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2012/05/21

そんな簡単に切り分けられるワケではないから

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「残り少ないジャムをどう使い切るか」なんて自分専用の縛り
そのものは自宅を一歩出ればもう通用せぬ、というかたまたま
一人だけで生活しているからこそ、勝手な決め事も可能なのだ。
こんなルール、同居人が存在するだけでも容易に崩れかねない。

なのでルールを共有して守ってもらわねばならないワケだけど、
他者との間でルールを共有できるようにするには関係者全員が
そのルールを理解していなければならないし、その前提として
全員が「ルールに従う」という暗黙の決まりを受け容れないと。

それでもなおルールの解釈やルールに対する認識が人によって
違ったりするので齟齬が生じるのを完全に避けるコトはできず、
きっとジャムの瓶の底に1枚分でなく0.5枚分しか残っていない、
といった状況が頻発するであろうコトは、まあ想像に難くない。

自分のルールを他者にも守ってもらいたいとなったら、まずは
ルールの内容や意義について説明し、理解を求めねばならない。
遵守するコトによって如何なるメリットデメリットがあるのか、
遵守しなかった場合のペナルティやリスクはどうなのか、云々。

そのあたりを説明して、遵守されているかどうかの結果を確認、
判断して、何らかのアクションを決定・実施するなどといった
活動を続けるのがが、言うなれば責任感というものではないか。

たとえばルールの設定に不備があったり、ルールとペナルティ
が不均衡であるような場合、しばしば相手方から不満が上がる。
ルールの修正やペナルティの軽減など必要になってくるだろう。

そしてそこまでケアできないようであれば「言いっ放し」とか
「引っ込みがつかない」というコトになってくるのではないか。

たかがジャムの使い方でさえ家庭内で喧嘩になるコトもあろう、
そんな「詰まらぬコト」で衝突するのを回避するのが、責任感。

先々のコトを考えても完璧な予測などできないから、その後に
生じるコトにも真摯に取り組みますよ、という姿勢を示すのは、
しかし事前においては非常に困難というか、まあ実質的に無理。
そこに、覚悟というのが求められてくるというコトなのだろう。

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言い出して引っ込みがつかなくなったりするのを避けたいから
自由業を続けているのかもしれない、などと最近になって思う。

しかし当然ながら、言い出して完遂するのが仕事というもので、
そんな無責任な生活をしていては先細りになっていってしまう。

「何にもコミットしない状態」が長く続き、それに慣れきって、
責任感というものから逃避し続けた、そんな気がしなくもない。

一人暮らしの中で、一人仕事というのは何なのか、紆余曲折の
末に気付くようになったのは、まあ遠回りな人生だったのかも。

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