« 伝えるコトを阻害している要素が匂わす意義についての思案 | トップページ | 後で振り返ってみれば先を見ているのかもしれない »

2012.05.12

穴があるから後に残されるけれど先を見られもする

20120512_img10076_1s


少し前なら「ちょっと凄い人」しかできなかったコトを
できるようにしてしまうのが時代の進歩というヤツかも。

だけど全く同じようにできるようになるワケではなくて、
しばしば「技術的には可能になるけど心構えは自分でね」
といった感じで、部分的にしか可能にしてくれないのだ。

だから技術的な変化に取り残される者が出るだけでなく、
精神的な強さを求められる風潮について行けぬ者もいる。
ヒトに対し常に精神的な成長を求め続け、未熟なままで
いるコトを許さないのが、社会の進歩というものかもな。

全ての分野において進歩に適応し続けていられる者など
おそらく滅多にいない、というか、いるかどうかも微妙。
だから多くの者たちが、どこかで脱落感を味わっている。

ノスタルジイとは、「今より気分的に楽だった」という、
誰もが(分野こそ違えど)味わう落伍感を肯定するものか。

--
こんな問題は、ヒトが社会生活を営むようになって以来、
あらゆる地域で、さまざまな分野で、同じような問題を
繰り返してきて、今後も社会ある限り続くものであろう。

けれど、既存の課題に対する知見は集約されて分析され、
課題を乗り越えるための解決策をもたらす創造力もまた、
集団全体としては少しずつ培われてきていないだろうか。

もちろん、その先には新たな課題が待っているはずだし、
たしかに一つひとつのケースを見ていると、実に哀れで、
それを通り越して滑稽というか間抜けですらあるけれど、

でもヒトだって案外侮れない、という期待も幾らかある。

|

« 伝えるコトを阻害している要素が匂わす意義についての思案 | トップページ | 後で振り返ってみれば先を見ているのかもしれない »