)やってきた人々が、
(相変わらず無名のままかもしれないが)責任を背負った
プロとしての振舞いを求められる、そんな大変な時代に
これから突入していこうとしているようにも感じられる。

そこに皆が適応していくのに何が必要なのかというのを、
否応なく直面した状況の中で、今まさに実地で強制的に
学ばされている最中だ、という感じの解釈も成り立つか。
それくらい学ばねば今の混乱は全く無駄、とも言えよう。

相応程度の数の人たちが相応程度の適応を果たすまでに、
きっと相当な時間を費やし多くのトラブルもあるだろう。
しかも、身に付けたコトを次の世代へ継承できなければ、
また後の時代に同じようなコトを繰り返す可能性もある。

目下の課題を乗り越えた先には、次の課題が待っている。
将来の世代に対して何を残せるのかという点については、
おそらく、より長期的な観点で、もっと粘り強い姿勢で、
取り組んでいかねばならないコトになるだろうとは思う。

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2012.05.12

穴があるから後に残されるけれど先を見られもする

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少し前なら「ちょっと凄い人」しかできなかったコトを
できるようにしてしまうのが時代の進歩というヤツかも。

だけど全く同じようにできるようになるワケではなくて、
しばしば「技術的には可能になるけど心構えは自分でね」
といった感じで、部分的にしか可能にしてくれないのだ。

だから技術的な変化に取り残される者が出るだけでなく、
精神的な強さを求められる風潮について行けぬ者もいる。
ヒトに対し常に精神的な成長を求め続け、未熟なままで
いるコトを許さないのが、社会の進歩というものかもな。

全ての分野において進歩に適応し続けていられる者など
おそらく滅多にいない、というか、いるかどうかも微妙。
だから多くの者たちが、どこかで脱落感を味わっている。

ノスタルジイとは、「今より気分的に楽だった」という、
誰もが(分野こそ違えど)味わう落伍感を肯定するものか。

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2012.05.11

伝えるコトを阻害している要素が匂わす意義についての思案

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自分でも薄々気付いている、あるいは頭では分かっているけれど、
モヤモヤする部分を捉えきれず、どうしたらいいのか分からない、
そして伝えるコトもできないまま残念な状態に陥っていく人たち。

何らかの文献などを下敷きにした表現とかも似たようなのがあり、
たまたま噛み合ったときにだけ伝わるに過ぎぬ表現を使いながら、
「広く理解されないのは変だ」なんてモヤモヤを匂わす人がいる。

原発事故で放出された放射性物質による健康への悪影響について、
「安全かどうかではなくて安心できるかどうか」を主張する人が、
「安全とは断定できないが安心材料にはなる」という情報を拒絶
しているような場面を、何度となく目にしてきたような気がする。
どうしたいのか本人にも明確にできないまま、モヤモヤしたのを
抱えているせいで、表面的には矛盾が突出しているのではないか。

一方、原発再稼働問題などに関して「対案なき要求や反対だけの
駄々っ子運動では世の中は変えられません」との意見を目にした。
これはまさしく、モヤモヤした部分のない明快な理屈だなと思う。

いや、ひょっとしたら対案なき要求や反対だけの活動というのは、
親の愛情のようなのを世間に求める活動ではないかとも思ったり。
そして、そういった社会が実現するようにと全身全霊を以てして
自覚していない部分までフル活用して追求し続けている、のかも。

モヤモヤした部分は、たしかに言語化するのが極めて困難であり、
しかもそれを扱うためには本人が自ら認識した上で自らの意志で
立ち向かっていく必要があるし、それでもなお完全には克服する
コトができないもんだから、それを許容する社会は魅力的だろう。

ただ、そいつをどのようにして実現できるかについての具体的な
議論は、残念ながらモヤモヤしたのを抱えたままでは無理そうだ。

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2012.05.10

伝えるべきモノゴトの認識についての捉え方についての思案

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それにしても言外の含みというヤツは非常に厄介な存在だもんで、
しばしば当の本人が自覚すらしていない感情が匂ってきてしまう。
周囲の多くが気付いてたりするので意図的なのかと疑うくらいに。

この「自覚できていない感情」というのが実に困ったものである。
受け手が言外の含みを嗅ぎ取ったとき、どう扱うのが妥当なのか。
言外の含みがありますよ云々などストレートに指摘していいのか、
または別の方向の言外の含み(自覚的なもの)で返すのがいいのか。

実際、モヤモヤした感覚ではあるけれど不快感だとか不満感とか、
そのくらいの程度には自覚しているのが大概のトコロだろうから、
その程度のコトを敢えて指摘してやる必要はないというか逆効果。

結局、相手の感情負荷の相当部分を請け負う覚悟が必要だとなる。
より深く踏み込んで分け入り一緒になって感情を切り分けるのだ。
その過程では、一層の混迷の深みに入り込むコトも避けて通れぬ。
もちろん踏み込む側も無傷では済まないくらいのリスクを負って。

ある程度分かった人物が敢えて触れようとしないのは、そのへん。
そこまで分かってない人物では面倒だから遠ざかるコトであろう。
踏み込むのは、よほど分かった人物か泥沼を恐れぬ人物だけかも。

だもんで、今日もネット上のどこかでモヤモヤした言外の含みを
無自覚に込めた発言が投稿されて、周囲は引いてしまったりする、
あるいは当人が嘲笑の対象になってたりする、そんな日常風景が
繰り返され、少なくとも当人のモヤモヤしたのは解消されぬまま。

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2012.05.09

伝えられたコトを受け取る際の考え方を受け取れるかの思案

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逆に、そうやって世に放たれた無数の情報を受け取る側の姿勢も、
ヨノナカ全般を考えると大きなファクターであなると思うんだな。

しばしば言語による表現には言外の含みが入り込んでいるものだ。
それを読み解けないとネット上の議論の場などで「日本語力ガー」
などと言われたりするコトもあるのだけれど、そこらへん難しい。

というのも発信者が意図した成分とそうでないのが混在していて、
前者の部分を相当程度に把握できないと後者を上手く読み取れず、
相手側の心の琴線に触れるような返球で対話のキャッチボールを
進めていくのが難しい、という場面が多いので困ったものなのだ。
情報発信に不慣れな人の比率が増えたネット社会は、そんなもの。

もちろん手慣れているはずの情報発信者もまた完璧とはいえない。
というより求められる情報発信の手段や体裁など時代につれ変化
しており、専門とする職業人たちにも不慣れなトコロがあるのだ。

また、むしろ組織としての情報発信に顕著なのが従来からの経緯、
過去に規定した用語や表現方法などは容易に変えられないものだ。
(容易に変わらないからこそ組織としての一貫性になるワケだが)

だけど、たとえば「マスコミ報道を読み解く方法」なんてのさえ、
そうそう容易に他の人へ教えられるものとは思えなかったりする。
それこそ、言外の含みを活用しないと伝えられないのではないか。
もっと言えば、言外の含みの成分を読み解ける人であるなら不要、
そうでない人にとっては伝達ロスやミスが生じ実質的には困難だ。
結局、個々人が気付いて作り上げていくしかないような気がする。

かつては、そういうトコロのヒントを身近な人たちから得ていた
のではないかと思うのだけれど、最近では身近な人なんて極めて
希薄になってしまって、仕方なくネットでヒントを探してみれば
ノイズだらけで如何様にも解釈できるもんだから思い込みで読む
ようにしてしまった人が増えた、ていう感じなんじゃないかなと。

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2012.05.08

伝えるというコトについての考えを伝えられるかどうか思案

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何をするにせよ他人にモノゴトを説明するというのは大変なコト。

誰かがヨノナカに向け何かすれば何らかの変化は生じるんだけど、
それが決して当人の期待した通りになるとは限らない、というか、
しばしば噛み合っていない状態を強行して思惑が外れるばかりか、
むしろ事態を悪化させるような結果になってしまったりするので、
言いたいという意欲ばかり強い人が危険な存在に思えてならない。
思ったコトを言いっ放しすだけで済むなら、如何に楽なコトかね。

何かいろいろ含むトコロある、微妙にモヤモヤしたキモチの人が、
それを整理しきれず社会の何者が悪であるなど決めつけたりして、
モヤモヤを無自覚なままに文章に匂わすなど見ていて微妙である。
特に考え方を説明する際に表現力の制約からか抽象的な表現とか
インパクトのある用語を多用したりすると、ホント伝わりにくい。

まあこのブログも大して違わないんじゃないかという気もするが、
モノゴトの繋がりが分かりやすいよう淡々と事情を説明しながら、
複雑で長くなってしまう論理構造を一息で言い切るような感じで、
せめて相手が飲み込みやすいようにと心掛けているつもりである。

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2012.05.07

月がとっても綺麗だったから?

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連休中には昔の同僚が企画した懇親会のような催しにも参加した。
場所は、日本庭園の中にある歴史的建造物、有料で使える集会場。

ほとんど見知らぬ相手だったものの同じ業界の関係者が多いので
さほど無理せず話題を合わせられる環境だったのは幸いなコトで。

まあ大概の話題は聴いていられるし多少のコメントくらいできる
とは思うけれど、同業者や関係者なら馴染むのに苦労を要さない。

しかし連休後半だからか業種特有の事情か一斉には集まらなくて、
参加者は後から後から五月雨式にやってくる。そんな折の、一幕。

気付けば池に張り出した縁側のトコロで電話をしている人がいた。
その電話の相手は遅れて来た参加者で、道に迷ってしまっらしい。

「入口から池を回り込んだ建物」など説明するが分からない模様。
池越しに見えるようにと懐中電灯をスキャンしてみるが結果はNG。

木々の向こう、庭園の外にある建物を示して、それが見えるかを
聞いてもらったが、これもまた目に入らないという反応であった。

頼まれて道案内を代わる。まずは相手の現在地を知るのが最優先。
「そこは日本庭園ですか、もしかしたら普通の公園ぽい場所では」

「公園だと思います」案の定、隣の同名の公園にいるようだった。
地図が脳裏に浮かぶ。庭園は公園からみて東隣。方角を伝えたい。

「月を探してください。大きな満月。そちらへ向かって進むよう」
1~2時間前に上り初めたスーパームーンを思い出して方向を示す。

「あ、コンクリートの壁に突き当たりました」「そこが庭園の壁、
向かって左へ進んでってください」「壁を右手に見る感じですね」

電話の相手も言い換えて復唱してくれるので道案内も順調に進み、
借りた会場の時間ギリギリに遅れていた一人が無事に間に合った。

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2012.05.06

緑の坂を歩いて登ると汗が垂れる

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近郊の躑躅の名所を訪れたのは激しい雨が降ったり止んだりする日。
午後になり雨の合間を抜けて出掛けたので大した時間はなかったが、
それなら自宅から遠くなく自分自身にとっての穴場を目指したのが、
普段は実家から車で30分そこそこの場所、鉄道で訪れるのは久々だ。

駅前の道を直進して街道へ突き当たったトコロにある寺は初の訪問、
寺の脇から山懐への道を登っていくと徐々に坂が急になっていって、
舗装こそ途切れぬものの耳抜きが必要なほどの急傾斜となった先に、
おそらく小学校の遠足で訪れて以来になるであろう戦没者供養施設、
さらに案内標識に従って行けば湿った泥と落葉が岩や木の根を覆い
足許も覚束なそうな山道、しかも先の舗装道路に勝る急傾斜の下り。

木々の間から見上げる空には激しく流れる雲。しかし晴れ間が続く。
蒸し暑さに加え上り下りで身体は熱くシャツもタオルも汗に濡れる。
垣間見える光景を捉えようとカメラを構えれば汗で眼鏡が曇るほど。

半ば沢のような踏み分け道のような坂を下ったトコロには小さな川、
苔生した川辺は少し開けていて、向こうには学校らしき建物がある。
背後の斜面には大量の躑躅が植えられ幾つも通路が整備されており、
目指していた公園に辿り着いたコトを、ようやく知ったのであった。

花は見頃の連休だのに、天候のせいか訪れている客は非常に少ない。
数組の家族連れに出会った程度。それも致し方あるまい、公園内の
歩道は泥土の斜面と化しているトコロもあって、気軽には歩けない。
躑躅の公園の人里に近い方は、もう少しマシな通路となっているが、
雨交じりの日となれば客足が途絶えるのも、まあ無理もないコトか。

公園内の四阿で濡れたタオルを干し休憩していたら月が上ってきた。
散歩を切り上げて駅へ戻って帰ろう。汗臭いシャツが気になるけど。

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2012.05.05

所持品紹介(33) どちらかというと夏向けの、骨張った品物

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先日、浅草のアーケードの中を巡っていて立ち寄った店にて、
ふと目に留まって自分用に買ってきた品が、二つばかりある。
今後の暑い時季に備えての扇子、そして梅雨時に備えて雨傘。

扇子は、半年間ほど日常的に持ち歩く。鞄に入れれば擦れて
痛み、ポケットに入れておけば汗で痛む、半ば消耗品である。
紙や布の部分が骨から剥がれたり破れたりで、だいたい一夏、
良くて二夏で寿命となってしまうので、毎年買わざるを得ず。
以前、鞄の中で樹脂製の要の軸が折れてしまったコトがあり、
それからは金属軸のものを選んで買っているので、少し高い。

傘は、扇子より長持ちするが、ときたま骨が折れたり石突や
握りが割れたりして損耗しているので、できれば予備を持つ
ように心掛けており、今回その余裕分に相当するヤツを購入。
湾曲した持ち手が好きになれないので棒状のを選んで買うが、
もちろん選択肢が限られ、気に入る品に出会うコトは珍しい。

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2012.05.04

おのぼりさん御案内

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米国ボストンに暮らす叔母が実家に一時滞在していて、母が都心に連れ出したのを案内するコトになった雨の休日。
母と叔母が参加を予定していた行事が悪天候によりキャンセルとなって道案内として臨時に呼び出された形である。

「今、上野の博物館」「じゃあ鶯谷へ向かう」→「鶯谷着」「動物園の前でお茶してる」(却って遠くなってるよ)
母は割と地理感覚がしっかりしている方だと思っていたが、それは自宅から20~30kmの範囲に限ってのコトだった。
まあさすがに日頃ほとんど来ない地域にまで土地勘を求めるコトはできない、それは誰だって同様なのだけれども。

ともあれ上野駅で合流して、土産を買うという叔母のために浅草へ。行楽客と雨で蒸した銀座線、そして浅草界隈。
自分の傘の取り回しが鬱陶しいというより他人の傘を避けるのが面倒なので、主にアーケード内の店を探して歩く。

いくつか買い物をして、茶屋で一休み、そのあと散策をしていたら観光用二階建てバスに出くわして、乗るコトに。
浅草から隅田川の向こうを回って戻ってくるだけの短いルートだが、こんな機会だからこそ気軽に乗ろうと思える。
まあ当然ながら開業迫る新電波塔は雨雲に隠れて足許の鉄骨しか見えなかったワケだけど高い視点の移動は楽しい。

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2012.05.03

暗箱に針穴(44) 文化系他流試合?

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詩の朗読と即興音楽とダンスとライブペインティングという、
知人がカフェバーで開催したイベントに、観客兼撮影で参加。

朗読に合わせて音楽、そしてダンス、それを見て描くという、
どうなっていくのか(参加者の誰にも)予想もつかない展開で、
いろいろ冒険しているトコロがあり、それはそれで楽しいが、
こういうイベントでの写真の撮影は一期一会、気が抜けない。

今回は単焦点レンズだけ、3本中2本はマウントアダプタ併用、
露出も焦点も完全手動の、デキが予想できない装備で挑んだ。
「だいたいこのくらいの絞り、このくらいのシャッター速度」
そんな、過去いろいろな環境で撮って身に付けてきた相場感。

薄暗い店内で動き回る演者たちと高感度域ギリギリでの勝負。
軽く絞って低速のシャッター。ブレとノイズとピントの攻防。
そんな状況で詩やメロディーや振り付けの流れを読みながら
一瞬の動きを捉え構図を切り取ろうと、とにかく食らいつく。

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2012.05.02

自称逸般塵の不通の日記(345) 鍵の返却に費やした労力についての考察

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連休前半の土日祝日で二泊三日の旅行をしてきた友人のペットの世話を頼まれていた。
こちらは遠出の予定はなく、徒歩でも最短35分の近所、気軽に引き受けるコトにした。

今年は4月に入るまで冷涼で桜の開花も遅れたが5月を前に春から初夏へと急いで移り
変わろうとしているのか、もはや日中に出歩くと汗ばむほどの陽気となってきている。
要するに蒸し暑い。友人宅の猫も長毛種の方は涼を得むとか床に寝そべっている有様。

帰宅した友人に、預かっていた鍵を返しに向かったのは連休の間の平日の初日の火曜。
夜に入って日中より気温は下がったものの湿度は上がってジメジメとした奇妙な空気。

猫世話の礼にと新潟で買ってきてくれた上等の日本酒を開けてもらい、一方こちらは
先日の静岡出張で土産に買ってきた「鮪テールハム」を持参、本州を挟んだ太平洋と
日本海の幸が共演、品数は少ないながらも贅沢な宴の席で、旅の土産話も盛り上がる。

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気分好く微酔い加減で席を辞し、帰宅しようと歩き出して、ハタと気付き立ち止まる。
肝心の友人宅の鍵を、返していなかったのだ。そのためにこそ今日訪れたというのに。

そんなワケで友人の携帯にメールを送り、取り急ぎ戻り、今度こそ手渡したのである。

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天気ぐずつく中、行きはバスを使ったが帰りは最終バスより遅くなったので徒歩帰宅。
自転車と徒歩とバスと、それぞれのルートは固定化しかけているが、今回は何となく
自転車用ルートを基本に、せっかくだから遠回りするように知らぬ道へと入っていく。

「この道は線路沿いに駅前へ向かっていくのか」そうボンヤリ考えつつ歩いていくと、
ほどなくして道は駅近くの高架下を潜った。そこはもう、何度も歩いている知った道。

高架の脇にはカフェかレストランかバーかは分からないが小さな二階建ての店がある。
その店の前で高架沿いに折れれば駅前ロータリー方面、と思いつつ、ふと見上げると、
店の二階の窓が開いていて、外を眺めつつ並んで座る女性の二人連れの顔が目に入る。

駅前の飲食店街の外れの小さな店、間口は二人が並ぶ幅で一杯というほどの狭さだが、
雨の接近を示す靄っぽい空気にナトリウムの黄色い街灯の光が拡散して不思議な光景。

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2012.05.01

オトナとコドモの間にある、微妙ではあるけれど大きな違い

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たいがい何をするにも最低限これだけというのはあり、
たとえば文章を入力するとしたら、タッチ画面だとか
テンキーでも、慣れと根気があればそれなりにできる。
けど速度や能率は今一つ。机の上で使う前提であれば
やっぱりアルファベット全て一つずつのキーがほしい。

このへん、どこを最低ラインと考えるかで違ってくる。
あとはトレードオフ関係を、どのように落とし込むか。
より能率的な方法が他にあるのに、「できるけど大変」
という環境を受容するには、別のメリットがあるとか
何らかの制約条件を考慮に入れた上での妥協であろう。

「不可能ではないけど」というのは0か1かの議論だが、
能率を考えると「0.1か0.3か、0.7か0.9なのか」など、
何かの基準を設けて定量的に比較してやらねばならん。
そして他の基準との兼ね合いをみて総合的に選ぶのだ。

「○○の存在は断じて許せない、妥協は認められない」
言うのは簡単だが、実現するのに自分自身はもちろん
社会全体に高いコストを払わせたり他の部分で不都合
が生じるような要求であれば、他の人々が受け容れて
くれるかどうか、他人も含めた選択であればこそ猶更、
「とりあえず合理的に納得できる条件」を出さないと。

要求を満たすため莫大な資本が投入され多くの人々が
知恵を出し合い汗を流して実現しているようなコトが、
現実には「数万円のネットブックだとか携帯電話」だ。
その仕様は、より多くの人にとって妥協できる内容を
目指して練り上げられたもの、とは期待していいはず。
まあ企業の思惑なんぞも紛れ込んでいるだろうけれど。

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