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2012/05/01

オトナとコドモの間にある、微妙ではあるけれど大きな違い

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たいがい何をするにも最低限これだけというのはあり、
たとえば文章を入力するとしたら、タッチ画面だとか
テンキーでも、慣れと根気があればそれなりにできる。
けど速度や能率は今一つ。机の上で使う前提であれば
やっぱりアルファベット全て一つずつのキーがほしい。

このへん、どこを最低ラインと考えるかで違ってくる。
あとはトレードオフ関係を、どのように落とし込むか。
より能率的な方法が他にあるのに、「できるけど大変」
という環境を受容するには、別のメリットがあるとか
何らかの制約条件を考慮に入れた上での妥協であろう。

「不可能ではないけど」というのは0か1かの議論だが、
能率を考えると「0.1か0.3か、0.7か0.9なのか」など、
何かの基準を設けて定量的に比較してやらねばならん。
そして他の基準との兼ね合いをみて総合的に選ぶのだ。

「○○の存在は断じて許せない、妥協は認められない」
言うのは簡単だが、実現するのに自分自身はもちろん
社会全体に高いコストを払わせたり他の部分で不都合
が生じるような要求であれば、他の人々が受け容れて
くれるかどうか、他人も含めた選択であればこそ猶更、
「とりあえず合理的に納得できる条件」を出さないと。

要求を満たすため莫大な資本が投入され多くの人々が
知恵を出し合い汗を流して実現しているようなコトが、
現実には「数万円のネットブックだとか携帯電話」だ。
その仕様は、より多くの人にとって妥協できる内容を
目指して練り上げられたもの、とは期待していいはず。
まあ企業の思惑なんぞも紛れ込んでいるだろうけれど。

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改札口の目の前で仰向けに横たわって手足をバタバタ
させつつ泣き喚いて駄々を捏ねている小児を見掛けた。

それはオトナになる前に飽きるほどやっておくといい。

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