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2012/05/09

伝えられたコトを受け取る際の考え方を受け取れるかの思案

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逆に、そうやって世に放たれた無数の情報を受け取る側の姿勢も、
ヨノナカ全般を考えると大きなファクターであなると思うんだな。

しばしば言語による表現には言外の含みが入り込んでいるものだ。
それを読み解けないとネット上の議論の場などで「日本語力ガー」
などと言われたりするコトもあるのだけれど、そこらへん難しい。

というのも発信者が意図した成分とそうでないのが混在していて、
前者の部分を相当程度に把握できないと後者を上手く読み取れず、
相手側の心の琴線に触れるような返球で対話のキャッチボールを
進めていくのが難しい、という場面が多いので困ったものなのだ。
情報発信に不慣れな人の比率が増えたネット社会は、そんなもの。

もちろん手慣れているはずの情報発信者もまた完璧とはいえない。
というより求められる情報発信の手段や体裁など時代につれ変化
しており、専門とする職業人たちにも不慣れなトコロがあるのだ。

また、むしろ組織としての情報発信に顕著なのが従来からの経緯、
過去に規定した用語や表現方法などは容易に変えられないものだ。
(容易に変わらないからこそ組織としての一貫性になるワケだが)

だけど、たとえば「マスコミ報道を読み解く方法」なんてのさえ、
そうそう容易に他の人へ教えられるものとは思えなかったりする。
それこそ、言外の含みを活用しないと伝えられないのではないか。
もっと言えば、言外の含みの成分を読み解ける人であるなら不要、
そうでない人にとっては伝達ロスやミスが生じ実質的には困難だ。
結局、個々人が気付いて作り上げていくしかないような気がする。

かつては、そういうトコロのヒントを身近な人たちから得ていた
のではないかと思うのだけれど、最近では身近な人なんて極めて
希薄になってしまって、仕方なくネットでヒントを探してみれば
ノイズだらけで如何様にも解釈できるもんだから思い込みで読む
ようにしてしまった人が増えた、ていう感じなんじゃないかなと。

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伝える側の姿勢と、それを受ける側の姿勢の、両方が噛み合うか、
そこが大きな問題となってくるような気がしてならないのだけど、
何だか言う方は言いっ放しで聞く方も都合良いのだけ選ぶ感じで、
噛み合わない場面が、ヨノナカ全般けっこう見られるように思う。

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