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2012.06.19

たまには時事ネタ(83.5) ものわかりよくなろうとするひとたち

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逆に、そういう人たちが反発する対象はどのような存在だろうか。
昨日のエントリでは一部の用語から仮に「権力」としておいたが、
どうも一般的な権力主体のみを示す狭義の用法ではなく、広義の、
権力構造に関わる者たちの多くを広く含んだ使い方であるようだ。

どちらかというと秩序維持を重視し余計な混乱を避けようとする
行動や発言をしているような個人まで含む、という印象を受ける。
たしかに、ここ1年ほどの間に、そういった人たちがSNS上などで
次第に集まって、議論が進んできたような気も、そういえばする。

ある議論の場でいうと、対話や議論を通じて合意形成を行おうと
しているようにみえる人たちが、割と集まってきつつあるのかも。
しかも、相手の事情を勘案し合うのが基本ルール、という感じで。
これは時間は掛かるものの暴力的な方向に振れる危険は低いはず。

思想史などは全く学んでいないけど、なんとなく漠然と思うのは、
民主主義的姿勢とでも言うか、戦後の日本が培ってこようとした
何かを、受け継いで発展させようとする、そんな動きであるかも。
いや実際そんなに御大層なコトなんかではないような気もするが。

ひょっとしたら暴力的議論に飽き飽きした結果、そうなったのか。
国会の政局を見るまでもなく、数の暴力とか暴言や暴論や詭弁や、
さらには主題から外れた場外乱闘に没頭してしまうなど、議論を
遮断してしまう要因は数知れずあって、それを避けるための適応。

特に、的外れな怒りには、正直うんざりしている者が多いと思う。
「政府がメディアが企業が(無能・無策ではなく)基本的に故意に
市民を陥れる存在であり陥れられた市民よ怒るべし」的なヤツに。
その扱いに困り、対処を試みながら、場数を踏んでいるのだろう。

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割と歓迎できる方向性だけれども、しかし現状これは飽くまでも
日本社会の中での数ある動向の一つに過ぎないだろうとも思うし、
ついつい場外乱闘などに勤しんでしまう傾向は相変わらずあるし、
そも反発する者が存在してる時点で完璧でないコトは明確なので。

いかにして敵意を持つ相手からコネクションを切られぬようにし、
またモヤモヤした互いの心の裡から互いの論点を絞り込んでいき、
あわよくば周囲をも巻き込みながら、落とし処を探っていけるか。
「議論に参加できる人」の条件を、どこまで拡大していけるのか。

そしてその動機は、主に自分自身の心の平安の為であってほしい。
大義だの正義だのを常に最優先とすれば暴走しかねないのだから。

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