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2012.07.18

道を知るべきコトバ(50) 誰かが辿ったからこその道

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誰も通ったコトのない場所に、道なんてできやしない。

ちょとばかり青々とした山の中に分け入ったトコロで、
歩きやすそうなトコロなんざ基本的に誰かが通った道。

雨に洗われ、落ち葉に埋もれ、先人の足跡など見えぬ、
けれども他に歩けそうな場所がなければ必ず通る場所、
下手すりゃ1000年2000年の昔から使われているだろう。

そのような道が何故こんな廃れたままでしかないのか、
理由は簡単、そこを歩こうとする、あるいは歩かねば
ならない人の数が非常に少ない、ただそれだけのコト。
ニーズがないとか、他の道より不便とか、そんな程度。

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今のヨノナカ、もっとずっと交通量の多い道というと、
他の姿だった場所に大規模な資本投入で道としたもの。

便利になるように作られているから多くの人が通るし、
だからこそ通ったヒトやモノを通じて社会の役に立つ。

忘れられかけた道を見出せば密かな喜びを得られるが、
それはやはり、せいぜい個人や身内レベルのハナシで。

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