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2012.05.11

伝えるコトを阻害している要素が匂わす意義についての思案

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自分でも薄々気付いている、あるいは頭では分かっているけれど、
モヤモヤする部分を捉えきれず、どうしたらいいのか分からない、
そして伝えるコトもできないまま残念な状態に陥っていく人たち。

何らかの文献などを下敷きにした表現とかも似たようなのがあり、
たまたま噛み合ったときにだけ伝わるに過ぎぬ表現を使いながら、
「広く理解されないのは変だ」なんてモヤモヤを匂わす人がいる。

原発事故で放出された放射性物質による健康への悪影響について、
「安全かどうかではなくて安心できるかどうか」を主張する人が、
「安全とは断定できないが安心材料にはなる」という情報を拒絶
しているような場面を、何度となく目にしてきたような気がする。
どうしたいのか本人にも明確にできないまま、モヤモヤしたのを
抱えているせいで、表面的には矛盾が突出しているのではないか。

一方、原発再稼働問題などに関して「対案なき要求や反対だけの
駄々っ子運動では世の中は変えられません」との意見を目にした。
これはまさしく、モヤモヤした部分のない明快な理屈だなと思う。

いや、ひょっとしたら対案なき要求や反対だけの活動というのは、
親の愛情のようなのを世間に求める活動ではないかとも思ったり。
そして、そういった社会が実現するようにと全身全霊を以てして
自覚していない部分までフル活用して追求し続けている、のかも。

モヤモヤした部分は、たしかに言語化するのが極めて困難であり、
しかもそれを扱うためには本人が自ら認識した上で自らの意志で
立ち向かっていく必要があるし、それでもなお完全には克服する
コトができないもんだから、それを許容する社会は魅力的だろう。

ただ、そいつをどのようにして実現できるかについての具体的な
議論は、残念ながらモヤモヤしたのを抱えたままでは無理そうだ。

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余談だが個人的には体育会系に馴染みにくいという不得手がある。
あの独自の空気というか雰囲気というか、そういうのが苦手かと
思っていたが、それもあるけど、そこが本体ではないように思う。

どことなく感じられる、思考停止的な空気が嫌なのではないかと。
特に上手でない体育会系には多い、指導者や先輩による強要とか、
受ける側の姿勢を固定させる感じが、どうも好きになれぬのかも。

なので道理の通じる体育会系なら、きっとさほど気にならぬはず。
体育会系という言葉にモヤモヤを押し込めていたというトコロか。
逆に体育会系以外でも下手な組織など部下に特定の姿勢を強いる
ような環境であるならば、やはりモヤモヤしたのを感じてしまう。

昔はそれを明確にできないままに部活や企業の中でモヤモヤして
いたもので、結局ほとんど長続きしなかった原因の一つがそこに
あったのではないかと考えるようになったのは、割と最近のコト。
偉そうなコトを言っといてアレだが、まだまだ未熟者なのである。

自分自身の中身を分類したり分析したりして、それを整理した上、
それなりの言葉として伝えられるようになるまでには、とっても
時間が掛かるし苦労もあるので、決して他人に勧めたくはないが、
そういうのをヒトに求めるのが社会というものなのかもしれない。

開かれた社会未満の、閉鎖的ヒト集団の中だけで一生を過ごせる
ような人生だったら、そんな努力も要らなくて楽だろうけれどね。

柵の役目は、外から侵入を防ぐためか、中から出さぬためなのか。

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