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2012/05/10

伝えるべきモノゴトの認識についての捉え方についての思案

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それにしても言外の含みというヤツは非常に厄介な存在だもんで、
しばしば当の本人が自覚すらしていない感情が匂ってきてしまう。
周囲の多くが気付いてたりするので意図的なのかと疑うくらいに。

この「自覚できていない感情」というのが実に困ったものである。
受け手が言外の含みを嗅ぎ取ったとき、どう扱うのが妥当なのか。
言外の含みがありますよ云々などストレートに指摘していいのか、
または別の方向の言外の含み(自覚的なもの)で返すのがいいのか。

実際、モヤモヤした感覚ではあるけれど不快感だとか不満感とか、
そのくらいの程度には自覚しているのが大概のトコロだろうから、
その程度のコトを敢えて指摘してやる必要はないというか逆効果。

結局、相手の感情負荷の相当部分を請け負う覚悟が必要だとなる。
より深く踏み込んで分け入り一緒になって感情を切り分けるのだ。
その過程では、一層の混迷の深みに入り込むコトも避けて通れぬ。
もちろん踏み込む側も無傷では済まないくらいのリスクを負って。

ある程度分かった人物が敢えて触れようとしないのは、そのへん。
そこまで分かってない人物では面倒だから遠ざかるコトであろう。
踏み込むのは、よほど分かった人物か泥沼を恐れぬ人物だけかも。

だもんで、今日もネット上のどこかでモヤモヤした言外の含みを
無自覚に込めた発言が投稿されて、周囲は引いてしまったりする、
あるいは当人が嘲笑の対象になってたりする、そんな日常風景が
繰り返され、少なくとも当人のモヤモヤしたのは解消されぬまま。

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「説明責任」という言葉だらけの報道を見てて飽きていたりする。
モヤモヤしたのがメディアを通じて漏洩しているのでは、と思う。

「自己責任」という言葉が流行った頃の世を思い出したりもする。
噛み合わぬないを無自覚に切り捨てる姿であったのかもしれない。

いずれにせよ、その程度の言葉で茶を濁しているのは、軽すぎて。
だけど重たいのに取り組める人間なんて、そう多くはないのよね。

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